第96話 嫉妬も不安もその一瞬
緑のジャージに身を包んだ、ロン毛チックなこの男。真っすぐに一点を見つめ、迷うことなくそう口に出す姿はにわかには信じられない。だが奴は平然と言ってのけた。その自信満々な表情を浮かべながら、目の前に立ち尽くす湯花に向かって。
嘘だろ? 明進高野……って確か交流大会準優勝校じゃね? 翔明実業に負けたけど……坂城だっけ? あんなロン毛居たか?
女子の隣で行われていた男子の試合。もちろん遠目にもその様子は目にしていた。翔明実業対明進高野も例外じゃない。その中で、必死にロン毛男の姿を思い出してみたけど……どう頑張っても現われはしないかった。
「えっ、あの……冗談ですよね?」
って、そんなの考えてる場合じゃねぇ! 一目惚れだか何だか知らないけど、急にそんなこと言うからほら、流石の湯花だって驚いてるぞ。
「冗談な訳ないだろ? 可愛らしい表情から、試合中に見せる凛々しい姿。そのギャップに惚れたんだよ」
「そっ、そんなこといきなり言われても」
……マジかよこいつ。そんな言葉よく初対面で言えるな。しかも人が居ないとはいえ、ここ一応公共施設だぞ? 恥ずかしくないのか。とはいえ、彼女が口説かれてるのを見過ごせるほど……俺は出来た男じゃないんでね?
あきらかに困惑してる湯花。そんな表情を見せられたら、黙ってはいられなかった。そしてゆっくりと一歩足を踏み出そうとした時、
「俺じゃダメなのかい?」
「かっ、彼氏が居るので!」
「彼氏?」
その言葉を口にした坂城の声が、ちょっとだけ低くなった気がした。
ん? 気のせいか? トーンが……
そんな少しの違和感に、一瞬動くのを躊躇したのも束の間、
「その人は俺より格好良いのかい? もしかして同じバスケ部の人だったり?」
「そっ、そうですけど?」
「へぇ。じゃあその彼氏君は……
バスケが上手い……
その坂城の言葉に体が反応して……動けなかった。
頭に響くその言葉。さっきまで嫌という程感じていたその言葉が、またしても頭の中に浮かび上がる。隣に居たはずなのに、一瞬で遠くへ行ってしまったという不安が蘇る。手が届かない恐怖が駆け巡り、そんな人物と釣り合っているのかという劣等感に蝕まれる。
頭が痛い、
呼吸がおぼつかない、
心臓の鼓動が大きく鳴り響いて……
足が全く動かない。
「同じ学校ってことでしょ? でも……黒前高校は男子出てないよね? ということは、俺の方がバスケ上手いってことだよね?」
……
「やっぱりさ、君みたいに可愛くてバスケが上手い子は、俺みたいに格好良くてバスケが上手い人と付き合うべきだと思うんだよ」
「そもそも、1年でスタメンの俺以上に上手い人なんて早々居ないでしょ?」
止めろ
「大丈夫、湯花ちゃんの実力なら大学は鳳瞭とか? 俺も鳳瞭行ける自信はあるからさ、一緒に行こうよ? そりゃ残りの高校生活はちょっとツライ思いするかもしれないし、彼のことも仕方ないけど……将来的にはその方が良いと思うよ?」
止めろ……
「それに彼氏君だって、乗り換えた相手が俺だって知ったら身を引いちゃうって。結構有名な坂城光巡だもの。それにさ……」
「どのみち、今の彼と湯花ちゃんは釣り合わないんじゃない?」
うるさ……
「うるさいなぁ!」
今にも思わず爆発しそうな時だった、その瞬間俺の耳に届いたのは……
「さっきから聞いてれば好き放題言っちゃって、いい加減ウザいんですけど?」
落ち着いているようでどこか怒りを抑えている……湯花の声だった。
「そっ、そんな恥ずかしがらなくても」
その一瞬の変化に、坂城も驚いたんだろう、少し声が上ずる。けど、こうなったらお構いなしなのが湯花だ。
「なんであんたみたいなナルシスト野郎に恥ずかしがらなきゃいけないの? ちゃんと鏡見てよ」
「えっ? そっ、そんな……やっぱり照れ隠し……」
「1ミリも照れてないけど?」
形勢逆転とは正にこのことなんだろう。俺ですら、湯花のあんな姿は1度しか見たことが無かった。そう、南達に見せたあの1度だけ。
「大体、こんな場所で良くそんなこと言えるね。TPOをわきまえてよ。そこに人が居るにも関わらずペチャクチャ……」
ん? そこに人? ……まさか!
なんて思った時には、時すでに遅し。こっちに視線を向けた湯花とバッチリ目が合う。そしてその表情は鋭い眼つきから驚いた様なモノへ。そして間髪入れず一気に……
「うみちゃん!」
明るいへ顔へと変貌を遂げる。
マジか? もしかして……誰かは分からないけど、ここに人が立ってたのは見えてたってことかよ? 恐ろしい。それに……
「聞いてー、変な人に絡まれたぁ」
明らかにワザとやってるにしても……そうやってこっちに来る姿は可愛いな。しかもユニフォーム姿ってのが珍しくて尚のこと良いっ!
