第26話 八甲田雪中行軍遭難事件

 八甲田雪中行軍遭難事件は1902年1月に大日本帝国陸軍第八師団歩兵第五連隊が冬の八甲田山で雪中行軍の訓練中に遭難し、訓練の参加者210名中199名を失うという大損害を出した未曾有の

遭難事件である。

 この雪中行軍訓練は、当時日清戦争後ロシアの満州進出に伴い日本が仮想敵国をロシアと定めて酷寒の満州を戦場として戦うためのノウハウ集めとして企画されたものであった。

 実際にこの雪中行軍で得られた教訓は、のちの日露戦争において生かされたことが犠牲者にとってせめてもの慰めであったと管理人は思う。

 しかしこの遭難事故がリーダーの判断の誤りによる人災であったということも紛れもない事実なのである。




 この訓練に参加したのは青森の歩兵第五連隊と弘前の歩兵第三十一連隊であるが遭難したのは歩兵第五連隊のほうである。

 彼らはロシア軍の来寇で列車が動かなくなったことを想定し冬場に「青森~田代~三本木~八戸」のルートで、ソリを用いての物資の輸送が可能かどうかを調査する事が主な目的であった。

 1ケ月前から発令を受け準備を重ねた第三十一連隊と異なり、歩兵第五連隊へ実施命令が下ったのはわずか4日前で、彼らは3日分の食糧・燃料・缶詰や鍋釜をソリ14台で引く計画を立てており

ソリの重量はおよそ80キロで最低4人で引く計画であったが実際にはソリの横滑りなどによりより多くの人員が必要であった。


 そして運命の1902年1月23日、午前6時55分に歩兵第五連隊は青森駐屯地を出発。途中田茂木野において地元村民から行軍の中止と、もし行くのなら案内をという助言を無視して地図とコンパスのみでの

八甲田山雪中行軍を強行することになる。旧暦12月12日は山の神様の日にあたり、この近辺の日は山が荒れるという地元住民の言葉は軍の面目によって一蹴されてしまった。

 しかしわずか数時間後の午前11時35分、早くもソリの輸送部隊が遅れ始める。予想以上に積雪が多くソリが横滑りして思うように進まなくなったためである。

 部隊は輸送部隊の到着を待ってここで食事休憩を取らせるが、このあたりから急速に天気が悪化し始める。

 あまりの寒さに用意してきたおにぎりなどは凍結しとても食べられないために兵士たちは銃剣などで削り取って食事する有様で、食べるのをあきらめ雪の中に捨てるものも続出した。

 この時点で気温は零下11度に達しており、休息をとったために汗が冷えてしまい体温は低下していた。


 状況の悪化を見た永井三等軍医が隊長である神成大尉に帰営を進言する。

 すでに計画からは大幅な遅延が見られ神成大尉も帰営に傾きかけるが、軍の威信を気にして上官である山口少佐に判断を仰ぐ。

 幕営で会議が開かれると将校たちは帰営を支持したのだが、挫折をしらない見習士官たちが強行を主張した。

 若い彼らにとって今後の出世街道に影響する不名誉などあってはならないことであったのである。

 さらに古参の伍長達が(彼らは階級は低いが実質的に兵士たちを取りまとめる管理職であった)こんな恥さらしなことはないと一喝。

 これにはさすがの山口少佐や神成大尉も口をはさむことができなかった。

 誰よりも現場を知っているはずの伍長たちの言葉はそれほどに重いものであった。


 11時59分、第五連隊は行軍を再開する。

 しかし行軍を開始してまもなく猛烈な吹雪が連隊を襲う。

 視界は効かず積雪はたちまち腰部にまで達した。部隊の燃料や食糧を積んだ輸送部隊はソリが進まずにたちまち本隊から遅れ離されていった。

 

 16時13分、連隊は馬立場に到着した。

 目的地の田代まで残り3kmの距離であったが、輸送隊が大幅に遅れておりとても追随できる状況ではなかったため神成大尉は第二、第三小隊を応援のために軽装で分派した。

 同時に藤本曹長以下15名を先遣隊として田代に先発させている。

 この付近から積雪量は腰どころか胸にまで達しており、速やかな移動は不可能な状況となっていた。

 一向に進まない状況のために輸送部隊はついにソリの放棄を決断。各隊員はソリに乗せられていた物資を人力で持ち運ぶこととなる。

 特に陸軍名物の銅釜を持たされた兵士は悲劇で残り少ない体力をあっという間に奪われることとなる。

 しばらくして先遣隊である藤本曹長達が戻ってきた。

 しかし進路の状況を確認できたというわけではない。彼らは吹雪のなかで進路を見失い連隊の最後尾に戻ってきてしまったのである。

 これを知った山口少佐はなぜかこの事実を神成大尉には知らせず新たに水野中尉と田中・今泉見習士官を送り出す。

 20時15分、水野中尉たちも進路を確認することはできず、連隊は田代まで残り1.5kmの地点で雪壕を作り野営することを決断する。

 ようやく雪壕が完成したのは23時45分のことであった。

 サラサラのパウダースノーではかまくらをつくることは不可能で本来はさらに深く縦穴を掘った後横穴を掘るものらしい。

 午前1時、兵士たちに食糧が配られるも雪壕では満足に米が炊けず半煮えの粥のようなものを口にするのが精いっぱいであった。また体温維持のため酒がふるまわれたが炊釜で温められたために

