第62話 裏と表

 沙菜が家に帰ると、珍しく祖父母が言い争いをしている現場に出くわした。

 沙菜の姿を見た2人は、瞬間、言い争いをやめて、沙菜が2階に上って行くのを待ってから再び言い争いを始め出した。


 筒抜けになっている内容を聞いてみると、なんのことはない、リビングにあるレコーダーに祖母が撮っているドラマの予約録画と、祖父が撮った野球がバッティングして、祖母の録画がキャンセルされてしまった事が原因らしい。

 沙菜の強い勧めにより、ようやくレコーダーを使う事と、使い方を覚えた祖母であったが、覚えてしまったら、タガが外れたようにレコーダーに撮り溜めするようになったのだ。


 「くっだらない……」


 沙菜は思わず言った。

 沙菜は一応、部屋にレコーダーを持っているが、元々テレビに頓着しないのでほとんどHDDは空なのだ。

 祖母のドラマにかける熱量が理解できないし、そこまで酷使しているレコーダーなのに、廉価版を買っているためにシングルチューナーである事を指摘しても、一向に替えようとしないのも理解できないのだ。


 しばらく言い争う声が続いた後、止んだために沙菜は飲み物を飲もうと思ってリビングへと降りていくと、そこには祖父がいて


 「沙菜、すまないが、今からちょっと頼まれてくれないか? その気持ちは報酬で表すからな」


 と言うだけ言うと、素早く外へと出ていってしまった。

 恐らく、家にいるとバツが悪いのだろうと思っていると、案の定、キッチンの奥の方で祖母が何やら物を投げているような音が聞こえてきた。


 沙菜は、祖母の怒りのはけ口にされる事を避けるように工場のいつもの場所に行くと、そこにはメタリックグリーンのコンパクトカーが佇んでいた。


 「スプラッシュかぁ……珍しい。それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は言うと、素早く車葬を開始した。


 スズキ・スプラッシュ。

 ワールドスタンダードが、日本のメジャーたり得るケースは少ない。

 

 '97年に登場したワゴンRワイドは、その名の通り、ワゴンRのボディを拡幅して1000ccエンジンを搭載したモデルで、とても出来のいい車ではあったが、日本では軽自動車のワゴンRがあるために、そっくりすぎるワゴンRワイドは所有欲を満たさずに、不人気に沈んだ。


 '99年に登場した2代目は当初から輸出を念頭に置いた設計に生まれ変わり、ワゴンR+と改名して登場したが、日本においては相も変わらずワゴンRが販売の足を引っ張り、途中で排気量を1300ccにアップしたり、ネーミングをワゴンRソリオ、ソリオと2度改名するなどして販売の浮揚を図ろうとしたが、日本での人気は回復せずに、2010年に日本国内では一度消滅する。

 しかし、軽自動車の無い欧州では車の出来の良さからしっかりと売れて、新たなコンパクトカーの形をしっかりと誇示するに至った。


 それを受けて2008年に登場した3代目においては好調な欧州のニーズに合わせたモデルチェンジが行われた。

 ベースとなったのは日本でも好調であった2代目スイフトで、その出生もあって全高はベースとなったスイフトよりも高くなっているものの、全長や全幅といった寸法に関しては、欧州で好調であったワゴンRワイドやワゴンR+に準じたコンパクトサイズを順守して登場し、スイフトよりコンパクトサイズで登場した。


 スプラッシュは、2008年3月に欧州で発表、ハンガリーのマーシャルスズキで生産され、ヨーロッパ各国にデリバリーされた後、10月より日本にも輸入という形でのデリバリーが開始された。


 エンジンは、スイフトにも設定のあった1200ccの4気筒で、突出した高性能ではないものの、充分以上にパフォーマンスを発揮する基本に忠実なものだった。

 欧州では、1000ccの3気筒や、4気筒の1400cc、イタリア、フィアット製の1300ccのディーゼルエンジン、5速MT、4速AT仕様などがあったが、日本仕様には1200ccのCVT仕様のみが投入された。

 

 日本で発売されたスプラッシュは、海外生産らしい色とりどりの何台ものスプラッシュに、同色のドレスを着たヨーロッパ美女たちが乗り込み、『美しい女性の、美しいクルマ』と謳って登場した。

