第63話 狼とウサギ

 「弱ったなぁ……」


 日曜日の夕方に何度も沙菜が呟いている原因は、その日の昼間、燈華と出かけた映画にあった。

 話題のハードボイルド映画で、燈華が好きな小説家の書下ろしシナリオだという事もあって、燈華の熱量が激しく、グループ中で唯一嫌悪感を示さない沙菜を同士だと思っていて、有無を言わさずに連れていかれたのだ。


 適当に相槌を打ちながら映画を見終えると、燈華は、テレビシリーズと、今までの劇場版を見たのかと訊いてくるので、後で内容を聞かれても困る沙菜は素直に見ていないと答えると、原作本と今までのシリーズのDVDを全て押し付けるように置いていったのだ。

 

 この間の様子から見て、きっと明日から内容について質問攻めに遭うのは目に見えているので気が重いのだ。

 

 翌日、学校が終わると同時に、桃華から逃れるべく大急ぎで家に戻った沙菜を見た祖父は


 「おおっ!? 慌ててるな沙菜。どうだ? バイトして気を紛らわしてみないか?」


 とニヤニヤしながら言った。

 恐らくあさみとLINEのやり取りで内容を知っているのだろうが、確かに祖父の言う通りだし、収入にもなるので、引き受ける事にした。


 いつもの場所には、白の軽自動車が、沙菜がやって来るのを待っているように佇んでいた。


 「ソニカかぁ……それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は、ちょっといつもと違う雰囲気を纏ったその車のボンネットに手をつくと、車葬を開始した。


 ダイハツ・ソニカ。

 '86年にリーザで軽スペシャルティと呼ばれる高品質モデルに、'76年のフェローマックス2ドアハードトップ廃止以来、10年ぶりに回帰したダイハツは、以降もオプティ、その後、軽の主流がトールワゴンに移行すると2001年登場のMAXにトールワゴンのスペシャルティを、ミラアヴィに従来のスペシャルティを託して、連綿と続けてきた。

 しかし、バブル期に登場した初代オプティを例外として市場の理解を得られず、その販売は今一つのまま終了する。


 特にMAXでは、ムーヴには無い4気筒のターボエンジンやCVT搭載車、電子制御4WDなど、差別化が図れていたものの、そのコンセプトの違いは理解されず、価格差を理由にムーヴ等の実用トールワゴンへと顧客の流出が止められなかった。

 

 そこで、決定版ともいえる軽スペシャルティとして2006年6月、MAXの生産中止による消滅から半年以上を経てブランニューの新型車として登場したのがソニカであった。

 登場時期や車両キャラクター、更にはテールデザインの相似からMAXのモデルチェンジ版と見られる向きが多かったが、メーカーサイドはそれを良しとしなかった真意は、ソニカの徹底的なまでの作り込みへのこだわりがあったからだ。

 MAXにもこだわりや差別化が当然あったのだが、販売戦略上、ムーヴとの共用や先行採用の部分が多く見受けられたり、構造上の妥協があったのだが、それを徹底的に排した、真のプレミアム軽といったキャラクターとおもむきで作り込んだのがソニカなのである。


 MAXが、4/3気筒ターボと3気筒ノンターボエンジン、ミッションはCVTと4速AT、5速MTと多彩に揃えたところ、廉価なノンターボの下のグレードに人気が集中して、メーカーとして中心グレードに据えていたノンターボの上級グレードやCVT版を駆逐し、マイナーチェンジでそれらを廃止せざるを得なくなってしまった反省から、ソニカのラインナップは エンジンは、残念ながらMAXに存在した4気筒は落とされたものの、全てが新開発のターボエンジン版で、ミッションも世界初の機構を持つ新開発のCVTのみとするなど、非常に絞り込まれたものとなった。