俺の姿を見つけた瞬間、いつも以上に作り上げた声を出して近付いて来る湯花。けどその姿は……言うまでもなく可愛いかった。
「変な人!? って……あぁ君かい? 湯花ちゃんの彼氏って」
そんな光景を唖然とした様子で見ていた坂城。しかしすぐにその体を取り戻したのか、俺の顔を見たからなのかは知らないけど……
「どうも? 俺は明進高野の坂城光巡。1年でスタメンの座を射止めた期待の新星。その名前はもちろん知ってるだろ?」
ニヤニヤしながら、なぜかこっちに近付いて来る。
こいつ横から見たら髪邪魔で顔ちゃんと見えなかったけど……普通の顔じゃね? しかも……あぁ! 居た居た! ポイントガードで、髪結ってた奴じゃんか! 確かに上手かったような気はするけど……そこまでじゃね? それに……
「全然知らない」
「だよね? 私も知らない」
「なっ、なんだと!?」
いや……マジで知らんぞ? もしかして全中とか出てたのか? にしてはレベルが……
「まっ、まぁ弱いところに居たんなら無理はないかな。大体、君はバスケ上手いのかい? この大会出てない時点でたかが知れてる気がするんだけどね。君も、バスケ部もっ!」
こいつ、俺のことは……まぁ良いとして、黒前の男バスを馬鹿にするのは許さないぞ?
「はぁ?」
「あのさぁ? ハッキリ言うけど、黒前高校の方が強いし、うみちゃんの方があんたより数倍……数十倍バスケ上手いよ?」
とっ、湯花……
「ふっ、そんなの嘘……」
「嘘じゃないよ? うみちゃんはウィンターカップで鳳瞭学園苦しめたんだよ?」
「ウィンター……あぁ、どこかで見たことあると思ったら……途中で足が攣ったお荷物……」
「お荷物……!?」
「うっ!」
その瞬間、湯花の目が鋭さを増す。それは真っ直ぐ坂城に向けられ……その変わりように、またしても情けない声が口から零れる。そして俺はそんな湯花の姿を見て……素直に嬉しかった。
湯花。俺の為にここまで……ここまで怒ってくれるのか?
「何度も言うけどさ、うみちゃんは上手いよ。私なんか比べ物にならないくらい、あんたなんか足元にも及ばないくらい圧倒的にね?」
そこまで……俺のこと……
「ふっ、ふはは。彼氏を庇うのは良いけど、果たしてそれは胸張って言えること……」
「言えるだろうな?」
そんな湯花の姿に、不安と恐怖で包まれていた体が少しずつ軽くなっていく最中、またしても横から聞こえてくる誰かの声。
こっ、今度は誰だよ? 湯花の行動にゆっくりホッコリさせてくれないですかね。
正直これ以上面倒を増やししたくないとは思いつつ、仕方なしにゆっくりと視線を向けると……
「俺はこいつに負けっぱなしだからな?」
「くっ、九鬼!?」
そこに立って居たのは、翔明実業1年
九鬼!? 総体で握手した時にタメってことはわかったけど、名前までは知らなかった。でも後々調べたら、中学3年で全中準優勝。そのスタメンだって知って驚いたもんだ。けど……なんで? いや大会出てたから居るのはわかるけど……
「相変わらずだな? まぁさっきの試合でもなんとなく分かってたけどな?」
「くっ」
そもそもこの2人も知り合い?
「よっ! 雨宮」
「あぁ」
「んで? 坂城、お前雨宮よりバスケが上手いから、釣り合うのは俺だ! みたいなこと言ってたけど……」
「あっ、当たり前だろ? 俺の方がこいつより上手いに決まってる。だから湯花ちゃんだって……」
「はぁ、坂城ぃ? まず聞くけど、お前俺に勝ったことないよな?」
「そっ、それは……」
話を聞く限り……何度か戦ったことある? それも九鬼の圧勝かな。
「けっ、けどこいつには絶対……」
「俺はな、マッチアップしてから……雨宮に勝ったことないぞ?」
「はっ?」
九鬼……
「単純に点の取り合いでも負けてる。そんな雨宮より、お前が上手いだって? 有り得ないね」
「うっ、嘘だ……」
「嘘じゃねぇよ」
「だっ、だったらなんで翔明実業が交流大会出てんだ? 負けたからだろ?」
「確かに俺達は勝った。けど……チームとしてだ」
「チーム……?」
「坂城、良いこと教えてやるよ。俺達はな……新人戦で雨宮1人に12本もスリー決められたんだぞ?」
「じゅっ……12……」
「それにな? ディフェンスについてたのは俺なんだ。つまり、俺が今日マークして、2点しか取れないお前より……雨宮の方が上手いって証拠なんだよ」
「はっ……」
えっ? 何この空気。まさかの3対1? いや、九鬼が来たのは完全に偶然だと思うけど……褒められるとめちゃくちゃ嬉しいな。認められてるって思いは……やっぱり心に響く。
「はい、つまり完璧にうみちゃんの方が上手いということで!」
「ぐっ……」
なんか、颯爽と登場して俺の彼女に手を出すなー! 的なことイメージしてたんだけど……
「それと、よぉく覚えておいてね? 坂城君?」
まぁ湯花と、思いがけず九鬼から嬉しい言葉聞けたから良い……
「うみちゃん?」
「どう…………んっ!」
それは一瞬の出来事だった。不意に湯花に呼ばれ、顔を向けた途端に一気に胸辺りを引っ張られる。そして気が付けば目の前に湯花のお顔が急接近していて……
唇に柔らかい物が触れ合った。
「ひゅーう! やるぅ!」
「ぐがっ……」
あまりの出来事に、思考が追い付かず頭が真っ白な俺。
そしてそんな俺を見上げる湯花は、いつもの優しい笑顔を浮かべながらも、ゆっくりとその口を開く……
「私の隣に居るのは、一生……うみちゃん1人だけだから」
その一言で、何かがおかしくなったのは……間違いなかった。そしてこの公共の場で、顔から火が出るくらい1番恥ずかしい思いをしたのは……
……まさかの俺でした。
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