第51話 ゆるりと咲いた桜の花は、桜雲のように美しく

 



 文化祭を控え、慌ただしかった準備期間もようやく一段落した放課後。


「よいしょ、これでカセットコンロもOKだな。ガスとか予備は離れた場所に置いてくれたか?」

「あぁ、バッチリだ雨宮!」

「じゃあ、出来る限りの準備完了か。委員長に言ってくるわ」


 なぜか雰囲気的に、男子をまとめる役を押し付けられた俺も……少し安心していた。


「おーい、委員長。準備OKだぞ? あとやることは?」

「えっと後は当日のシフトかな?」

「シフトねぇ」


「委員長、生徒会の人来てるよー」

「あっ、はーい。ごめん雨宮、その辺り任せた! お願いね?」

「えっ? ちょっ……」


 行ってしまった。まぁ誰も引き受けようとしなかった委員長やってくれてるだけでもありがたいか。それに結構走り回ってるし……仕方ない。


「はーい、男子集まってー。皆調理の仕方は大丈夫だな? じゃあ明日からのシフト決めるぞ?」




「ふぃー」


 綺麗な色合いを見せつける夕日。それ眺めながら、思わず零れた大きな息遣い。本番はまだだと言うのに、何処からともなくやり切った感が溢れ出る。


「おっ、お疲れかな? 海」

「明日と明後日のこと考えるとなぁ。まぁ委員長に比べたら大したことないって。湯花のクラスはバッチリか?」


 まぁ一緒に帰ってる時点でそうなんだろうけどさ? 正直俺はもう仕事免除して欲しい位だ。


「まぁ大丈夫だよ? 真子ちゃんが頑張ってくれたし、私はサポートだけだからね」

「最近の様子見て分かったけど、学級委員長とかにはなるもんじゃないな」

「そう? 私、副だけど結構楽しいよ」


 たぶん考え方の違いだぞ。ハッキリ言ってお前は人と接するのが苦じゃないから、最も適任だと思う。


「マジか。さすがだな」

「私的には海も委員長とか向いてそうだけど」


「俺が? 無理無理。湯花みたいに生まれ持ったコミュニケーション能力はないからな」

「そんな人がバスケ部まとめられるはずないんだけどなぁ」


「部活は部活、一般の生徒の気持ちまでは理解できないって」

「もぅ、謙遜しちゃって。ふふっ」

「してないって。ふっ」


 にしても、文化祭は何とかなるとして……今更だけど問題は練習じゃね? 不思木監督、ほぼほぼ1週間休めって言ってるようなもんだけどさ。正直鈍ってないか心配なんだよなぁ。


「なぁ湯花、楽しいとこ申し訳ないんだけど」

「んー?」


「こんだけ練習してないと不安じゃね?」

「……分かるっ! めちゃくちゃ不安」


 おっ、さすが湯花。意見バッチリ。


「だよな。かと言って体育館は文化祭の飾り付けバッチリで使えないし」

「そうなんだよね……あっ! 海?」


「ん?」

「おそらくバスケやってる場所あるじゃん?」

「バスケやってる場所……?」


 ん? 大学のサークルのことか。


「中学校だよっ、森白中! 文化祭は10月の後半だし、今の時期なら普通に部活やってるはずだよ」

「あっ、確かに!」


「でしょ? 久しぶりに監督にも後輩達にも会いたくない?」

「めちゃくちゃ会いたいかも。じゃあ次の列車来るまで時間あるし、部室寄ってバッシュ取ってこよう」

「うんっ!」




 こうして、バッシュ片手に湯花と並んで見つめる森白中学校。卒業式以来だけど、なんか心なしか小さく見えて懐かしく感じる。


 生徒用の昇降口から入って職員室へ挨拶に行くと、これまた懐かしい先生方が笑顔で迎えてくれて少し嬉しい。そしてそんな職員室を後にした俺達は、3年間を共にした体育館の前まで行くと、その扉を開けたんだ。


「えっ? 海先輩!?」

「よっ!」


「湯花さーん!」

「にっしっし、元気かぁ?」


「おっ、強豪校へ行った期待の2人組が凱旋か?」


 笑顔を見せる監督の言葉に、俺と湯花は一緒に口にする。


「「ただいま」」




「ふぅ、やっぱ楽しいなぁ」

「最高だね」


「それに今頃あいつら締めのダッシュ中だぞ。ヤバいよなぁ」

「さすがにそこまでやるならTシャツ短パン必須だね」


 辺りはすっかり暗くなり、少しひんやりとした風が火照った体に気持ちいい。

 軽くやるつもりが、何だかんだで結構動いちゃったなぁ。文化祭の準備用にタオル持って来て良かった。


「それにしても海? タオルありがとうね? まさか2枚も持ってるとはねぇ」


 そこに関しては完全に偶然。俺はてっきり1枚かと思ったんだけど……2枚カバンに入れてたんだ。そう! お見舞いに行った時に貰った宮原旅館のタオルをねっ! けど、結果的にナイス! 今朝の俺ナイスッ!


「全然。夏合宿の前日に湯花から借りたしな」

「えっ、そんなこと覚えててくれてたの?」


 湯花にされたこと、覚えてない訳ないだろ。しかもあの時なんて絶賛意識しまくり中だったし。


「ん? 当たり前じゃん」

「ふふっ。はぁ明日から文化祭なんだねぇ」


「だな」

「ねぇ海。時間あったら……一緒に文化祭見て回りたいな」


 一緒に文化祭? そっか、そういうことしても良いんだよな。だったら無理矢理でも時間合わせるに決まってる。なんせシフト調整は任されてるからな。ふふふっ、適当に白波とかに任せとけば大丈夫だっ!


