第18話 埼玉愛犬家連続殺人事件

 管理人にとって、この事件には特別な感慨があります。

 なぜなら殺人の舞台は管理人が大学生活を過ごした熊谷市で、犯人が犬を訓練していた施設は熊谷キャンパスから歩って10分ほどの近くにありました。

(本店は八木橋デパートの道路向かいで、来店した芸能人の写真などが飾られていた)

 巨大なシベリアンハスキーやアラスカンマラミュートを連れて散歩している犯人を、私も大学の友人たちも日常的に目撃していたのです。

 犬・猫・狼アフリカケンネル――その大きな立て看板を当時の立正大生は脳裏に思い描くことができるでしょう。



 埼玉愛犬家連続殺人事件とは、1993年に日本の埼玉県熊谷市周辺で発生した殺人事件である。

 マスコミ報道が先行した事件であり、被疑者の映像が連日映し出された上、完全犯罪を目論んだ残忍な結末が明らかになるなど異常性の高い事件であった。

 平成7年1月5日、埼玉県警は埼玉県・熊谷市のペットショップ「アフリカケンネル」経営の関根元(当時53歳)と元妻で共同経営の風間博子(当時38歳)の2人を死体遺棄の疑いで逮捕した。


 関根は犬の繁殖場の建設で1億4000万円の借金を抱えていた。(立正大学熊谷キャンアスの傍にあったのがこれ)そこで、なりふり構わず不当な価格で犬の販売を行った。

 平成6年4月、産廃処理会社経営・川崎昭男(当時39歳)に対して実際は数十万円のアフリカ産の犬を1000万円で売りつけた。

 後日、購入した犬が時価数十万円程度であることを知った川崎は関根に代金の返済を求めた。


 そこで、関根は川崎を呼び出して栄養剤だと偽って犬薬殺用の「硝酸ストリキニーネ」入りのカプセルを飲ませて殺害した。硝酸ストリキニーネは、知人の獣医に「犬を安楽死させるため」と偽り50人を殺害できる量の5グラムを譲り受けていた。


 この殺害を知った暴力団幹部・遠藤安亘(当時51歳)とその運転手・和久井奨(21歳)を口封じのため7月に殺害。8月末には、主婦・関口光江(当時54歳)に犬の販売トラブルで殺害した。いずれも「硝酸ストリキニーネ」を飲ませて殺害し、群馬県片品村にある犬飼育場に遺体を運び、風間と2人で浴槽にて包丁でバラバラにした。また、同社の元役員・志麻永幸(当時38歳)に依頼して細切れにした肉片は川に棄て、骨はドラム缶で焼き、残った骨灰は近くの山林に棄てた。


 このドラム缶で遺体を焼いたのが荒川の河川敷なのだが、当時管理人が住んでいた河原町のK荘は荒川のすぐ傍であり、上流で犯人が遺体の肉や骨を流したとすると、その下流にあたるわけである。

 花火したりBBQしたりしてたのに…………


 犯人の関根元だが、1942年(昭和17年)1月、埼玉県秩父市生まれである。

 「アフリカケンネル」の創業者で、実質的な経営者。ペットや猛獣の扱いにかけては天才的で、ブリーダーとしての腕は非常に優秀だった。

 シベリアン・ハスキーブームの仕掛け役、アラスカン・マラミュートの第一人者とまで言われた、業界の有名人。

 かつては故郷の秩父市で、ペットショップや動物リース業を営んでいた。

 しかし、売った犬を盗んで別の客に売ったり、殺して新たな犬を売りつける等、当時から悪質な商売を繰り返していた。

 また、トラやライオンなどの猛獣も扱っており、近隣住民から恐れられ、嫌われていた。その後、付き合いのあった暴力団とのトラブルなどが原因で、一時期静岡県伊東市に姿を眩ますが、1982年(昭和57年)、埼玉県熊谷市で「アフリカケンネル」を開業した。