 シャーシに関してもこだわって煮詰められて作られており、軽の高速ツアラーと呼ぶに相応しい軽自動車としてはダントツの安定感と質感を持つ走りを披露した。


 室内もMAXの反省からか、他車との共用の無い質感の高いもので、シートも上級サルーンのそれを目指して作ったという軽としてはとても質感の高いものであった。

 質感で言えば、ドア下端を2重シールにしたり、ドアミラーの形状の工夫で風切り音や、路面からの騒音をシャットアウトするなど、従来の軽の枠を超えたものであった。

 また、キーフリーシステムを全車標準にしたり、レーダークルーズコントロールのオプションがあるなどクラスを大幅に超えたプレミアム感も魅力であった。


 上戸彩がほうきに乗った魔女役で登場し、ソニカの走りを『飛ぶように爽快』と謳ったCMで大々的に登場したソニカであったが、トールワゴンにしては背が低く、軽セダンとしては腰高に見える中途半端なデザインと、質感に拘るあまりに高くなった価格から当初から不人気で、渾身の一作として登場させたダイハツの当ては大いに外れてしまった。


 ダイハツは初代オプティの夢再び……という望みを託したのだが、バブル崩壊後の市場は、意味もなく高価な軽自動車にお金を払うユーザーはいなかったのだ。そして、ソニカ登場の前年にデビューしたタントによって、軽ユーザーは更にスペース効率重視に目覚めてしまい、トールワゴンに見えるのに室内が低くて囲まれ感の強いソニカを毛嫌いしたのだ。


 ここまで割り切ってしまったラインナップでは、販売の浮揚を図る値下げや特別仕様車を追加する事は逆効果と見たダイハツは、翌年8月に一部改良を行うのみでとどめ、2009年4月末、僅か2年10ヶ月で生産を終了し、消滅する。

 その後、このコンセプトを直接引き継ぐ後継車は現れず、現在は各車に存在するカスタムグレードに僅かにその片鱗を残している。


 次に、オーナーの情報が流れ込んでくる。

 最初のオーナーは、30代男性、小さな会社を経営し、他にベンツなども所有する。都内の移動用にプレミアムな軽として購入するが、購入4年ほどが過ぎたある日、住んでいたマンションから突然行方不明となって終了する。


 沙菜には、その前後の生々しい状況が術流れ込んできていた。


 「……殺し屋だ……」


 最初のオーナーの最期の日、帰宅前にマンションに忍び込んでいた、見た目は怪しくはないが、印象に残らない目立たない痩せ型の男性。

 帰宅した初代オーナーの男性に、真っ暗なバスルームから飛び出して寄りかかると、初代オーナーの胸に突き刺さるサバイバルナイフ。

 悲鳴をあげる前に、ナイフの柄に全体重をかけてとどめを刺し、更にナイフを抜いてからダメ押しに脇腹の急所も刺す。

 明らかにプロの仕事だった……。


 初代オーナーは、表向きの仕事とは別に、裏で投資詐欺やネズミ講、送り付け商法などの元締め、半グレの幹部等の顔を持っており、被害者からの依頼を受けたものと思われた。

 

 「あ……」


 沙菜はその先を見て思わず口にした。

 絶命した男の後ろに、制服姿の女子高生の姿があった。

 明らかに咄嗟の出来事に怯えて、その場に固まってしまったようだった。


 「ヤバいよ……」


 沙菜の言葉通り、殺し屋に捕らえられて、部屋の奥へと連れていかれる少女。

 人差し指を口に当てた男から、ガムテープを渡されると、意味を察して自ら自分の口に貼り付ける。

 ソニカで向かった夜中の山中で、掘られていた穴に男性の亡骸なきがらを投げ込む殺し屋、遺体を投げ込み終えると、傍らかたわらで手足もガムテープで拘束された少女に銃を突き付けて穴の中に入るよう促すが、涙を流して首を横に振る。

