第55話 8月31日 それから

「慎一。アナタを愛してる」


 金髪の美女が怪しげに微笑む。

 髪の毛をかき上げたり、上目遣いに見つめたり、忙しない。

 目の前のブロンド美女はナイスバディで、長身である。ヒールを履いているのを差し引いても高身長だ。


 僕も今年で22になる。

 相変わらずの低身長で、ちんちくりんなのは認めよう。いや、認めたくないが一旦! 一旦認めよう!

 でもさ。

 いくらなんでも、しゃがみ込んで話される程、小さくはない。


「なんでキミ、僕のちん◯んに話しかけてんの?」

「あ、お父様デスカ?」美女が僕の息子から視線を上げ、僕の顔を見やる。

「そうだよ。僕のチンコ愚息に何か用かい?」


 金髪美女は僕の反応に満足したのか、ニマァと笑うとキャハハと笑いながら去って行く。

 あれで15歳だと言うのだから、世界は理不尽だ。


 僕は今、教師をしている。

 日本語の教師だ。

 いや、正確にはモルモット兼日本語の教師だ。

 17歳の時に、アメリカに連れて来られてから、はや5年。

 時々、脳波を撮られたり、血を採られたりはしているが、幸い監禁されることはなく、人間らしい生活は送れている。


「何なんだよ、まったく」


 僕は教え子の奇行に悪態をつき、職場から出て市場に向かった。

 母さんに卵と長ネギとアイアンマンのフィギュアを買ってくるように頼まれているのだ。

 アイアンマン以外は市場で揃う。

 アイアンマンは知らん。母さんがアイアンマンとゾイドを闘わせてみたいとかほざいていたが、知らん。


 ガヤガヤと騒々しく活気づいた市場を足早に進む。

 緩やかな坂道に、八百屋や喫茶などのお店が並んでいた。

 夕飯の買い物に来た主婦や、学校帰りの小中高生が行き交い、それなりに賑わっている。


「おっ! ペニスの王子様! トマトあげるよ! サービスサービス!」八百屋のおばさんがトマトを投げてよこす。


「ああ! ペニ神様ァ! 今日の降チン確率は何%ですかっ?」女子高生が僕の下半身に拝む。


「あら。チンパツ先生。今日もちんこパツパツ?」OLがふふふと上品に笑いながらセクハラをかます。



 うおォい! なんで僕チンコ関連で人気者なの?! 

 てか『降チン確率』って何なん?!

『今日もちんこパツパツ?』て挨拶何なん?!

