グリーンスクール - 親愛なるものへ

辻澤 あきら

第1話 親愛なるものへ-1

               親愛なる者へ


 某月某日―――未明、霧。


 夜明け前、霧のかかったうす暗がりの中を、新聞配達のテールランプが家々の前に停まりそして離れる。その光景は、花を訪れる蜜蜂のようでもあり、眺めているだけでも楽しい。ふらふらと街灯の照らすセンターラインを辿りながら、白んできた空を見上げる。灰色の雲に淡い暖色の輝きが差しかかってきている。空も灰色から、青みを帯びてきている。まだ人気のない道の真ん中に立って前後を見渡していることに満足感を覚えながら、美生は商店街の方へと足を向けた。

 早々と仕込みを始めている豆腐屋から漏れてくる蒸れた臭いが鼻を突く。不快な気分でさっさとその場を通り抜けると、まだシャッターの下りた商店の並んでいる道をぶらぶらと北向きに歩き行く。ふと、目についた包みを拾う。ただの屑。それを投げ捨てて自動販売機の前にしゃがみこむと、微かに金属製の輝きが目に止まった。手を伸ばして引き寄せると、百円玉だった。軽く服で磨くとポケットに入れた。そして辺りに人目がないのを確かめると、地面に伏せてまだないかと覗き込んだ。残念ながらそれ以上の獲物はなかった。

 諦めて飲み屋の前に行くと、昨夜の狂瀾の残骸が散らばっている。しかし、どれもゴミばかりで役に立たない。あっさりとその場を見限ると、道を外れて近くの公園に向かった。早々と起き出して散歩している老人を横目に、さっさと公園を駆け回って物色した。獲物は結局ゴムボール一個だけだった。何もないよりましだと思いながらそれもポケットに押し込もうとしたが、何となくやめて、そのまま手でもてあそびながら歩いた。


 かちゃかちゃという音がする先を見ると、老人がひとり店先で軽トラックに牛乳を積んでいる。美生はボールをもてあそびながら近づいて、老人が店に入った瞬間、トラックの横をすり抜けながら牛乳を一本抜き取った。そしてそのまま駆け出して緑道に折れた。息を整えながら振り返って様子を伺い、誰も追ってきていないことを確認すると、満足して牛乳瓶をポケットに差し込んだ。そのまま何もなかったような顔で歩きながら、さっさと道を折れ、商店街の北側に戻った。

 今度は南向きに歩いていくと、郵便局の隣のベーカリーショップの前で立ち止まった。空腹が足を止めたのだった。ガラスウィンドゥ越しに覗くと、パンは一個、一〇〇~一五〇円、サンドイッチは二〇〇円以上。その値段を眺めながら、諦めようかと思っていると、昨日のパンが安売りになっているのが目についた。『1ヶ40円、3ヶ100円』の文字を見ると決心がついて店内に入り、大きなのを物色して3個まとめて買った。

 店を出るときに、店先の『自由にお持ちください』という張り紙とはちきれんばかりに袋一杯に詰められたパンの耳を見つけると、「おばちゃん、これもらっていいの?」とひと声掛けると、いいよ、という返事を聞くやいなや、一袋持ち上げて平然と立ち去った。朝もやも晴れて、陽が差してきていた。美生は陽の光を浴びながら商店街の真ん中を歩いた。

 緑道のベンチで、ポテトパンと牛乳を平らげると満足してそのまま横になって伸びをした。陽差しが暖かでこのまま眠ってしまいたいくらいだった。しかし、もうそろそろ世間も起き出す時間だと思い直すと、さっと起き上がって、残ったパンを袋に詰めると急いで歩き出した。

 まだ人気も少ない道を見渡して、さっと、立入禁止になっている柵をくぐり抜けた。そこは取り壊し予定の社員寮だった。コンクリートの塀の隙間から中庭に入り込むと、割れたガラスの隙間から中にもぐり込んだ。一階の逃げ出しやすい奥の部屋にそっと入り込んだ。持って帰ってきたパンを壊れかけのイスの上に置くと、押し入れに隠してあったリュックを引っ張りだし、中からパーカーを取り出し身に纏った。そして大きく欠伸をすると眠りについた。ミノムシのようにくるまった美生の周りには、拾い集めたボールや衣類や玩具や本が散乱していた。


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