異臭がすごく、ほとんどのものは口にしなかった。

 ここで山口少佐がすでに訓練の目的は達したとして帰営を決断する。

 兵士たちに凍傷者が続出することを危惧してのことであったがこの決断はあまりにも遅すぎた。

 午前2時30分、連隊は雪壕を出て帰路につく。この時点で気温は零下24度に達していた。

 体力も回復していない状況で深夜雪の中を泳ぐようにして出発した連隊は猛吹雪による視界不良のために致命的なミスを犯した。

 道に迷ったのである。

  ここで佐藤特務曹長が道を知っていると進言したために山口少佐は特務曹長の案内で隊を前進させるが、不幸にも佐藤特務曹長は道を誤り、連隊は駒込川の本流に出てしまった。

戻ろうにも帰路は深く積もった雪に閉ざされ彼らは本格的に遭難状態に陥ったことを知った。

 あやまって鳴沢の渓谷に迷い込んだ連隊はやむを得ず崖をよじ登って馬立場を目指したが、ここで寒さのため握力の低下していた兵士が幾人も崖から滑り落ちていった。

連隊最初の犠牲者であった。

 しかしこの時点では猛吹雪の視界不良と轟音のために滑落した兵士がいることに誰も気づいてはいなかったという。

 崖を必死でよじのぼりやっとの思いで高地に達したのもつかの間、第四小隊の水野中尉が凍死する。

 上位者である士官水野の死は部隊の兵士の士気を著しく低下させた。

 結局わずか数百m進んだだけで連隊は小規模なくぼ地を見つけ再びそこで露営することとなる。

 しかし不眠不休で進んできた兵士たちの体力はすでに限界であった。

 猛吹雪のなかで隊列がのびきっていた連隊は統制を失い四分五裂しており、また雪壕を掘る体力もなかった兵士は吹きさらしの露天で低体温症を発し次々と凍死していった。

 低体温症の幻覚で発狂して全裸になったりした兵士が現れたのはこのときである。

 吹雪は一向に止まず夜明けを待つはずであった連隊は午前3時、再び馬立場に向かって出発する。

 この時点で70名以上が死亡しており、生き残った兵士も大半が凍傷にかかっていた。

 頼りのコンパスは凍りついて役に立たず、勘に頼って進むというみじめな有様となり果てていた。

 その後部隊は鳴沢にまで達したが崖に道を阻まれ道を引きかえすも前方を山に遮られて進退きわまる。

 ここで生還した後藤伍長の談によれば神成大尉は部隊を解散して各々進路を見出して生還するよう命令したらしい。

 映画で有名な「天はわれらを見放したらしい」という言葉もこのときに吐かれた。

 少なくとも軍人として隊を率いる者が口にしてよい言葉ではない。

 この一事をとっても神成大尉は部隊の指揮者として適性を欠いていた。

 案の定この言葉でこれまでなんとか気力を保っていた兵士たちから発狂したり倒れ込むように落伍するものが続出した。

 この彷徨で興津大尉以下30名が凍死、長谷川特務曹長のように滑落した先でたまたま山小屋を見つけた僥倖もあったが櫛の歯が欠けるように兵士たちは絶命していった。

 部隊の最上級者である山口少佐も第二露営地で人事不省に陥り一説ではここで凍死したとされている。


 翌朝の午前7時、倉石大尉は比較的元気なもののなかから12名を募り二手に分かれて斥候に向かわせた。

 意識もうろうとした兵士たちは木が揺れるだけで「救助隊が来た!」などと錯覚し集団幻覚を見るような状況であったが倉石は春日喇叭卒に喇叭を吹かせて冷静さを取り戻させた。

 しかし春日喇叭卒も凍傷が悪化し翌日死亡する。

 その後斥候に出ていた佐々木一等卒が帰還し帰路を発見するが、そのころには部隊は統制を失い大橋中尉や永井軍医が落伍して凍死していた。

 午前0時、倉石大尉と神成大尉が合流して馬立場北方の森の中で夜営する。死んだ兵士の背嚢を燃やすなどして暖をとるも体力のない兵士たちはさらにバタバタと凍死していった。

