魔法のステッキには笑顔がよく似合う
水池亘
魔法のステッキには笑顔がよく似合う
「もっとステッキ、まっすぐに持って!」
「ええー、もう無理だってー」
私は弱音を吐きながら腕をぐっと斜めに伸ばす。手の先にはきらびやかな飾りのついたピンク色のステッキがある。有名な魔法少女アニメに出てくる、いわゆる魔法のステッキというやつだ。
「このポーズは腕とステッキがまっすぐピンと一直線になってることが大事なんだよ」
「そりゃまあ、私もわかるけどさあ」
「ほら、いいから撮るよ! 笑って笑って!」
「ううー……」
私は唇の両端を不器用に上げる。恥ずかしさに頬は紅く染まっているだろう。思わずうつむいたら丸眼鏡越しにフリフリピンクのコスプレ衣装が見えた。どうして私がこんなものを着る羽目になったのか。自業自得? うるさいな。
「ちょっと、こっち向いて! 下なんか見てちゃ駄目だよ!」
「あーもう! わかったから!」
破れかぶれに叫び、できる限りの笑顔で、
*
「その絵って、ラキア?」
背後からのいきなりの声に、私は「うわぁ!」と叫んで椅子から転げ落ちた。夕日が差し込むがらんどうの教室、誰かがいる気配なんて全くなかった。
「み、三島君!?」
「ごめんごめん、まさかそこまで驚くなんて」
「驚くに決まってるでしょうが……」
「ラキアが推しなの?」
微笑む彼の言葉に、私は一瞬固まった。
「……ひょっとして、三島君もオタク?」
「どうかな。ただ普通にアニメが好きってだけだけど」
「『魔女ラキ』知ってるのは普通とは言わん」
「そう? それならオタクなのかもね」
三島君は爽やかに笑う。
「本当は忘れ物だけこっそり取って帰るつもりだったんだけど、ラキアの絵が見えちゃって、そしたらパッとひらめいたんだ。
そう言うと、彼はおもむろに肩下げ鞄から一枚の紙を取り出した。それはつるりと厚みがあり、表面には綺麗にデザインされた文章とイラストが載っていた。
「……『メディア芸術コンクール』?」
「この近くに武蔵野ミュージアムっていう変な美術館があるんだけど、そこがやってるコンクールなんだ。今回のテーマは『現代アニメーション』。媒体は文章でもイラストでも映像でも、何でもいい。そこに僕は、写真を応募する」
「写真?」
「そう。そして被写体は岡野さん、君にしたい」
「へ? 私?」
いきなりの話に頭が追いつかない。
「いや、どういうこと?」
「日本を代表するアニメ『限界魔女ラキア』のキャラが現実の武蔵野にいたら……。そんな空想を形にできるかな、って」
「それってつまり……」
「いわゆるコスプレ写真だね」
*
断れば良かった。
と、現場に着いてから思った。
「これが衣装ね」
三島君から渡されたのはフリルにあふれた非現実的な服だった。淡いピンク色のそれを目にして、ようやく私の中に羞恥心が湧き上がる。コスプレ、ちょっとしてみたかったんだよね、という程度の思いでは全く覚悟が足りなかった。反省しても、もう遅い。
「これ、まさか外で着替えるの?」
「まさか。簡易更衣室を用意してあるよ」
「準備が良いことで」
「でも岡野さん。まずは、今の服のまま撮ろう」
「え? 何で?」
「普通のコスプレ写真を応募しても芸術として意味がないからね。普段の岡野さんとコスプレした岡野さんを両方同じポーズで撮って、『変身することでこんなにイメージが変わるんですよ』と提示する。それが今回のコンセプトなんだ」
「はあ、そうですか」
私としては、もうやるしかないんだから好きにしてくれ、という心持ちだ。
天候は晴れ。暖かな春風が心地良く頬をなでる。武蔵野の地の影の方、あまり知られていないところに中くらいの桜の木があって、花見には物足りないからほとんど人もいない。私たちはそこに並んで立ち、咲き誇る花を見上げた。
「完璧な咲き具合だね」
「そうね」
それは文句の付けようのないくらいの満開だった。この名スポットが末永く世間に気づかれないことを祈る。
カメラと三脚の設営を終え、三島君は大きな鞄から細長いものを取り出した。
「はい、ステッキ。これだけは持ってもらおうかなって」
ピンク色の細身の柄に、歯車のようなギザギザした装飾。ラキアが劇中何度も振り回した、『魔女ラキ』の象徴とも言えるステッキだ。
「これさえあれば『魔女ラキ』がテーマだって分かるから」
「まあ、それはそうね」
手にしたステッキは固く、少しだけひんやり冷たかった。
肝心の撮影については、あまり語ることもない。
三島君の要求に応えながら一生懸命笑顔を作っていた苦労を良く覚えている。
「いい写真が撮れたよ! ありがとう岡野さん!」
そう言って私の手を取りぶんぶんと振り回す三島君は、本当に楽しそうだった。
じゃあ、私は?
