僕と緑のたぬき

上海公司

第1話

 電車に揺られながら、僕は英語の単語帳に目を落としていた。単語を覚えようとしても、まるで頭に入ってこない。

 

 僕は頭を振りながらため息をついた。これでは明日の小テストもまた追試験だ。いや、もしかしたら運良く受かるかも‥

 そんな事は絶対ないな、と思い直してまた僕は頭を抱えた。


 高校に入学してからどうも調子が上がらない。中学まではもっと自分をさらけ出して、馬鹿な事で笑っていたのに、高校の奴らはどうも真面目で反りが合わなかった。と言うか入学当日に渾身の一発ギャグを披露したらダダ滑りして反りが合わなくなった。中学時代の自信作だったんだけどなぁ。


 結局僕はずっと単語帳を眺めていたけれどそこに羅列されている単語を一向に覚えられないまま家に辿り着いてしまった。僕は小学生の時から鍵っ子だった。両親が共働きだったので、早い時間に帰ると家に誰もいない事が多かった。今日も家には誰も居なかったので、鞄から鍵を取り出して玄関のドアを開ける。


 家はいつもの通りしんとしていた。


「ただいまぁ。」


と誰も居ない部屋に向かって呟く。自分の部屋にまっすぐ入っていき、僕は乱雑に制服を脱ぎ捨てると、すぐにベッドへと倒れ込んだ。すると、夕食時にはまだ早いのに途端にお腹がグゥーっと鳴り出す。


 僕は我慢できなくなってリビングに戻り、お菓子やら食料が置いてある棚を漁った。

 

「緑のたぬき」


 本当は「赤いきつね」の方が好きなのだが、緑のたぬきしかないならしょうがない。ボタンを押して、ポットのお湯を再沸騰させる。そういえば、小学校の頃は日曜日のお昼時、家族でカップ麺を啜ってたなぁ。母親に起こされてお昼時に起きると、テーブルの上に「赤いきつね」か「緑のたぬき」が用意されている。それを新喜劇を見ながらみんなで啜る。


 お兄ちゃんが大学に進学してから家を出てしまったし、僕は僕で休日は友達と遊ぶ事が多くなったので、最近はずいぶんと家族で一緒に過ごす時間も減ってしまった。


 お湯が沸くまで暇なので、僕はテレビを付ける。静かだった部屋が途端にテレビの音で満ちる。


〈どんぎつねさん……!〉


 タイムリーに某食品会社のCMがやっていた。僕はそれを横目で見ながら沸いたお湯を「緑のたぬき」に注ぎ込む。湯気と一緒にほんのりと漂うそばの香り。


 CMの内容は某食品会社のカップうどんにお湯を注ぐと、有名女優が演じる、きつね耳に尻尾の生えた「どんぎつねさん」が独り暮らしの部屋に現れると言うものだった。


 いいなぁ、オレのところにも獣耳のおねぇさん現れないかなぁ。


 そんな事を思っていると三分が経って緑のたぬきが出来上がる。蓋を開けると湯気がふわりと舞い上がって、部屋が白く煙る。いや、これ、煙すぎじゃない!?


 モヤモヤが消えると、僕が座っている椅子の対面に誰かが座っていた。


 ぽっちゃりしたお腹。禿げた頭。服装は緑のタイツ。鼻先には明らかにマジックで描かれた赤丸。それから頬には同じようなマジックで黒い三本線の髭が描かれていた。


「どーもぉ、緑のたぬきです。」


「誰だお前!!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕と緑のたぬき 上海公司 @kosi-syanghai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る