 人間心理を読むことに長けており、ヤクザのような風体とは裏腹の、独特なユーモアと巧みな話術に引き込まれる人も多かった。

 その一方で、前述のようなあくどい商法や、顧客に対する脅し、暴力団関係者との交友などから、深い関わりを避ける同業者も多かった。

 また、虚言癖があり、自分が異端の経歴を持つ資産家であるよう装っていた。

 周囲の知人や店の客に対してばかりでなく、著名なブリーダーとして雑誌やテレビの取材を受けた際にも、同様の虚言を弄し、店の宣伝に大いに利用していた。

 ヤクザの金に手をつけた事情で左手の小指を詰めているため、左手の小指がない。


 一連の事件で特筆されるのは、関根が「ボディを透明にする」と呼んだ残虐な遺体の処理方法である。

 被害者4人の遺体は山崎方の風呂場で解体された。

 骨・皮・肉・内臓に分けられた上、肉などは数センチ四方に切断。骨はドラム缶で衣服や所持品と共に、灰になるまで焼却され、それらは全て山林や川に遺棄された。

 関根は、遺体を埋めても骨は残ることから、焼却してしまうことを考案。しかし、遺体をそのまま焼くと異臭が発生するため、解体して骨のみを焼却したという。

 燃え残りが出ないよう、1本ずつじっくり焼くという念の入りようであった。

 このことについて、山崎永幸は、関根が『面白い・楽しい』と供述したと、話しており、快楽殺人ともとれる。

 遺体なき殺人は立証が難しく、よくヤクザが死体を隠すために使うと言われるのがコンクリートとアスファルトであるが、この愛犬家連続殺人事件も共犯者の 自首がなければ逮捕することは困難であったと思われる。

 発覚したのが卒業後で本当によかった!!



関根元の言葉


気に入らない奴は全部透明にしちまえばいいんだ


出典

犯罪者の印象に残ったセリフ集


人間の死は、生まれた時から決まっていると思っている奴もいるが、違う。

それはこの関根元が決めるんだ。俺が今日死ぬといえば、そいつは今日死ぬ。

明日だと言えば、明日死ぬ。間違いなくそうなる。何しろ、俺は神の伝令を受けて動いているんだ


出典

サメ石:関根元と風間博子の「愛犬家連続殺人」死刑が確定


俺は殺しを十代のころからやっていて、仲間も十人いる。最初に殺ったのは秩父のラーメン屋で、川崎は三十二人目だ。俺が捕まったら、記事の見出しは昭和の殺人鬼だな


出典

サメ石:関根元と風間博子の「愛犬家連続殺人」死刑が確定


お前もやってみろよ。冷んやりして気持ちいいぞ。




 さて、最近実話怪談が流行しているがそのなかでも有名なのが三木大雲和尚である。

 管理人と直接の面識はないが、なんと立正大学の同級生なのだ。

(もちろん和尚は仏教学部で私は法学部だった)

 その和尚が、アフリカケンネルで危うく殺されるところであったという。

 京都出身である和尚は、たまたま訪れたアフリカケンネルでペットを見ていたところ、関根に声をかけられた。

 同じ関西弁であったこともあって、親しく会話することとなった和尚は缶コーヒーをごちそうになった。

 不思議なことに5本ほど缶コーヒーを並べ、どれか一本を選ばせた。

 卒業するまでそんなことが何度もあった。


 そして関根が殺人犯として逮捕され、たまたま担当の教誨師(死刑囚の懺悔や悩みを聞いたりするお坊さん)が和尚の先輩であった。

 その先輩から、和尚は驚愕の話を聞くことになる。

 「昔、アフリカケンネルに若い修行僧が来とった。そいつがな、毒入りの缶コーヒーのなかから三回が三回とも毒のないコーヒーをあてよったわ。わしはお化けやら何やらは信じんが、もしかしたら神仏ってのはいるのかもしれんなあ」

 そう、和尚は毒入り缶コーヒーのロシアンルーレットを引かされていたのである。

 よくもまあ生き残ったものだと思う。


 この愛犬家連続殺人事件、本人は30人以上殺したと言っているが、立件できたのはわずか4人に留まる。

 大学時代の思い出が深い熊谷市に幸あらんことを心からお祈り申し上げる次第である。


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