ずっと話し相手だった便器がいなくなりました

@turugiayako

第1話

 風が冷たかったせいか、盛大にくしゃみをした。

 月に照らされた、俺以外誰も歩いていない田舎の歩道に、爆発音のようなくしゃみの音が一回響く。マスクの裏にこびりついた鼻水の感触が気持ち悪い。

 マスクを右手で外して、左手でズボンのポケットをまさぐるが、ティッシュは無かった。持つのを忘れて家を出たのだ。コンビニに戻れば、ポケットティッシュでも箱ティッシュでも買えるが、面倒だ。このまま鼻水を垂らして帰宅することに決めた。どうせ人のいない道を歩いているのだから、マスクを外して空のポケットに突っ込んだ。

 もしまた今夜、トイレに行きたくなったときは、家からポケットティッシュを持参するのを忘れないようにしよう。

 小便ならば、本当は嫌だけど家の裏庭で放尿する。しかし大便ならば、これはもうコンビニにまで行くしかない。寒いが、我慢して歩けないほどの距離ではない。とにかく、夜風に吹かれながら草むらにしゃがみこんで、むき出しの尻に草のちくりとした先端を感じながら排便する苦痛に比べれば、コンビニまで寒さに耐えながら歩くことなどなんでもない。

 その時、目前の闇の中からぼう、と巨大な両目のような二つの光が浮かんできた。車のヘッドライトだった。光に目を細めているうちに、車は俺の傍らを、コンビニの方へと走り去っていった。

 車。傍らを駆け抜けていった車によって生じた小さな風を一瞬感じながら、車でコンビニまで行けたらなあと、俺は思った。

 田舎暮らしの常として、俺の家には車がある。三台もある。俺だって免許を持っている。でも俺は、隣県で独り暮らしをしていた頃に事故を起こしてからというもの、日が沈んでから車を運転することが、怖くなってしまった。今夜、大便をしたいと思い始めた時も、キーも免許も引き出しから取り出さずに、ジャンパーを着て、運動靴を履いて玄関の戸を開けた。

 庭で大便をするなんて嫌だったから、コンビニまで寒い中歩いたのだ。でも夜の外がここまで寒いとは思わなかったし、トイレ「だけ」を使って何も買わずにコンビニを出てくることが、あんなに気まずいとも思わなかった。別に店員は何も言わなかったけれど、俺のことをきっと白い目で見ていたに違いない。なにしろ今日一日だけで、何回もトイレを使うためだけにコンビニに入店している。たしかあのコンビニでは、俺が小学生のころ好きだった女の子が働いているはずだ。もしかしたらこの時間帯にシフトを入れていて、俺を見たかもしれない。店に入ってきてすぐトイレに直行し、トイレから出てきてすぐ店から出て行った俺を見たかもしれない……。

 またコンビニに行くときは、財布を必ず持っていこう。一番安い商品を買おう。何か買えば、トイレを利用するだけの迷惑な客だと思われることはないはずだ。無駄遣いだが仕方がない。

 家にトイレさえあれば、そんな無駄遣い、する必要がないのに。

 家からトイレがなくなることが、こんなに不便だなんて、どうしてあいつは、俺に教えてくれなかったのだ。

 この寒さも、恥ずかしさも、あいつのせいだ。あいつがちゃんと教えてくれていたら、俺はあいつにあんなことを、言わなかったのだから。

  今日、障がい者就労移行支援センターでの作業を終えて帰宅した俺は、母の困り切った顔に迎えられた。

「大変なのよ。トイレがなくなったのよ」

 俺は最初、言葉の意味が分からなかった。

「なくなった?」

「なくなっているの」

「壊れたっていうこと?」

「壊れたのではないの。なくなっているのよ。掃除しようとトイレに入ったら、便器が消えていたのよ。綺麗さっぱり」

 俺の家のトイレには、洋式便器が鎮座しているはずだ。俺が物心ついた時から、そうだった。俺がオムツを卒業して初めて使ったトイレはその洋式便器だった。一人暮らしをしていた時期を除いて、俺はほぼ毎日その洋式便器を使ってきた。毎朝、その便座に腰をしっかり下ろして排尿なり排便を行ってきた。いつだって、トイレのドアを開けると、必ずその洋式便器があった。今朝だって、排尿のために使ったはずだ。