 4日目を迎えた1月26日、神成大尉と倉石大尉はいかなる理由か隊を二手に分けることを決断する。

 神成大尉が数名と田茂木野を目指し、倉石大尉が二十名近くを率いて青森を目指した。

 同じころ村上一等軍医と三神少尉率いる救援部隊が地元の村民27名を雇って出発するがおりからの猛吹雪のため村上一等軍医の強い進言により引きかえしている。

 翌1月27日、倉石大尉の率いる隊は懸崖にはまってしまい進むことも引くこともできなくなっていた。

 神成大尉の方は比較的順調に進んでいたが、猛烈な吹雪から身を隠すことが出来なかったためにあえなく二人が凍死し、神成大尉と後藤伍長の二人きりになった。

 ここで神成大尉は後藤伍長に田茂木野に向かって住民を雇い、連隊への連絡を依頼せよと命令したとされる。

 後藤伍長は朦朧とした意識のなかで懸命に田茂木野へむかって一人吹雪のなかを前進した。


 午前10時半ころ、仮死状態で吹雪のなか直立している後藤伍長を救援隊が発見。

 のちに後藤伍長はこのときのことを「其距離等も詳かに知る能はず、所謂夢中に前進中救援隊のために救われたり」と述べている。

 意識を取り戻した後藤伍長が「神成大尉」と微かに語ったため捜索したところ約100m先で倒れている神成大尉を発見した。

 後藤伍長は無我夢中で進んだつもりだったがわずか100mしか進めていなかったのである。

 軍医が気つけのため注射をしようとしたが皮膚まで凍っていた神成大尉の身体に針が折れてしまったためやむなく口を開け舌に針を突き刺した。

 もちろんそんな状態で大尉が蘇生するはずもなく凍死が確認される。

 19時40分三神少尉は雪中行軍の訓練部隊はほぼ全滅であること。救援部隊60名も半分が凍傷を負って行動不能であることを報告する。

 到着が遅れているとはいえ訓練部隊の無事を信じていた第五連隊長の津川中佐はこの報告を聞いて蒼白になった。


 一方孤立した倉石大尉の隊は錯乱して川に飛び込む者が続出し次々と数を減らしていた。

 救援隊の必死の捜索にもかかわらず、彼らが発見されたのは訓練の出発から9日目の1月31日のことであった。

 20名いたはずの倉石大尉の隊はわずか9名の生存者を残すのみとなっていた。

 この日鳴沢北方の炭焼き小屋に避難していた三浦伍長たちも発見された。山小屋のまわりでは16名の凍死体が発見され、そのなかには1月31日の朝に死んだばかりの兵士の姿もあった。

 後日救助にあたった兵士は救助があと1日早ければかなりの兵士が助かっていただろうと語っている。

 もはや生存が絶望視されていた2月2日、滑落した先でたまたま山小屋を発見した長谷川特務曹長らが発見され、また15時には最後の生存者となる村松伍長が田代元湯近くの山小屋で発見された。

 最終的に17名が救助されたものの、6名が治療の甲斐なく死亡し生き残ったのはわずか11名という日本史に残る大惨事であった。

 また生き残ったものの多くは凍傷のため指や腕、足などを切断するはめとなった。

 

 訓練隊の山口少佐は入院先で心臓まひのため死亡した。

 陸軍が不祥事の責任をとらせるため暗殺した、拳銃で自殺したなどの都市伝説があるがカルテや記録を精査したところクロロホルムの投与による心臓まひというのは事実らしい。

 むしろ山口少佐が死んだことを奇貨として責任をかぶせたというのが真相であろう。


 雪中行軍の参加者である兵士は岩手・宮城の農家出身が多く青森のような厳冬地の経験に乏しかった。

 生き残った兵士の話ではトレッキングのような少々骨の折れる遠足のようなものと楽観的に考えていた節がある。

 山小屋で生き残った長谷川特務曹長のように対寒装備に一定の知識があった者は予備の地下足袋を手袋代わりにしたり、軍銃の皮を剥いで足に巻き凍傷を防いだ者もいるが、それはあくまでも

個人レベルにとどまった。

 参加した兵のほとんどは替えの手袋も足袋も下着ももっておらず、濡れたところから凍傷になり体力を奪われて死んでいったことがのちの調査で明らかとなった。

 

 装備の不備もさることながらのちに日露戦争で軍神とされる福島泰蔵大尉の第三十一連隊が一人の犠牲者も出すことなく雪中行軍を成功させたことを考えれば悲劇の一番の理由はリーダーシップの欠如というほかはない。

 本来指揮者であるはずの神成大尉であったが、上官である山口少佐が同行していたり、階級では同僚である大尉が数多く適切なリーダーシップがとれなかったことが災いとなった。

 神成大尉は「天は我らを見放した」ともらしたと伝えられるが、福島大尉は出発前の訓示のなかで「天に勝て」と発言したと言われる。

 どちらの指揮官が非常時の部下を預かるものとして有用であるか、それは大自然の脅威が残酷な答えを示したと言えるかもしれない。

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