「もちろん。無理矢理でも時間合わせるから。湯花、一緒に回ろう」

「やったっ! 嬉しいなぁ」


 その笑顔見るだけで、俺も嬉しいよ。


「ふぅ、そういえばさ? なんか1年があっと言う間だった気がするなぁ。中学校の文化祭が最近のように感じるもん」


 そいえばそうだなぁ。中学校の文化祭ね、文化祭……文化祭? あれ? 俺去年の文化祭……何してた。まてまて記憶が……ない。休んでた訳じゃないよな。いや、確かに……確かに居たはずだぞ? だって、か…………


 そ……っか、そうだった。覚えてる訳がない。記憶がある訳ない。だって去年の文化祭の時、俺の頭の中は、


 あの出来事のことで一杯だったんだから。


 思わず振り返ると、真正面の校舎の横に見えるグラウンド。ここからは陰になってて見えないけど、その先にはあの場所が……今も変わらず残っているはず。


 思い出して、やっと記憶がないことに気が付いたよ。そう考えると、当時の俺って完全に壊れかけてたのかもしれない。そして自分でも分からないうちに徐々に徐々に崩れていって……あのメッセージを送った瞬間、それまでの俺は綺麗に無くなりかけた。でも……


「あれ?」


 そうだ。


「海?」


 この声だ。そして気が付けば俺の目の前に……


「海っ! 大丈夫!?」


 居てくれる。


 わざわざ俺の目の前まで来てくれて……心配そうに見上げる湯花。あの時とは表情違うけど、それでも近くに、目の前に居てくれたのは君だった。

 あの時も、崩れてなくなりそうだった俺の欠片を最後の最後で拾ってくれたのは……湯花。君だったんだ。


 そして今も……俺の近くに居てくれて、俺を包み込んでいる。

 間違いなく君は俺にとって……かけがえのない大切な人だ。


 遅くなってごめん。時間掛かっちゃってごめん。

 それでも笑って許してくれるかな?


「湯花? 俺……」


 俺は湯花のこと……



「湯花のことが好きだ。だから俺と……付き合って下さい」



 好きなんだ。



「えっ……」


 驚いた表情を浮かべる湯花、そしてその頬に伝う1滴の雫。まさかの出来事に内心焦ったけど、


「いっ、いきなりなんだもん。ズルいよっ」


 そう言って湯花が微笑んだ瞬間、そんなの一気に吹っ飛ぶ。


「ダメだった?」

「ダッ、ダメじゃない。けど……嬉しくて嬉しくて涙が止まらないよぉ」


 それに必死に涙を止めようと、目を擦る湯花の姿は途方もなく可愛くて……


「湯花?」

「キャッ」


 思わず抱き締めていた。


 湯花の温もりを肌に感じる。湯花の鼓動を体で感じる。

 それは幸せで、心地良い。


「か……い」


 そんな甘えるような声に視線を向けてみると、そこにはあの夏合宿の時のように……何かを欲しがる湯花が居た。


 そんなお願いを無視することなんてできない。だから俺はゆっくりとゆっくりと……


 唇を重ねた。


 その瞬間、湯花が俺の体をギュッと抱き締める。それに応えるように俺も少し強めに湯花の体を抱き締めた途端、いつにも増して密着する体。より一層香る石鹸の匂い。そのいつもと違う雰囲気を、俺と湯花はお互いに感じ取ったんだと思う。


 どちらからという訳もなく、口の中で自然と触れ合った……湯花の一部。

 それは最初お互いを確認するかのように優しく、そしていつしか求めるように激しくなっていって……蕩けるような気持ち良さに襲われた。


 そしてゆっくりと唇を離すと、別れを惜しむかのように一本の透明な糸が最後まで俺達を結んでいる。それを確かめるようにもう1度キスをした後の俺達は……照れるように笑っていた。


 なんだろう、心がすっきりする。出し切ったと思ってた心の奥底にある何かがすっと消えていく。

 もしかしてこれで俺はやっと解放されたのかな? あの出来事から……あの出来事……? そうだ……まだだ。


 その瞬間、俺はポケットからスマホを取り出すと、何度か画面をタップしてあのデータファイルの元へと辿り着いた。


 湯花のおかげで、俺は解放された。あの出来事から抜け出すことができた。でも完全にじゃない。これはあの出来事の確固たる確証だった、証拠だった。


 その事実は、俺を現実へ引き戻してくれた天使であり……そして俺を苦しめてた悪魔でもあった。

 だからさ? 俺があの出来事を乗り越える為には……これが必要だったんだ。


「湯花。一緒に見てくれる?」

「見て……? それって!」


 あぁそうだよ。そのデータに表示された日付は、


 2020/10/1 19:15


 何度見たか分からない……あのデータ。


「これが無かったら、俺は事実に向き合えなかった」

「……海」


「けど、これがあったら俺は前には進めない」

「……」


「湯花。ずっと俺の隣に居てくれるか? ずっと……これからもずっと」

「……うん。私はずっと海の隣に居るよ? 嫌って言っても離れないんだから」

「ありがとう。俺には湯花が居る。だからもう……こいつの助けはいらないんだ」


 さよなら


 画面に表示された【データを削除しました】という文字。それを確認しホームボタンを押すと、待ち受けの画面に切り替わった。そして……


「マジか」

「はっ! これ前に撮ったプリクラ? 待ち受けにしてくれてたの? へへっ」


「湯花……そこじゃないよ」

「えっ? ……あっ!」


 それに気付いたのは一瞬だった。

 前に2人で撮ったプリクラが写る待ち受け、そしてそこに表示されてた日付は……


 10/1(Fri)

  19:15



 その瞬間本当の意味で……俺と湯花は、恋人同士になった。



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