 その便器が、なくなっているのだと、母は言った。俺は母と共に、トイレへ向かった。

 トイレのドアを開けて、俺が見たのは、床に置かれたスリッパだけだった。

 母の言う通り、洋式便器は、消えていた。

 便器が鎮座しているはずのところには、ただトイレの床があるだけだった。

「ね? 消えているでしょ」

 隣に立っている母の言葉に答えずに、俺はスリッパをはいて、トイレの床に立った。

 今朝、腰を下ろして使ったはずの便器があったはずの床の上まで、ふらふらと、俺は歩いた。

「わけが分らないのよ。午前中は、確かにあったはずなのに……」

 母の声が、後ろから聞こえる。困惑した声だ。

 便器が、トイレから消えた理由について、俺は、思い当たる理由があった。

だけどきっと、言っても信じてもらえないだろう。

 俺がこれまで長い間、便器と会話してきたことなんて、信じてもらえるわけがない。


 物心ついた時から、俺は便器と話すことが出来た。もっとも、この世にある、全ての便器と話せるわけではない。話せるのは、俺の家の便器とだけだ。何度か、学校や駅の個室トイレで腰を下ろしたときに呼び掛けたが、答えが返ってきたことは一度もない。

 我が家の便器の方も、俺以外の人間と話すことはできないらしい。

「君のお父様やお母さまにも話しかけたことはあったけどね。返事は全くなかった。私の声は、君にしか聞こえないみたいだ」

 以前、便器はそう語ったことがある。俺の声は便器にしか聞こえず、便器の声は俺にしか聞こえない、というわけだ。彼女の話を信じるならば、だが。

彼女。

俺は、便器について考えるとき、無意識のうちに、便器を女だと考えてしまう。俺に聞こえる便器の声が、若い女の声のように高いからではないだろうか。

 便器と最初に話した時のことを、俺は覚えていない。当たり前だ。父と最初に話した時のことも、母と最初に話した時のことも、俺の記憶にはない。ただそれは、俺がオムツを卒業し、一人でトイレを使えるようになってからのことであるのは間違いない。

「あのね、今日便器ちゃんとね、こんなお話したよ」

 幼稚園児の頃、俺はよくそう言って、便器と話した内容を、母や父に語って聞かせていた。そんな時二人はいつも、にこにこと笑いながら、でも少し表情に不安げな気配を滲ませながら、俺の話を聞いてくれていた。今にして思えば、便器と会話していると主張するなんて、我が子の頭は狂っているのかと、内心不安でたまらなかったのではないだろうか。一度、二人に病院に連れていかれて、医師から便器との会話のことについて、色々と聞かれたような記憶がある。あれはきっと、精神科の医師だったのだろう。

 どうやら医師は、俺が一種のイマジナリーフレンドを作り出しているだけだろうと推測を述べて、両親を安心させたらしい。

 大きくなってから便器に教えてもらった事だが、小さな子どもはしばしば、自分の空想上の存在があたかも実在するかのように、虚空に向かって会話をしたり、会話の内容を親に聞かせたりすることがあるらしい。その存在のことを、イマジナリーフレンドと呼ぶ。俺はそのイマジナリーフレンドが、いつも使っている便器であるという少し変わった例であるにすぎない、と、両親は納得したということだ。

 もちろん、俺には本当に、便器の声が聞こえていた。ただ、小学生に上がる頃からは、それを誰にも言わないようになっていた。誰に言っても、信じてもらえなくなっていることに、気がついたから。

 言わば、俺には、俺だけにしか見えない家族が、ずっといたということだ。俺以外の世界中のどの人間が見ても、俺は三人家族の一員に見えていただろう。母と父と俺の三人家族。だけど俺の目にだけは、四人目の家族が映っていた。それが便器だ。

 俺にとって、彼女は、家族も同然だった。何しろ家族と同じように、毎日接して言葉を交わしていたからだ。家にいる限り、便器を使うことがない日など、ない。

 いつのころからか、俺が一日の初めに言葉を交わす相手は、便器となっていた。        朝、起きた俺は、睡眠中に膀胱にたまった尿を排泄するため、どこよりも先にトイレへと向かう。ドアを開け、トイレ用のスリッパを履いたら、ドアを閉めて、便器のふたを上げて、ズボンとパンツを下ろして、便座の上にちょこんと座る。俺は家では、排尿の時でも便座に座る習慣だった。普通俺たち男が日常的にしている立小便をしなかった。なぜなら、便器の声は、便器と肌を接しないと聞こえないからだ。便座に腰を下ろすと、聞きなれた若い女の声が聞こえる。