 当初こそは、欧州での本格派コンパクトという事、安全性の高さや完成度の高さが評価されて日本でもそこそこの販売実績を残したものの、その期間を過ぎた頃になると、売れ行きはガックリと落ち込んだ。


 原因は、本格的な欧州向けであることから、安全性や走行性に重きを置いた結果、日本で重視される品質感や小物の置きやすさといった点が見劣りする事になった事、そして、ワゴンRワイドやワゴンR+同様、ワゴンRの存在がこの車の存在をスポイルする事となってしまった事であった。


 特に、ワゴンRに至っては、軽規格のモデルの他にスプラッシュの先代モデルに当たるワゴンRソリオが当時販売中であり、日本国内のスズキのコンパクトカーは、2代目スイフト、ソリオ、スプラッシュという全てが微妙に性格の被るモデルがひしめき合う事となって、互いに足を引っ張り合う事となったのである。

 

 更に2011年1月には、ソリオが新たなシャーシの上に両側スライドドア等の日本市場の要請に合わせた形で単独モデルチェンジを行って独立し、スプラッシュと完全に競合する車種となって誕生したことでスプラッシュの日本市場におけるアドバンテージは消滅し、以降のスプラッシュの売り上げは元々劣勢にある中から更に減っていってしまう。

 2012年5月にマイナーチェンジを行うものの、販売は好転することはなく、2014年8月にスプラッシュは日本での販売を終了して消滅。

 以降ソリオは日本において独自進化を遂げて2015年、2020年にモデルチェンジを行って現在に至り、好調を維持している。


 次に持ち主の情報が浮かんでくる。

 20代終盤の男性で新車購入。

 免許を取っても車を買うつもりはなかったが、たまたま旅行先でレンタカーで借りた引退寸前のスプラッシュに魅かれ、最終版を購入した。

 

 シングルマザーの家庭で育った彼は、家庭に憧れ、早く家庭を持ちたいと早くから行動していた。

 大学進学は諦めて堅実に仕事をこなしながら貯金をして、学生時代から長年付き合ってきた彼女と結婚して暮らすべく、郊外の建売りの内見に2人で出かけては、将来の暮らしの夢を語り合うなど、確実な幸せに向けての基盤を築きつつあった。


 そして、遂に互いの親に向けて紹介の段取りとなり、彼女を家に連れていくと、彼の母親の表情が蒼ざめている事に気が付いた。


 彼女の帰宅後に問い詰めると、母親から語られたのは衝撃の告白であった。

 彼の母親は、若かりし頃に彼女の父親と付き合っており、彼の子供を身籠ったが、それを彼女の父親には告げずに別れ、その後に彼を出産したという事実であった。

 つまり、付き合っている彼女とは兄妹となるため、結ばれる事は出来ないという事だった。


 納得いかずに理由を問い詰めたところ、母親の若気の至りで、女1人でも生きていけるところを誇示していきたいという強がりと、ミステリアスなシングルマザーへの憧れがあったという理由だったのだそうだ。

 母親が若かりし頃に見たドラマや映画に感化されたのだという。

 

 彼女との結婚を諦めた彼は、空虚な生活を送りながらも、生来の生真面目さから、道を踏み外す事も出来ずに、普段と変わりない生活を送りながらも、心の中が空っぽになっていったのだった。

 そんな中で、大雨の際に買い出しに出かけたところ、買い物中に川が氾濫し、駐車場が冠水してスプラッシュは廃車となり、ここへとやって来た事を。


 沙菜は、彼からの思念が薄い割に非常に強い車からの思念を丁寧に、そして思念に押し潰されないように、身構えながら読み取っていくと、ちょっとふらつく足元を奮い立たせながらボンネットに手をつくと


 「良き旅を……」


 と言うと車葬を終了した。


◇◆◇◆◇


 翌日、色白の男性がやって来た。

 元々落ち着いた雰囲気なんだろうが、そこに心が空虚になってしまった事から老け込んでしまっており、その実年齢を知る沙菜は驚きを隠せなかった。


 「車に関しては、機能系は全滅なので、洗浄の上で使えるところを再生させる予定です」

 「お任せします……」


 彼は消え入りそうな声で言った。

 今は、結婚と同時に暮らすつもりだった郊外の一戸建てに、母親と暮らしているそうだが、あの出来事があってからは、母親とは必要以上に口をきくこともなく、生活エリアも分けているのだそうだ。