……どうだろうね。とにかくあれから、よく鏡を見るようになったけど。
*
その後三島君とは特に仲良くなることもなかった。私は自分から積極的に話しかけられるような性格をしていない。だから相手からも何もない場合、そのまま時が過ぎてしまう。まあ、それが悲しいわけではない。いつもと同じ、淡々と絵を描く日常だ。
数ヶ月して不意に連絡が届いた。
<入賞したよ。ミュージアムで展覧会があるから、見に行ってほしい。絶対に。>
*
自分の意思で美術館に行くこと自体、初めてだった。自分のコスプレ写真が立派に飾られているという事実には尻込みしてしまうし、当然ながら、ものすごく恥ずかしい。知らなかったことにして眠ろうかとも思ったが、しかし三島君に<絶対に>と言われてしまった。それを無視するのは……何か嫌だ。
チケットを買い、エレベーターで一番上の階まで行く。ところ狭しと本棚が並ぶ中、私は中央のスペースへ向かった。入り口に大きく『武蔵野メディア芸術コンクール受賞作展覧会』と掲示されている。私はふうっと大きく息をつき、意を決してその中へ入った。
奥の壁に掛けられていたそれを見た瞬間、私は呆然と固まってしまった。
そこにはたった1枚の写真しかなかった。満開の桜の下、普段着の私がただステッキを抱えて笑っている写真。そんなものを撮られたと、私は気づいてすらいなかった。
写真の下にキャプションがあった。
タイトル:変身
コメント:変身なんてしなくても素敵なものは素敵なのです。
私はまた動けなくなってしまった。
*
後日、三島君に問い正しに行くと、「いやあ、撮った写真見てるうちに気が変わっちゃって」と頭をかきながら笑った。
「何かもう、コスプレはいいかなって」
「いいわけないでしょうが。私の羞恥心は無駄死にかよ」
「でも、だって岡野さんの笑顔があんまりかわいかったから」
「かっ……!」
私は言葉に詰まった。
「か、かわいいとか、気軽に言わないでくれない?」
「うん。だから今、初めて他人に言った」
「へ、へえー……」
私はどんな表情をすればいいのかよく分からなくなった。
「信じられないなー、そんなこと」
「そう? じゃあ、はっきり言うよ」
三島君はこちらを見つめ、ふっと真顔になった。
「岡野ハルさん。あなたのかわいい笑顔が好きです。僕と付き合ってください」
そう言って三島君は丁寧に頭を下げた。
それで私は何と答えたかって?
教えないよ、そんなの。勝手に想像してください。
ここではステッキの話だけして終わりにしよう。
あのピンク色のステッキはいま私の部屋にある。紐を結わえ、壁に掛けて飾っている。何か悲しいこと、つらいことがあったとき、私はそのステッキを手に取る。鏡の前で、両手で抱え、にっこりと微笑んでみる。あの写真と同じように。
大丈夫。
この笑顔を素敵だと言ってくれた人がいるんだから。
何があったって、私は魔法の力で生きていける。
魔法のステッキには笑顔がよく似合う 水池亘 @mizuikewataru
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