純真なマッド・サイエンティスト
冷門 風之助
PART1
”物理学者は罪を知ってしまいました。もはやそれは後戻りの出来ない事実なのです。”
J.ロバート・オッペンハイマー・・・・米国の科学者,原爆の父。
◇◇◇◇◇◇◇◇
演壇の上では、一人の女性が、スクリーンに映し出された映像をレーザー・ポインターで指し示しながら、自信満々と言った表情で、内外から詰めかけた大勢の研究者、医師、そして医学生達の前で熱弁を振るっていた。
白衣を着て、銀縁眼鏡をかけた彼女は、医者として、科学者としてはまだ若い。
年齢は満29歳、間もなく30になるところ。
つい最近医学博士号を取得したばかり。
そんな彼女が居並ぶ先輩たちの前で、堂々たる喋りっぷりで、説得力のある講義を行っているのだ。
二階の聴講席の片隅で腕を組んで聞き入っている俺でさえ感心したほどである。
あと一週間もすれば、C国の国立研究所の特別研究員として招聘されることが決まっている。
彼女の研究テーマは”ヒトの神経伝達物資の向上”に関する研究。
この実験を基礎にすれば、それまで治らなかった難病の治療に十分役に立つという。
今日はこの大学における彼女の”最終講義”という訳だ。
そんなところに何故俺のような私立探偵風情が来ているのかって?
仕事に決まってるじゃないか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今から三か月ほど前、その男は俺の事務所を訪れてきた。
『鴻ノ
彼はソファに腰かける前、馬鹿丁寧な口調でそういい、名刺を取り出し、手渡した。
”京南医科大学、遺伝子研究室教授”
名刺の肩書にはそうあった。
『教授なんて言っても、そんなに偉くはありません。ついこの間席が空いたんで、ようやく座れたようなものでしてね』
照れ臭そうに、控えめな口調でいい、ソファに座った。
医科大学の教授と言うから、財前五郎みたいなのを想像していたのだが、なんてことははない。
地味な背広に地味なネクタイ。銀縁の眼鏡をかけた細面の顔立ちで、せいぜい高校の化学の教師、そんなイメージだった。
『平賀市郎弁護士からの紹介でしてね。彼とは趣味仲間なんです』
堅物の鴻ノ宮教授の唯一の趣味は写真で、暇が出来ると山歩きをしたり、ドライブに出かけたりして風景を写して回る。
平賀弁護士とはある撮影会で知り合い、意気投合したのだという。
『確かに平賀氏からは相談に乗ってやって欲しいと電話は受けてます。取り敢えずお話は伺いましょう。その上で依頼を受けるか受けないかを決めさせて頂きます。よろしいですか?』
彼は頷き、目の前の
”構いませんか?”と断ってから、ハイライトを取り出して火を点けた。
『率直に申し上げます。ある女性の事を調べて貰いたいんです。』
煙を一つ吐き出してから、一冊の丸めた新聞を取り出し、几帳面に赤ペンで囲った記事を指し示した。
凛々しい顔をした女性である。
オレンジ色のブラウスの上に白衣をまとい、凛々しい表情で試験管を目の高さまで持ち上げている・・・・まだ若い女性の写真が写っていた。
記事には、
”日本人女性医学者、某国の生化学研究所に!”
”日本人女性初のノーベル医学・生理学賞候補か?!”
昨今の新聞が好きそうな見出しが躍っていた。
『恋愛問題ですか?』
俺が問い返すと、彼はハイライトを一本灰にしてから、
『全くの無関係とはいえませんが・・・・でも主眼はそっちではありません。彼女が心配なんです』
二本目に火をつけ、煙を天井に向かって吐く。
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