 その刹那、殺し屋は撃鉄を引いて、銃を発射しようとするが、弾丸切れで弾丸は出ず、少女の拘束を解いて、穴を埋めさせる。


 以降、殺し屋のアジトで暮らす彼女の姿があった。

 少女は家族からDVに遭って家出をした末に流れ着いたのが、身体と引き換えに宿を得られるさっきの男の元であり、偶然の産物で見つけた安住の地が殺し屋の元だった。

 殺し屋は何度も出ていかせようとしたが、追い出しても元の破滅的生活に戻るのが目に見えているために、少女を置くことを肯定はしないが否定もせずに、諦めて好きにさせていた。


 少女を家に置き、裏の仕事には同行させず、ただ黙って少女の作った食事を口にし、生活をさせ、勉強を手伝った。

 少女が身体の関係を迫っても、頑なに拒絶し、そんなくだらんことを考えていないで、黙って働いて勉強しろ!と叱責された。


 やがて少女が高校を卒業する年頃、殺し屋は行動を起こす。

 少女をむしばんでいた過去の汚点と彼女を完全に決別させたのだ。

 DV親は、身に覚えがないが証拠の揃っている殺人事件で逮捕、収監され、異例のスピードの裁判で極刑が確定する。殺されたのが政界の影のドンだったためだ。


 そして少女には新たな戸籍とアパートの部屋、更には相当額の預金を、今まで家事をやってくれた給料だと言って渡すと、殺し屋は海外の戦地へと姿を消してしまう。

 

 少女は直後にアジトに走ったが、謎の出火で焼失しており、唯一敷地外に放置されていたソニカを持って行ったそうだ。

 殺し屋が、あれ以降も車体番号を貼り替え、仕事の際に足のつかない車として使っていた物だった。


 彼女は、それから新たな自分を精一杯生きるために、預金に頼らずバイトをしながら高卒認定を受けて大学へと進学し、夢に向かって生きていくべく頑張っている。

 そして、傍らで彼女の足代わりとなっていたのがソニカだった。

 ボランティアに行ったり、今までの生活の中では一度も行った事の無い旅行に行って、様々な日本の姿を、初めて自分の目に焼き付けた。


 ソニカで冬の北海道から、夏の沖縄まで、あらゆる日本を見て回った。

 列車の方が早くて疲れないのは分かっていても、DVを逃れ家出をして、当てもなく電車に飛び乗って彷徨った日々を思い出す列車旅には良い思い出がなかったのだ。

 軽での長距離旅行は辛いものがあるが、ソニカの高速ツアラーという性格と、軽としては異例の作り込みの良さがそれを緩和させてくれ、今までほの暗い世界しか見た事の無い彼女の世界を広げてくれたのだ。


 その後の彼女の学生生活と共にあったソニカだったが、軽としては異例の25万キロを超えて遂に寿命を迎えたのと、働き始めた彼女に心境の変化が起こる出来事があり、ここへとやって来た経緯が……。


 沙菜は、膨大な思念量のあるソニカから丁寧に全ての思念を読み取る頃には、あまりの思念量にふらつきながらも、ボンネットに優しく手をつくと


 「お疲れ様……良き旅を」


 と、車葬を終了した。


◇◆◇◆◇


 4日後、持ち主の女性が沙菜の元を訪ねて来た。

 沙菜は、努めて平静を装いながら伝えた。


 「車は、機関と内装のヘタリが大きいので、ボディパーツを中心にリサイクルに回します」

 「分かりました。お任せします」


 20代中盤の彼女は、車葬で見たあの少女に間違いなかったが、すっかり大人の女性に成長していた。

 そして、沙菜をちらりと一瞥すると、口元に笑みを浮かべて続けた。


 「ところで……全部知ってるんでしょ?」

 「なんの事ですか?」

 「私が、裏稼業人と、ずっと一緒に暮らしてた事」


 沙菜は、特に何も言わなかったが、それこそが肯定と捉えた彼女は、独り言のように話し始めた。

 

