第39話 殺人犯人は十歳?
1993年2月12日、ジョン・ヴェナブレスとロバート・トンプソンの2人は学校を無断欠席してストランド・ショッピングセンターを訪れ、食肉店の外で母親を待っていた被害者を誘いショッピングセンターの外に連れ出して犯行に及んだ。
その日被害者はカークビー から母親と共に買い物にストランド・ショッピングセンターを訪れ、母親の言いつけで店の外で立って待っていた。
母親が買い物をしている数分間に犯人2人は被害者の手を引いてショッピングセンターの外に連れ出した。
その様子は警備カメラに15時39分に記録されていた。
この映像は一般公開され、犯人が子供である証拠となり非常に大きな社会的影響を与えた。
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買い物が終わって店の外に出た母親は被害者の姿がないことに気付き、すぐさま警備員に相談した。
被害者を連れて2マイル半(約4km)歩いた2人は人気のない水路で被害者の頭部と顔面に激しい暴行を加え、頭を地面に叩きつけた。
後に名乗り出た目撃者は、1人の少年が幼児の胸部を蹴っていたと証言した。
被害者を連れて2人が歩いている所は合計38人に目撃され、その内の何人かは被害者が負傷している事に気づいていた。
だがその他の目撃者は被害者が少年らと嬉しそうに歩き、時折笑っていたと証言し、少年2人が後に被害者に暴力をふるうとは思わなかったと述べている。
目撃者のうち何人かは2人に声を掛けたが、2人はこれから怪我をした弟を警察に連れて行くところだと言った。
最終的に2人は瀕死の被害者をマージーサイド州ウォルトンの線路上に放置した。
被害者の口には乾電池が詰め込まれ、顔には青いペンキが塗られた。
更に2人は重さ22ポンド(約10kg)の鉄の棒で暴行を加えた。
遺体を線路に直角に横たわるように放置したのは、事故死と偽装するためだった。これらのことは後の裁判で明らかになった。
警察の調べで、加害少年は2人とも、被害者の顔面に塗られたものと同じ青ペンキが服に付着しており、靴にも血痕が付着していたことが判明した。
DNA鑑定したところ、明らかに被害者の血液だった。
失踪から2日後の日曜日、遺体が発見されたが、その上を列車が知らずに通過したため、発見された時点では上半身と下半身が轢断された状態になっていた。
この事件を教訓として公共の場に警備カメラの設置が相次いでいる。
現在イギリスでは600万台以上の監視カメラが設置されており、よほどの裏道か田舎でもないかぎりこの監視カメラから逃れる術はない。
防犯カメラや目撃者の証言により、ジョンとロバートが犯人だとわかり逮捕された。
幼児を誘拐し殺害したのが10歳の少年2人ということで、イギリス史上最も若い犯人による殺人事件となり報道は過熱する。
10歳ということで裁判所では実名での報道を規制したり、顔が見られないように壁で包囲して移動したりと様々な配慮がなされた。
そして逮捕されたその後、2人は精神鑑定を受けた。
2人の犯人はジェームスにしたことを笑いながらなんの罪悪感もなく自供していたという。
「ジェームスを線路に放置したのは事故に見せかけるためだった」とその後の裁判で彼らは悪びれることなく自供した。
精神鑑定でのチェックが終わるまでの間、裁判所は拘置所ではなく2人のための宿泊施設を用意したが、このことが世間で批判されバッシングを受けるほどであった。
2人の裁判はプレストン刑事法院で行われた。
2人は裁判される際に未成年の子供ではなく、大人の犯罪者と同様に扱われた。
日本でも14歳未満の子供は責任能力がないとされており、大人の犯罪者として扱うのは法令に違反するものと思われる。
この判決が法治主義のイギリスで下ったことには管理人も驚いたものである。
更正の余地がある年齢と判断されたので、裁判の判決は懲役8年とされたが、これに対し批判の声が殺到する。
一部のマスコミは刑の軽さに猛反発した。
断罪デモが頻発し、巻き込まれることを恐れた親族たちは政府の庇護のもと名前を変えて引っ越したほどであった。
ジョン・ヴェナブレスとロバート・トンプソンは1995年、懲役15年の判決を受けるが、その後2000年になり刑期の見直しが行われ、2人の懲役は8年に戻された。
高等法院はこの決定を違憲と判断したのだ。おいおい少年法に違反してるのは違憲じゃないのか。
法廷では2人の家庭環境からの情状酌量は認められなかったが、両名とも悲惨な環境に生まれ育っていた。
ロバート・トンプソンは7人兄弟の末子であり、未婚であったその母親は重度のアルコール依存症だった。
父親も同じようにアルコール依存症で、母親や子供達に暴行・性的虐待を繰り返していたが、ロバートが5歳の時に蒸発した。
末子のロバートは年上の兄弟からもたびたび暴行を受け、一時は児童保護施設に収容されていた。
そのうえなんとロバートの自宅は事件の1週間前に全焼していた。
アルコール依存症の母親には7人の子供の面倒を見ることは不可能だった。
作家のブレイク・モリソンは、ロバート・トンプソンの家族について「ぞっとする、この家では子供達は親に傷つけられ、お互いを苦しめている」と表現した。
上から3番目の兄弟は兄をナイフで脅して警察に通報された記録がある。
ロバートは一時期里子に出され、戻ってきてからアスピリンで自殺未遂を起こして母親ともども病院に収容されている。
同じくジョン・ヴェナブレスの両親もまた離婚していたが、その後もお互い簡単に行き来できる所に住み、ジョンは1週間のうち2日は父親の家で過ごしていた。
母親が病を患った間、兄弟姉妹は学習障害から特殊学級への通学を余儀なくされた。
ジョン自身は異常なまでに活発で、他の男子児童とよく殴り合いの喧嘩をした。
学級内で孤立し、注目を集めようとして壁に何度も頭を打ちつける癖があったが、教師もクラスメートも注意を払わなかった。
母親は3歳・5歳・7歳の子供を家に残したまま出掛け、保護責任遺棄容疑で警察から呼び出しを受けている。
この件について警察では、母親はうつの兆候が認められ自殺の危険性が高いと記録している。
ネグレクトの子供に多い承認欲求の高い子供であったらしい。
2001年6月、仮釈放委員会は2人が再び社会の脅威になることはないと判断し、釈放できると断定した。
デイヴィット・ブランケット法務大臣(当時)は2001年の夏に釈放を決定した。
釈放に際して2人には新しい身分が与えられる事になった。2人の釈放と新しい人生の構築に関連して4億ポンドの公費を要した。
つまりロバートとジョンという少年の生きてきた痕跡は削除され、新たな名前、そして新たな戸籍や住居が与えられたのである。
ここまでの犯罪者保護プログラムは日本にはなく、一般に日本という国は犯罪者に優しいと言われるが決してそのようなことはない。
その後釈放されたロバートは麻薬に手を出したりもしたが、結婚後はごく普通のサラリーマンとして穏やかに暮らしているという。
しかしジョンの方は児童ポルノ法違反や児童虐待画像所持などで何度も逮捕され、社会に対する危険性を排除できないという観点から2017年時点では釈放が見送られている。
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