第37話 女優シャロン・テート殺害事件

2009年9月27日、スイスである映画監督が身柄を拘束された。

30年前13歳の少女への淫行罪で告訴され、そのとき逮捕から逃れるためにアメリカに亡命した男が32年の時を経て罪を問われることとなったのである。

男の名をロマン・ポランスキー。

映画監督としてはそれほど名がしれているとは言い難いが彼の名を知っているアメリカ人は多いだろう。

何の因縁か彼が逮捕される2日前、カリフォルニア州チャウチラにある女子刑務所で1人の囚人が病死した。

彼女の名はスーザン・アトキンス。

ロマン・ポランスキーの妻で女優であったシャロン・テートを殺し終身刑で服役していた女であった。

しかし彼女はただの実行犯にすぎない。

彼女をそそのかし、犯行にいたったのには1人の男の狂気が存在した。

アメリカの凶悪犯のなかでも知名度の高い事件の主犯はチャールズ・マンソンと言った。



チャールズ・マンソンは1934年11月11日か12日に生まれたらしい。

らしいというのは母親の記憶があいまいであるからだ。

母親キャスリーン・マドックスにとってチャールズの誕生はその程度のものにすぎなかったのだ。

そればかりではない。

チャールズは当初名無しであり、ようやくチャールズという名がつけられたのは生後から数カ月が経過していたという。

母親が一時結婚したことでマンソンという姓を手に入れたチャールズはその後5歳までまともに子育てをしたとも思えない母のもとで成長した。

しかし母とその兄がガソリンスタンドを襲撃し、懲役5年の実刑判決を受けたことでチャールズは祖父母のもとに預けられる。

情緒が不安定であったチャールズは祖父母の家にもなじめずその後親類の家を転々とする。

遂には見放されて孤児院にいれられるがどこで聞いたのか母の刑期終了を待って孤児院を脱走した。

そこまでして慕った母であったが、もともと名前をつけることすら忘れているような母親である。はるばる訪ねてきたチャールズをスーザンは邪魔者扱いして追い出した。

もはやチャールズを受け入れてくれるものはこの世のどこにも存在しなかった。

9歳にして初めて少年院にいられるとその後も犯罪を犯しては少年院、成人してからは刑務所へと収監されるのを繰り返す。

おそらく犯罪と刑務所だけがチャールズの命を繋ぐ手段だったのではないだろうか。


ところが長い刑務所暮らしから久しぶりにシャバに戻ったチャールズは今まで彼の知っていた小さな世界がすっかり変わってしまっていることに気づいた。

ちょうどそのころアメリカはベトナムの反戦運動とヒッピー文化が花盛りであったのである。

初期のヒッピーは薬物による悟りや覚醒を重視し、自然なSEXを奨励し、コミューンと呼ばれる共同体を作って生活していた。

奔放な彼らの生きざまは無軌道なチャールズの性分によくなじんだ。

たちまちチャールズは流行に乗るメアリー・ブルンナーやパトリシア・クレンウィンケル、スーザン・アトキンスたちを篭絡してマンソンファミリーを形成した。

それは当時のヒッピーの若者としてはそれほど珍しいことではなかった。


チャールズは流行の渦中にいる人物としてそれなりに世間に知られた存在であったらしい。

ビーチ・ボーイズで有名なデニス・ウィルソンと親交を結び資金援助や自宅の一部をチャールズに解放したりしていた。

後に関係は破綻するが、彼らの親交の証としては「Never learn not to love」という曲があげられる。

楽曲のクレジットはデニス・ウィルソンの作品ということになっているが、この曲のオリナル・タイトルは「she’s to exit」」といい、この曲の作者はチャールズ・マンソンその人なのだ。

このころチャールズはレコードデビューを本気で意識していたらしく、実際にレコーディングされた曲も存在する。

彼が事件の直前までレコーディングしていた曲は現在も保存されており、youtubeで聞くことも可能である。

ここで問題の男が登場する。

それがプロデューサーのテリ・メルチャーであり、デニス・ウィルソンから紹介された彼はチャールズにとって自分をひのき舞台に立たせてくれる天使でもあった。

だがその思いはかなえられることなく、チャールズの一方的な妄想であったのか、実際にテロ・メルチャーがデビューの約束を反故にしたのかはわからないが、自分のレコードをリリース出来ないと知ったチャールズは心の底からテロ・メルチャーを憎悪した。


さらにこのころ閉鎖された共同生活を営むなかでチャールズの自我は肥大化し妙な妄想にとりつかれる。

当時メジャーシーンを席巻していたビートルズの「ヘルター・スケルター」を聞いた彼は突然、「これこそハルマゲドンの予言だ!」と叫び出した。

何を考えたのか論理的な整合性をそこに見出すことは不可能なのだが、チャールズは今後黒人の過激派が白人に対して一斉に蜂起し、その過程で核戦争にまで発展してしまうと考えた。