 いや、原因は分かっている。僕が越してきた時にした自己紹介を伝え聞いたのだろう。


 僕が初めて街にやってきた日。

 施設の所長さんと握手を交わし、自己紹介をする流れだった。

 僕は緊張していた。

 なぜなら、今でこそ僕は英語が話せるようになったが、当時僕が知っていた英単語は『ハロー』と『ビッグ』と『ペニス』だけだったからだ。

 所長さんは本当は日本語が話せるのだが、彼に日本語は通じないと、僕は思い込んでいた。


「あー…………アイアム……あー……」


 僕が、何か知っている無難な英単語はないかと頭の中を掘り返していると、ふと下半身に居心地の悪さを感じた。

 俗に言う『チンポジ』が、悪かったのだ。

 僕は所長さんにジェスチャーで『待て』と伝えた。

 そして、ソレの微調整を行おうとして、止まる。


 待てよ。いきなりチンコいじり出したら僕は変な人ではないか。ここは所長さんに一言告げてからソレの調整を行った方が良さそうだ。

 僕はそう判断し、にこっと所長さんに微笑みかけてから言った。言えたのだ。なぜなら僕はその単語を知っていたから。


「あー……ペニス!」


「Oh……you're penis」


 それからである。

 僕のあだ名がMr.ペニスになったのは。

 僕の精子の男子出生率が異常に高いこともあって、真剣に僕をペニスの神として崇める者まで出始める始末である。




 チンコ関係者を全て無視して坂を登り切ると、よく行くカフェのテラス席から、馴染みの店員さんに声を掛けられた。

 今度はチンコ関係者ではなさそうだ、と胸を撫で下ろす。


「慎一。ちょっと、話があるんだけど」


 お姉さんは顔が若干赤く、チラチラと上目遣いに僕を見やる。

 僕はこれから起こるであろうことを予見し、心の中でため息をついた。



 ♦︎




「ごめんなさい。お姉さんとは付き合えません」


 僕はお姉さんに深々と頭を下げた。


「…………分かったわ。でも、理由だけでも……教えて」


 お姉さんが震えた声で、涙を溜めながら言う。

 店内の奥の席で勇気を振り絞って告白してくれたお姉さんに僕はなるべく誠実に断ろうと心掛けたが結局は何の工夫もない平らな言葉になってしまった。


「好きな人がいるんだ」


「……誰なの?」


「この街の人じゃないよ」


 なるべく、言葉を濁してごまかしたかったが、お姉さんはハッと事情を察する。僕がここに来る前に日本にいたことを知っていれば、当然か。


「昔の女…………ってこと?」

「まぁ、そんなとこ」


 お姉さんの目に再起の光が宿った。

 だからごまかしたかったのだ。でも、もう遅い。


「昔の女をいつまでも引きずってちゃダメよ慎一! 私が! 私が忘れさせてあげるから!」


 お姉さんはそう言いながら僕を抱きしめようと歩み出た。しかし、僕はお姉さんの鎖骨あたりを指先で軽く押して、制止する。


「忘れることは…………できないよ」


 多分もう二度と。




 ♦︎





「慎一」


 卵と長ネギとアイアンマンのフィギュアを買って、施設の入り口まで戻ってきたところで僕はまた声をかけられた。よく声を掛けられる日だ。


「あれ。所長さん。なんでこんなところに?」

「キミを待っていたんだ」

「わざわざ外で? 部屋で待っていればいいのに」

「緊急なんだ。キミに行ってきてほしい場所がある」


 所長の表情は明らかに余裕がなく、焦っているように見えた。事実、所長は施設に入ろうとする僕の背中を押して、施設の外に追いやる。


「ちょ! 痛い痛い痛い! やめて! せめてアイアンマンだけ部屋に置かせて! かさばるから」


「ダメだ! もう既に限界が差し迫っている!」


 なんの限界だよ!? 僕の我慢の限界だ。

 だが、僕がブチ切れたところで、女である所長の腕っぷしには敵うわけもない。


「とにかく! 慎一。今からここに行け。大至急だ! 寄り道するなよ! いいか絶対だ! 絶対だぞ」

 所長が手書きの地図を僕に押し付けた。


 絶対とか言うなお前。振るな振るな。

 そんな前振りしたって僕は絶対に寄り道などしない。絶対だ!

 真面目な人間には振りだとか、フラグだとかは通用しないのだ!

















 僕はアイアンマンのフィギュアのレシートを握り締め、おもちゃ屋へ向かった。

 やっぱりコレ返品しよう。



 ♦︎



 おもちゃ屋を出た僕は所長に渡された地図の場所に向かっていた。

 腕にはアイアンマンを抱えている。

 それも2体。

 返品しに行ったのに、もっとカッコ良いポーズのアイアンマンを見つけて、追加購入してしまった。

 そうなるともう返品はできない。

 1体になってしまったらアイアンマンが寂しがるからだ。つがいにしておかなければならない。


 指定された場所に着く。

 そこは街はずれの寂れた教会だった。

 こんな場所があったのか。

 この街に住んで5年になるが、一度も訪れたことのない場所だった。

 人の気配がまるでない。

 今も教会として機能しているのか不明だ。

 機能しているなら昔死んだペットのピースケを生き返らせてほしい。それがダメならセーブだけでもお願いしておきたいところだ

 教会の左右の庭園はしっかりと手入れがされていた。

 どうやら廃墟というわけではなさそうだ。





 装飾が施された重厚な両開き扉の前に立った時、なぜか懐かしさがこみ上げた。

 扉をノックする。

 コンコンと小気味良い乾いた音が響いた。

 返事はない。

 なんだ。誰かが待っているわけではないのか。

 僕はゆっくりと扉を開いた。
















 人は驚愕し過ぎると力が抜けるのだと知った。















 腕に抱えていたアイアンマンがするりと腕から抜ける。















 2体のアイアンマンはほぼ同時に落下し、床にバウンドしてから、まるでキスしているかのように顔と顔とが接触し、抱き合うように重なる。





























 僕はかすれた声で問いかけた。































「………………………………会長?」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る