「おはよう」

 俺は、いつも答える。

「おはよう」

 そういいながら、俺の朝立ちしたペニスからは排尿がされて、便座の中にちょろちょろとかかっていく。

「今日は雨が降るそうだよ。出かける時、傘を忘れないようにね」

 便器は大抵、こんな風に、何か一言二言俺に言ってくれる。

「うん」

 俺が答える間にも、膀胱は空っぽになる。立ち上がった俺は、便器についたレバーをひねる。じゃああ、と音がして、俺が排せつした小便は、下水道へと流れてゆく。ズボンとパンツをまた履いて、便器のふたを便座へと下ろす。

 これが、俺の毎朝の習慣だった。

 一日の終わりに言葉を交わす相手も、大抵、便器だった。夜、眠りにつく前に、安眠のために膀胱を空っぽにするために、俺はトイレのドアを開く。朝と同じように便座に腰を下ろした俺に対して、便器は例えばこんな風に話しかけてくる。

「歯磨きはした?」

「したよ」

 俺は答える。

「明日の準備はした? 学校に持っていく教科書は、ちゃんと鞄に入れた?」

「うん。入れたよ」

「そう。良かった」

 こんな会話をしている間にも、俺の膀胱は空っぽになる。

「おやすみ」

「おやすみ」

 これが、その日俺が交わす、最後の会話となる。俺は便座から立ち上がる。

 これは、俺の毎晩の習慣だった。

 もちろんこれ以外にも、俺と便器は、沢山会話をした。何しろ生きている限り、人は排泄を定期的にしなければならない。家にいるときは、早朝と就寝前を除いても、一日に必ず二回以上はトイレに行く。トイレに行けば、自然、便器と言葉を交わすし、それが会話に発展し、排泄を終えてもしばらく便座に腰を下ろしたままでいることは、俺にとって珍しくもないことだった。時には、便器と会話をすることだけを目的として、排泄の必要もないのにトイレを使うこともあった。例えば受験勉強の間、勉強に飽きて気を晴らしたくなった時、便器との雑談にそれを求めることが良くあった。

 雑談の内容は、色々だった。便器は、とてもいろんなことを知っていた。話していて退屈になることはなかった。何を話していいか俺の方が分からなくて、気まずい沈黙に場が支配されることもなかった。俺が他の人と話すときには、いつも現れる沈黙が、無かった。

 俺は、子どもの時から、他人と話すことが、苦手だ。 

 俺は、他の人間というのが、話していて楽しくなることがどんなことなのか、全くわからなかった。みんなが笑って、楽しく談笑している光景を、小学校の時も、中学校の時も、高校の時も、大学の時も見てきた。だけど彼らがしている会話に耳を傾けてみても、俺はそれの何がそんなにも面白いのか、何が彼らを笑わせるのか、全くわからなかった。だから俺は、会話に入ることも、ほとんど出来なかった。学校の休み時間、俺はいつでも、自分の机に座って、ただ前を見ていた。

 人間、という生き物のことが、俺にはわからない。

 例えば、こういうことがよくあった。学校で授業を受けている間、教壇に立つ先生が、なにか笑える(らしい。人間にとっては)冗談を口にする。すると教室の机に座る20人ちょっとの未成年の少年少女たちは、ど、と笑う。俺一人を除いて。俺には、先生の口にした冗談の、何が面白いのか、わからなかった。すぐに笑えるような要素がその冗談のどこにあるのか、わからなかった。こういうことがよくあった。

