第48話 リアル猿の惑星 シエラレオネチンパンジー獣害事件

幼いながらに猿の惑星は衝撃だった。

その後2013年猿の惑星創世記が出るが、もしかしたらそのモデルになったのではないかと思えるほどの事件が2006年4月23日アフリカのシエラレオネで発生している。

その主犯格のチンパンジーの名はブルーノ。

体格や筋力、そして知性にいたるまでチンパンジーの枠を大きく超えた恐るべき存在であった。



 内戦で疲弊したシエラレオネでは、住民は子供のチンパンジーを捕獲しそれを売却することで外貨収入を得ていたという。

 その際、住民は母子のチンパンジーを捕獲し、商品価値の低い親のチンパンジーは殺害することが一般であった。 

 シエラレオネ政府はチンパンジーの親子を密猟者から守るために保護区を設定したが、住民が行う無計画な森林伐採によりチンパンジーが人間から隠れ逃れることが困難になった。

 貧しさという現実を前に政府の理想論はあまりにむなしく無力であった。

 1988年、保護区の経理担当職員バーラ・アマラセカランと妻のシャルマイラは、シエラレオネ共和国の首都フリータウンの北部150キロに存在する小さな村の市場で幼い一匹の弱々しいチンパンジーが売られているのを発見し、20ドルで購入した。

 その子ザルは本当に弱々しく、もし夫妻が購入を決断しなかったならばじきに衰弱死したであろうと今日では考えられている。

 夫妻はその子に元気に育ってほしいと願い、当時マイク・タイソンと戦った英国のヘビー級のボクサーフランク・ブルーノにちなんでブルーノと名付けた。ブルーノ・サンマルチノではないのか、と思ったのは管理人と読者だけの秘密である。

 このとき夫妻にはそのかわいい子猿が将来、人間を襲うことになるとは知る由もなかった。


 巨大に成長したブルーノの体長は180cm、体重は90kgを優に超えた。

 そして口腔には2インチ (5.08cm)の鋭い犬歯を有していた。

 平均的な雄のチンパンジーが体長85cm、体重40-60kgであることを考えるとその巨体は群れの中でひときわ際立っていた。

 というよりこの体格はもはやゴリラである。

 一般成人男性と小錦よりも体格差が大きいといえるだろう。

 ブルーノは長ずるに及び巨大な体躯と体力、優れた運動能力とリーダーシップによってボスとして群れを完全に支配し、彼らの上に君臨することに成功したのである。


 その一方、彼は人間のもとで育ったがゆえに、人間が高い上背に比して鈍い反射能力、惰弱な顎の筋力など非常に脆弱な身体能力しか有さないことを学び取っていった。

 彼は野生種ならば恐れて決して近づかないであろう人間を完全に見下していた。

 例えば、一般にチンパンジーの投擲能力は限られたものであるが、ブルーノに限っては優れた投擲の能力を有し、自分が気に入らない観客に対して正確に糞や様々な大きさの石を投げつけ当てることができた。


 夫妻が運営するチンパンジーの生育地は二重のフェンスで囲まれ、それに加え電気柵が設置されていた。

 生育地内への出入りには複数の鍵を開けるという複雑な工程を経なければならなかった。

 管理側は類人猿には理解できない複雑な開錠操作と電気ショックによるオペラント条件付けにより完全にチンパンジーの集団を管理出来ていると信じていた。

 だがチンパンジーの知恵は人間の想像を超えたものであった。チンパンジーたちは日頃人間たちがどのようにゲートの鍵を開錠するのか冷静に観察し、その方法を学習していったのである。

