A.D2321 武蔵野

直木 草明

五月十一日 大宮・川口より武蔵の浜を眺望して

 詩に詠まれ、随筆に綴られた名高い武蔵野とはこの先であろうか。古地図データを現在位置に重ね、古い姿を明らかにすると、森林や住宅、人の営為の痕跡が詳らかに浮かび上がる。なるほど、確かに野であった。

 多くの古書には、武蔵野の定義は曖昧と記されているが、同時に北は荒川、南は多摩川などと自然地形の境界線を引こうという試みがなされてもいる。したがって、川も大地も変容する文字通りの大局的な天変地異の前には、やはり可変的で曖昧な領域を描かざるを得ない。

古代より熊谷・本庄を含む武蔵国があり、武蔵野線という形跡もわずかな路線が広く引かれ、武蔵野台地が旧都の西方に位置した。

 車窓よりその俤を探しても、ビル群に阻まれて肝心の野は見えない。やっと少し開けたのは上尾辺りであろうか。しかしそこに広がるのは長い年月を経て、全てを飲み込んだ青ばかりである。

 古は森も夏野も数多あり 人は緑も青と呼びけり


久方ぶりに大宮駅を降りる。周辺よりもわずかに海抜が高く、半島のような形の一帯が水没を免れ、大宮駅はその中央に位置している。東北・北陸・上越各リニアのターミナルであるこの駅は、周辺を燃料水素や固体電池関連の基地に囲まれ、工業地帯の輸送拠点としての役割も果たしている。

 尤も、それは以前とは大きく形を変えた高崎線と東北本線の役割である。輸出入を担う港湾が置かれる川口とは少しばかり離れているが、京浜東北貨物線を利用した輸送ルートが確保されており、物資の往来は盛んである。京浜東北の浜は、遠方に聳え立つランドマークはじめ水沈タワー群の周辺を表す漢字と聞く。

 海原に聳える塔は夢の跡 今はいずこも空蝉か


 さいたま旧都心や川口港が工業や流通業によって栄えていても、この辺りに居を構える人はほぼいない。対照的にやや海抜が高く地盤が固い多摩市域には居住特区が設けられており、高層マンションに外国人を含む多くの富裕層が集住している。林立する巨塔が蜃気楼の奥に揺れている。その巨木群にとって、幹とは超電導エレベーターであり、維管束とは水没しないよう中層に設けられた電水維持装置である。かつてその地位にあった品川は、二本の巨塔跡を除いて跡形もない。船舶の出入を阻害する遺跡の多くが解体処理されたのも、もう150年前になる。

 古い塔が海に沈みかけた遺跡になって残っている。その対局には最新鋭の塔が今も建てられている。この構図はハワイの火山を思わせる。古い島は抜け殻のようになって海に沈み、新しい島に命は住む。偶然か必然か、人とその住まいの大地は同じ形を造った。

 その時代、世界中の港の多くは後退と損壊を免れなかった。アムステルダムや上海はその過半を沈め、旧市街は丸ごと海中遺跡と化した。東京や横浜にもいくつかの水没遺構が見られ、近い将来世界遺産に登録されるという噂も聞く。沿岸の遺産を守れなかったUNESCOが各国からの信用を取り戻すために、世界遺産登録を乱発中であるから、強ち嘘ではないかもしれない。

 頬を撫でる生温い風は、海岸の中武工業地帯から吹いている。しかし、世界でも類を見ないほど清潔で、不純物が完全に取り除かれた空気である。磯臭さや煤けた臭いなどは微塵もない。工場自体の排煙浄化は前々世紀に大きく進歩した上、定期的に交換される吸塵膜が街の随所に張り巡らされているため、人々が有害で不快な外気に当てられることはほぼ無い。

 潮風は磯の臭いを忘れ去り 煤や埃もつゆ知らず


 ここから西方の住宅地へ向かうには、武蔵臨海高速鉄道、通称MRKに乗る必要がある。一部は旧武蔵野線を利用していた時期があったと聞くが、今後のさらなる海進に備えて超深トンネルが設けられてからは、車窓からの景色は一変した。LED灯が通り過ぎるばかりの暗闇を景色と呼ぶかは議論が分かれるが、最近はこういった車窓に興趣を覚えるマニアもいるらしい。

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