そして結果黒人が勝利して白人は全滅するが黒人に社会を統治する能力はない。

そこでデス・ヴァレーの洞窟で生き残ったマンソン・ファミリーが世界を統治すると確信したのである。

どうやったらチャールズに世界を統治する能力があるのか小一時間問い詰めたいところだがチャールズは大まじめにその予言を信じていた。

それどころか予言の成就のため、黒人の蜂起を早めようと黒人による犯行を偽装した犯罪に手を染めていく。

予言成就のための自作自演にオーム真理教を思いだしたのは管理人だけではあるまい。

もちろんそんな犯行がいつまでも続くはずがない。

窃盗の容疑でファミリーのメアリー・ブルンナーやボー・ソレイユが逮捕されたことを知ったチャールズは「今こそヘルター・スケルターの時は来た」と叫んだ。

そこで標的とされたのが恨み重なるテロ・メルチャーであったが彼はすでに屋敷を売り払って引っ越しており、そこには全く関係のない映画監督ロマン・ポランスキーとその妻シャロン・テートが暮らしていた。


犯行当日、ポランスキーは欧州に出かけていて留守にしており、妻シャロンが三人の友人を招いてパーティーを行っていた。

チャールズたちはまず電話線を切断して警察を呼ぶことを不可能にしておいて次々と柵を乗り越え邸内に侵入した。

その途中でたまたま通りかかったスティーブン・アール・ペアレントという若者が射殺されている。


最初に彼らの侵入に気づいたのは居間で仮眠していたフライコウスキーだった。

彼は銃を構えた侵入者に「誰だ?」と問いかけたがチャールズは「悪魔だ。悪魔の仕事をしにここに来た」と答えた。

このときチャールズは目の前の人間が誰だかいっさいわからず、そもそも邸内に何人人がいるのかまったくわかっていなかったという。

ナイフで脅されながらテートとヘアドレッサーのセブリング、コーヒー王の相続人フォルジャーと幻覚剤の売人フライコウスキーが居間に集められた。

ここで暖炉の前にうつぶせになることを命じられテートが妊娠していることを知っていたセブリングが抵抗する。

チャールズの右腕であったテックス・ワトソンはセブリングに発砲し、それでも抵抗をやめないセブリングに対し何度もナイフを突き刺すと最後には首をロープで締めて殺害した。

死亡したセブリングを天井の梁からつるすと今度ハテートとフォルジャーにもロープを巻きつけ、つま先立ちにならないと首が締まるようにして吊るす。

そうしてひとしきり彼女たちの悲鳴を端のうしたワトソンはアトキンスにフライコウスキーの殺害を命じた。

慌てて必死で逃げ出したフライコウスキーの背中にナイフが突き刺され、それでも死なない彼の背後から2発の弾丸が発射される。それでも死なないために最終的には銃のグリップで

頭部を殴って撲殺。ロープを振りほどき半狂乱で逃げ出したフォルジャーもまたアトキンスとワトソンによって全身をめった刺しにされて刺殺された。


最後に残されたのはテートである。

臨月を迎え大きなお腹を抱えていた彼女は涙ながらに懇願した。

「お願い私を殺さないで!私は赤ちゃんを産みたいだけなの!」

「知ったことか、この売女」

無情にもアトキンスはテートの腹部にむかってナイフを振り下ろした。

後に夫のポランスキーはこの胎児にポールと名付けテートとともに埋葬している。

全身を16ケ所も貫かれたテートは激しく出血して死亡、その血でタオルを濡らしたアトキンスは居間のドアに大きく「pig」と書きなぐった。

のちに自分が殺したのが誰であるかを知ったアトキンスは「ゾクゾクした」と語っている。

全米に名を知られた女優を殺害したということがうれしかったのである。

 

その後チャールズたちはスーパーマーケットのオーナー宅を襲撃し、多額の現金を強奪するが、もともと犯罪歴のある彼らは習慣的に行う日常の軽犯罪で次々と逮捕されていった。

まずマンソンが自転車泥棒で逮捕され、別件でアトキンスが逮捕される。

そこでアトキンスが同じ房の囚人に自分がシャロン・テートを殺したと自慢したことで芋づる式に実行犯が逮捕された。

まぬけなファミリーのまぬけな最後であった。


当然彼らは死刑が宣告されたがカリフォルニア州では死刑が廃止されたために無期懲役に減刑され2013年3月現在なお78歳でチャールズ・マンソンは存命である。

これほどの凶悪犯罪を行ったにもかかわらず、すでに11回もの仮釈放申請を行っているが、彼の生きているうちにその望みがかなえられることはないだろう。

テートの哀願と同じように。

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