 車も母親とは分けて一緒に出掛ける事も無く、今や彼と母親の関係はシェアハウスの住人同士と、その消えそうな声であっけらかんと言ってのけていた。


 彼が、今でも許せないのは母親のお洒落な生き方のために取った身勝手な行動が、自分と彼女の人生をメチャクチャにしてしまった事であり、受けた仕打ちを考えると、今後も母親との関係はこのままだろうと語った。


 それを聞いた沙菜は、ある物を見せた。


 それは、刃がすっかり錆びたカミソリだった。


 「それは……?」

 

 彼がそれについて訊くと


 「お母さんが、昔から何度となく自ら命を断とうとして持ち歩いていた物です。あの車の中に落としていた物を、あの車がずっと引き受けていたそうです」


 沙菜が答えた。

 しかし、彼はそれを聞いても『何を今更……』という表情で聞き流していた。

 予想できていたが、沙菜は思い直すように彼に向き直ると


 「お母さんが命を断とうとしていた理由にきちんと向き合ってください!」


 と、今までに無い程厳しい表情と声で言った。

 沙菜は続いて話したのは、彼の知らない母親の話であった。

 彼の母は、思春期に兄から性暴力を受けた事から、男性に向き合う事に対して非常に消極的になってしまったそうだ。


 彼を身籠った際も、相手の男性が豹変する事を恐れて、その事が言い出せないまま別れてしまう結果になった事、そして、その事を友人にも言えずに、強がって当時のドラマ等で流行っていた、敢えてシングルの道を選んだ女を演じてしまった事などだった。


 その際も、彼が生まれた後も、辛い思いをした際は何度も自殺を図ろうとしたが、その度にお腹の中で動く我が子や、生まれてすくすくと育っている彼の姿を見て思い留まったのだそうだ。


 彼女の中で、世界で唯一信じられる相手は、息子である彼だけだったのだ。

 世界で唯一信じられる大切な存在を守っていこうと決めた彼女は、以降、どんな辛い事があってもそれに耐えて生きていく事を選択したのだ。


 しかし、過去に自分の選んだ愚かな選択のために、彼の望んだ幸せを奪ってしまった事を本気で悔いたのだそうだ。

 そして、何度もこのカミソリを探していたそうだが、スプラッシュが決して彼女に見つからない助手席のシートレールの隙間に隠したため、彼女は悶々とした思いを抱えたまま、今日も生きている事を、沙菜は彼に告げた。


 そこまでの話を聞いた彼は、乗ってきたカーシェアのノートに飛び乗るようにして出ていってしまった。


◇◆◇◆◇


 彼に母親の真意を伝えてから2ヶ月が経過した。

 あの日、虫の知らせで飛び出していった彼が目にしたのは、近所の雑木林で自殺を図っている母親の姿だった。彼の買った家を汚す事は避けたかったらしい。

 幸い発見が早かった事もあって回復し、親子は、真実を知って初めて分かり合う事ができたそうだ。


 そして、先週は母親の結婚式があったそうだ。

 彼は真実を彼女の父親に打ち明け、母親の真意も伝えた上で見舞いに行って欲しいと依頼したそうだ。

 すると、突然自分の前から姿を消した彼女の事を探したが見つからなく、数年待ってから諦めて見合い結婚したが、本来であれば彼の母親と結婚するつもりでいた事を聞かされたそうだ。

 見合い結婚した妻とも数年で離婚してしまい、以後独身を貫いていたのも、いつか彼の母親と再会したいという思いからだそうで、その後はトントン拍子に昔以上の関係になっていったそうだ。


 しかし、さすがに4で暮らすには、子供である彼と妹の間の過去の関係がネックになって、今は彼だけが自分の家で暮らし、近くにある両親たちのいる家に週一ペースで顔を出すそうだ。

 今だに妹との関係はギクシャクしているが、彼の話によると、時間が解決してくれるだろうとの事だった。


 欧州ではメジャーとなりながらも、日本ではマイナーな存在として忘れ去られたスプラッシュは、日本ではあり得ない複雑な家族の関係を解決し、それぞれが前を向いて歩いていけるように方向修正しながら、今静かに姿を消していこうとしている。

 その姿を見届けながら、沙菜は言った。


 「それにしても、婆ちゃんが好きなドラマみたいな話だったね……」

 

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