 イギリスの大学の研究では、猿が簡単なテレビゲームを理解し遊べることが明らかになっている。

 また初歩的な言語能力すらあり、意思疎通や仲介まですることができるのだ。

 だがこの時代のシエラレオネにそんな知見のある人間はいなかった。

 そしてついに2006年、ブルーノはゲートの扉を開くことに成功し、部下を連れて保護地を脱出したのである。


 脱走したブルーノの群れは、人間と生活した時間が長すぎ、純粋な野生に戻ることはもうできなかった。

 そこで彼らは人間の生息地にほど近い場所で餌をあさったり奪ったりして生活していたと思われる。

 そして決定的な事件が発生した。

 2006年4月、本保護区から約3キロ離れたレスター・ピーク・ジャンクションに新しい米国大使館が建設されていた。

 4月23日の日曜日、建設現場で働くキャドル・コンストラクション・カンパニーから派遣され働いていたアラン・ロバートソン、ゲアリー・ブラウン、リッチー・ゴッディーらの三人の米国人の下請け会社の労働者とシエラレオネ人のメルヴィン・ママーが、地元出身のアイサ・カヌー運転のタクシーを借り切って本施設を見学に来ようとしていた 。


 途中、暗い藪の中の間道に差し掛かり、観光客たちがふと車中から外を眺めると、チンパンジーの群れが静かに自分たちをじっと見つめているのに気が付いた。 

 彼らは自分たちが置かれている危険な状況を理解できず、好奇心からカメラを取り出してそれらを撮影しようとした。

 地元出身のカヌーは、チンパンジーがいかに危険な存在であるかを熟知していたので、ただちに彼らを制止し、すぐに窓を閉めるように指示し、とにかくその場を急いで離れようとした。

 現在でもチンパンジーが人間の子供を襲うことはよく知られており、なかには一家を皆殺しにして家を乗っ取ったチンパンジーもいたほどだ。

 そのせいか、カヌーはチンパンジーの恐ろしさを知っているがゆえに恐怖のあまり冷静さを失い、運転操作を誤り保護区のゲートに車体を突っ込んでしまい、鉄製の檻に引っかかり抜け出ることができなくなってしまった。


 そしてこのとき見せたブルーノの残酷さと陰湿さは人間の想像をはるかに絶するものであった。

 彼は握力300kgを超えるこぶしで車のフロントガラスを叩き割り、運転手のカヌーを車体から引きずり出し、首根っこをつかみ、頭部を地面に何回も叩きつけ失神させ、手と足の指の爪を剥がし、そのあと四肢のすべての指を噛み切って切断した。

 こうして予め抵抗の能力を封じておいて、次に、あたかも果実を齧るように生きたまま彼の顔面を食いちぎり始め、時間をかけて、もてあそぶようにして死に至らしめた。

 ブルーノが黒人であるカヌーに格別の残酷さを発揮したのは、幼い日両親を殺し自分を売り払ったのが黒人だったからではないかと思われる。


 目前で繰り広げられている想像を絶する光景を目にし、残りの四人の人間はただただ茫然自失するのみだった。

 彼らのうち危険を冒してカヌーを救い出そうとしたものは誰もいなかった。

 そして正気に戻った彼らの脳裏に浮かんだのは、次に自分が攻撃の対象にならないことだけだった。

 彼らは自己保身と恐怖心から他人のことを構う余裕はなく、ただ自分だけが助かりたいばかりに蜘蛛の子を散らすようにバラバラの方向に逃げ出したのであった。

 しかし彼らは一人、また一人と分散したところを狙われ、無情にいたぶられた。

 四人固まってドライバーなどの工具でもいい。武器を取り反撃の姿勢を見せれば襲われることもなかったかもしれない。

 幸いなことに襲われはしたものの、彼らは一人も殺されることはなく、ただ一人が腕切断の重傷を負うにとどまった。


  政府は直ちに警察隊を現場に派遣し、脱走したチンパンジーたちの捜索に取り掛かったが、彼らを見つけ出すことはできなかった。

 作業員に対する厳重な護衛のもと現場一帯をコンバインで刈り取る作業を行い、森林と居住地域との間に緩衝地帯を設けた。

 保護区当局はジャングルのいたるところに赤外線感知の自動カメラを設置してチンパンジーの動きを察知しようとしたがその効果は限定的であった。

 結局脱走した31匹のうち27匹は捕獲あるいは射殺されたものの、残る4匹は現在にいたるも行方不明である。

 もちろん、ブルーノはその行方不明の4匹に含まれている。

 チンパンジーの平均寿命は50年ほどと言われているが、だとすれば今もなお、巨体の殺人チンパンジーはシエラレオネの森林で復讐の機会を窺っているのかもしれない。

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