 俺が、話していて素直に楽しいと感じることが出来るのは、人間との会話ではなく、便器との会話だけだった。

 俺は毎日、便器と多かれ少なかれ何らかの会話をした。子どもの時から大人になるまで、ずっと。郵便局で働くために、隣の県で独り暮らしをした半年間を除いて。

 大学を卒業して一年ぐらいたってから、俺は隣の県の郵便局に配達員として採用された。初めての就職だった。俺はそれまで、働くことが出来なかった。

 俺は就職活動ということが、どうしても、出来なかった。

 どんな会社だろうが必ず求めてくる履歴書を書くことが、出来なかったからだ。

 志望動機を書くことが、出来なかった。

 だって俺は、どんな会社だろうが、本当は入りたくはなかったからだ。興味ある業界なんて一つもなかった。出来ることなら、一切働かずに生活をしていたかった。誰だってそうだろうと思っているのだが、違うのだろうか。俺には自信がない。俺と同年代位の人たちが、特に苦も無く就職していくのを見ていると、自信がなくなってきた。俺が大学を卒業した年、日本の就職状況は何年振りかの売り手市場だった。就職する大卒学生の方が、企業を選びやすい状況だったということだ。事実、俺と同年代の学生の多くは、就職が決まったようだ。だけど俺は、どうしても志望動機の欄を書くことが出来なかったから、そもそも履歴書を出せることがほとんど出来なかった。

きっと世の中のほとんどの新卒学生たちは、例え本音では就職なんてしたくなくても、企業の選考を通ることが出来るような志望動機を書くことが出来る。履歴書を書くことが出来る。本当は全く働きたくもない業界について研究して、全く入りたいと思っていない会社のことを履歴書に書くことが出来る。俺には出来なかった。

 そもそも俺には、世の中にある企業のそれぞれの違いが、全く分からなかった。

企業の説明会に行っても、インターネットでHPを見ても、一体何を目的としてそれらの企業が世の中に存在するのか、それらの企業が存在することが世の中にとってどんな意義を持つのか、全く理解できなかった。それでも普通の人間ならば、就職するために適当な嘘をでっちあげて、人事の担当者を良い気分にさせるような志望動機を書くことが出来るのだろうが、俺には嘘をもっともらしく書く才能が、生まれつき欠如していたらしい。

 俺は就職先が決定しないまま、大学を卒業し、その後およそ一年就職活動を続けて、ようやく隣の県の郵便局に採用された。仕事はバイクを使った配達だ。採用が決まってから、教習所に通ってバイクの免許を取り、隣の県のアパートに引っ越した。生まれ育った家から引っ越していく日の朝、便器は俺に「頑張ってね。応援しているよ」と言った。

 配達の仕事は、過酷だった。一番過酷だったのは、一日の内に郵便物を配り終わることが出来ないことだった。就職して知ったことだが、郵便配達の仕事においては、毎日配達する地域が決まっている。例えばAという区間に住んでいる人たちに配達しなければならない郵便物は、Aという区間を担当する郵便配達員の手で配達される。郵便物は、毎日郵便局に届けられる。それを配達員が自分の担当区域の家へ配達してゆくのである。その日の内に配達しきれなかった分の郵便物は、翌日にその配達員がまた配達する。

 俺は、その日任された郵便物のほとんどを、その日の内に配達することが出来なかった。例えば100通(そんなに少ないことはまずなかったが)を配らなければならない日には、80通を残してしまうということがよくあった。時間がたつのが、早すぎるのが原因だった。俺は勤務日のほぼ全てで残業をしたが、午前10時半ごろにバイクに乗って郵便局を出発して、昼飯を食べる時間も省いて午後6時半近くまで走り回っても、全体の4分の一以下を配ることしかできなかった日が多かった。その日配れなかった分は翌日の配達に持ち越すから、翌日は配達量が増えた。全体の配達量が増えたから、配達できる郵便物の割合はさらに少なくなった。

 同僚や上司は、俺の配るスピードが遅いのだと言ったが、俺は全力で早く動いていたつもりだ。あれ以上早く動くことなんてできるはずがなかった。なのに、俺の先輩である男性配達員は、しょっちゅう俺のことを𠮟っていた。いつも俺がたくさんの郵便物を抱えて郵便局に戻ってくる度に、声を荒げて俺に文句を言った。俺は悪意で配達を遅くしているのではなかった。そんなことくらい彼にだってわかっただろうに、何故か彼は怒るのだ。怒っても俺には改善しようがないのだから、怒るだけ無駄なことであるのは明らかだろうに、何故か怒った。

 人間の不可解さというものに、またしても俺は遭遇したというわけだ。毎日出勤するたびに怒られてばかりだから、俺は郵便配達の仕事のことが嫌になった。

 仕事が嫌になり始めたころに、事故が起きた。車の衝突事故だ。

 それは、夜の9時過ぎに起きた。俺は自炊が出来なかったから、一人暮らしをしている間、食事は全て弁当か外食で済ませた。コンビニ弁当を夕食と朝食にすることが、一番多かった。その日も、俺は弁当を買うためにコンビニに行った。車を運転して、だ。9時というのは、一般的には食事をする時間としては遅かったが、俺は大抵仕事が8時過ぎに終わったから、その後アパートまで歩いて戻ってから車に乗ってコンビニに到着する頃には、どうしても9時を過ぎるのはやむを得なかった。

