PART2
彼女の名前は
『私みたいな凡人と違い、彼女はとても優秀でしてね。何しろ高校を飛び級で卒業し、ウチの大学に入ってきたんです。』
それだけじゃない。
医学部は通常六年間なのだが、彼女はそれを二年残しの四年で全単位を修得し、しかも卒業と同時に受験した医師国家試験も、たった一度で合格し、研修医も通常ならば二年以上のところをたったの半年で済ませ、いきなり医学部の准教授になった。
『要は天才、という訳ですな』
俺の言葉に、鴻ノ宮先生は、少しばかりムキになり、
『いえ、だからと言って、決して天才にありがちなお高く留まったような近寄りがたさは一切ありませんでした。お茶目なところもありますし、医学者としても
俺は苦笑しながら、ソファから立ち上がって窓を開けた。
幾ら喫煙自由だからって、たまには新鮮な空気を取り入れんとな。
『まあ、あなたとその光明寺何とか博士がどういう関係だろうと、私には特に興味はありません。何を調べて欲しいのか、それを話してください』
俺は窓際に立って、忙しく歩道を行き来する人々を見下ろし、口に咥えたシナモンスティックを揺らした。
『光明寺君が、今度ある国に行くのです。』
某国・・・・具体的な国名を挙げるべきなんだろうが、差し障りがあっちゃいけないからな。そこは伏せさて貰う・・・・まあ、便宜上”C国”とだけしておこう。
そこの医学研究所から招へいを受けたのだ。
研究の環境は米国を凌ぐほどであり、これまでノーベル医学・生理学賞受賞者を複数輩出している。
『結構な事じゃないですか。学者ってのは、日本みたいな狭い環境に留まっているよりも、世界に出てより幅広い研究者とコラボレーションし、人類全体に役立ち、その結果が、ノーベル賞に繫がれば、これほど名誉なことはないでしょう。しかも日本人女性科学者初となれば・・・・』
『その研究が、軍事研究に利用されるとしても、ですか?』
鴻ノ宮教授は苦いものでも吐き出すような表情で、まっすぐに俺の顔を見ながら、煙草の煙をため息と共に吐き出した。
『どういう事です?確か日本では、科学の軍事研究は行わないと、日本学術会議が宣言した筈じゃなかったんですか?』
科学とか、医学とかいった分野には、全く
近頃紙面を騒がせている話題を仕入れておくのも、探偵としての
『彼女が招かれたC国は、最近国を挙げて軍事研究に力を入れているのです』
教授はそこで言葉を切り、しばし沈黙した後、何本目かの煙草に火を点けてから話を続けた。
『ご存知かもしれませんが、基礎研究というのは、いずれの分野でも軍事目的への転用も十分に可能です。彼女の研究は神経伝達の速度を速めるわけですから、それによって兵士の能力をより向上させる。つまりはスーパーソルジャーを生み出すきっかけにもつながるわけです』
『で、そのC国がスーパーソルジャーの研究をしていると?』
『不確かではありますが、』
彼は俯いて煙と共にため息を吐き出した。
『しかし、私はただの私立探偵で、ジェームズ・ボンドでもゴルゴ13でもありません。国家的陰謀の解決なんてものは荷が重すぎます』
『私は彼女をマッド・サイエンティストにはしたくないのです。本当にそれだけなのです。』
『貴方がご自分で彼女に忠告されたら如何ですか?』
してみたが、聞く耳を持たなかったという。
”私は科学者だ。科学者は興味のある研究のためなら、何処にでも行く”きっぱりと言い切ったそうだ。
『くどいようですが、もう一度確認させてください。これは恋愛問題とは無関係なんですね?』
『直接的には無関係です。彼女にオッペンハイマーの二の舞にはしたくありません』教授は実に持って回った表現を使ったが、彼の眼にはウソはないようだった。
ロバート・オッペンハイマー、アメリカの生んだ天才物理学者。1945年、日本に投下された二発の原爆・・・・リトルボーイとファットマンの産みの親、原爆の父。
後に”物理学者は罪を知った”という有名な言葉を残し、苦悩の中に生涯を終えた悲劇の科学者・・・・
鴻の宮教授は光明寺早苗が似たような運命を辿るのを何としても阻止したいのだろう。
『分かりました。それなら問題ありません。探偵料はいつも通り一日六万円と必要経費、但し今回の場合、危険手当につきましては倍増しの八万円という事にして頂きたい。ご異存がなければ、契約書をお渡ししますから、署名をお願いします』
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