 「私もマジでバカよね。穴の中に埋めようとしてたオヤジと一緒に暮らして、挙句『ヤらせてあげるから、ここに置いて』なんて、必死になっちゃってさ」

 「でも、あの銃には弾丸は入っていないのを分かっていてやったんです……」


 咄嗟に出た言葉を呑み込もうとした時には、ニヤニヤした表情の彼女から


 「ほぅら、やっぱり知ってるじゃん!」


 と言われて、沙菜は彼女にカマをかけられた事を苦々しく思いながら、そのお返しとばかりに淡々と事務的な口調で続けた。


 「とにかくっ! ソニカから貴女に託されたものですっ!」

 「……!!」


 さっきから沙菜に対して居丈高いけだかな態度を取っていた彼女が、それを見た瞬間、目を丸くして言葉を失った。


 沙菜が彼女に渡したのは、キャラクターもののご当地ストラップだった。

 殺し屋は、普段から努めて彼女に関心を抱かず、また、必要以上に言葉を交わす事も無かったのだが、彼女との暮らしが始まって1ヶ月ほどしたある日、毎日暗い目をしてうつむいていた彼女を連れ出して、景色の良い山の展望台と、海へと連れて行ってくれた事があったそうだ。

 その光景にすっかり魅入られている彼女を見て、普段は無口な殺し屋がポツリと、外の世界には、こんな素晴らしい光景も広がっているから、今までの辛くて暗い世界を忘れて、いつか外へと出てもっと広い世界を見て来いと言って、元気づけてくれた事があったそうだ。


 「私を殺そうとした男が、『辛くても生きろ!』なんて言うの、マジウケる!」


 当時を語る言葉とは裏腹に、彼女の目は笑ってはいなかった。


 その際に、男が売店に行って買ってきたのが、当時若い女の子に流行っていた、このストラップだったのだ。

 男の職業柄、人と関わりを持つのはご法度なので、彼女に物を贈ったのはそれきりだそうだ。


 彼女は以降、ストラップを心の拠り所として、携帯につけてずっと持ち歩いていたのが、最近、見当たらなくなってしまって、本気で困っていたそうだ。


 彼女はストラップを胸に抱きながら


 「私にあんな事、言ってたくせに、海外に死にに出かけるなんて……ホントにバカだよね」


 と聞こえないほど小さな声で呟いていた。

 しかし、沙菜はその先の事もすでに知っている。しかし、さっきの事もあるので今度こそはリアクションせずにやり過ごした。


 傭兵となった殺し屋は海外では死に切れず、傷を負った状態で仲間に連れられ担ぎ込まれた病院で、医師となった彼女と再会したのだ。

 彼女は利き手にダメージを受けて裏稼業に復帰できない元・殺し屋の主治医として、傷だけではなく、長年の不摂生で痛んだ内臓を含めて療養させるべく、個室で完全療養させている最中なのだ。


 「アイツ、なんで私を殺さなかったのかって訊いたら『泣かれたのは初めてだった』なんて言うのよ。マジで意味不明なんですけど」


 彼女は、最後まで彼に関する話が止まることなく、最後にそう言い残すと、ストラップを自分の手に持ち、キックスに乗って帰って行った。

 

 生きる希望を失って彷徨っていた少女は、人生の意味すら見失って死に場所を求めていた狼に出会い、そして狼によって前を向いて生きていく事を教えられて立ち直り、今度は狼に生きる大切さを教える事に燃えている。

 

 この人生の奇妙な巡り合わせを途中まで傍で見ていたソニカは、残念ながら最後まで自らの目で見る事は叶わなかったが、きっとこういうエンディングを迎える事が分かっていたのではないかと沙菜は思っている。

 何故なら、その名の通り音速の速さで2人の未来を見てきて、あのストラップの持つ意味にも気付いていたのだろうから……。

 

 「なんかさぁ、今回のバイトやっちゃったら、燈華のDVDとかマジで見てらんなくね?」


 沙菜は、心底参ったというように吐き捨てた。

 その通りだ。

 燈華の貸してくれた話など、今回の車葬を見てしまったら、ただの陳腐な作りものに過ぎない。


 沙菜は新たな悩みに直面した……。


 

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