 いつもそうだが、その夜俺は疲れていた。前に述べたように、俺は少しでも多くの郵便物を時間内に配達するために、昼飯を食べるための時間を削っているのが常だった。その上郵便局の朝は早い。俺の仕事はいつも午前の8時に始まっていた。終わるのは午後の8時。つまり俺は、毎日12時間食事抜きで働いていたというわけだ。疲労は日々蓄積し、仕事が終わって寝るまでの間はまるで夢の中にいるような、ぼう、とした気分で過ごすのが日常だった。

 だから、集中力だって、きっと衰えていたのだろう。

 その夜、コンビニに入ろうとした俺は、対向車線を走ってくる車との衝突事故を起こしてしまった。左右をよく確認せずにカーブしたのが原因だった。幸いにして体に怪我こそしなかったが、車の後部を損傷した。

 その夜、事故現場に来た女性警察官の顔が、月夜に照らされて可愛らしかったのをよく覚えている。

 その翌日、出勤した俺は、今度は配達中にバイクで事故を起こした。車との接触事故だ。これもまた、左右をよく確認せずに交差点を曲がったのが原因だった。少しでも多く配達をしたくて、急いでいたのだ。道を曲がったところで後ろから来た車とぶつかり、俺は歩道にバイクと共に倒れたが、幸いなことに怪我はなかった。結局その日の配達は、他の人に代わってもらうことになってしまった。事故を起こした配達員は、その日は配達に出てはならないという規則があった。正直なところ、休めることが嬉しかった。

 その日の午後、上司と面談があった。

「正直なところ、君には今の仕事は、向いていないと思うのだ」

 上司が、落ち着いた口調で、遠回しに俺に伝えてくれたのは、そういう意味のメッセージだった。

 その日、俺の失業が決まった。

 俺の一人暮らしは、半年間で終了した。実家に戻って、半年ぶりに便器に座った時、久しぶりに聞く声が俺を迎えてくれた。

「おかえりなさい」

「……ただいま」

「大変だったね。ゆっくり休みなよ」

「ゆっくり休んでなんて、いられないよ」

 俺は、壁にかかったトイレットペーパーを見ながら、答えた。

「次の就職先を、早く見つけないといけない」

 また、履歴書を前にしながら、志望動機の欄に書く嘘っぱちについて頭を何時間も悩ませる日々が始まるのだ。

「あのさ、これは、提案なのだけどさ……」

 便器は、言いにくそうに、俺に伝えてきた。

「精神科で、診断を、受けてみるのは、どうかな?」

「診断?」

 俺には、言っている意味が、よくわからなかった。

「あのね、君は郵便局で、他の普通の人たちが出来ている仕事が、出来なかったわけでしょう」

「うん……」

 俺をよく叱っていた男性配達員の言葉を、思い出していた。

 この仕事長くしているけどね、君みたいに配達が遅い人なんて、前代未聞だよ。

 彼は、怒鳴るようにそう言ったことがある。

「君は、発達障害かもしれないと、私は思う」

「発達障害?」

 聞いたことがある気がする言葉だった。

「脳の先天的な器質の障害の一つだよ。最近、大人になってから診断される人が増えている。説明が難しい概念だけれど、簡単に言うと、定型発達と呼ばれる普通の人たちには出来ることが、しばしばできないっていう種類の障害だよ。個人差が大きいけれどね」

「だけど俺は、大学まで卒業している。知的障害があるなんて、あり得るだろうか」

「知能自体には、問題がないって場合が多いよ。法学部を卒業して弁護士資格を持てるくらい頭が良くても、発達障害のせいでコンビニのアルバイトとしてしか働けないような人もいる」

 便器はいつも、博識だ。

「だからさ、君も一度、精神科で大人の発達障害の診断を受けてみると良いのではないかな。大人になって社会に出てから生きづらさに直面して、発達障害だっていう診断をもらう人、本当に多いよ。今」

 この便器の提案は、結果的に正解だった。

 最寄りのメンタルクリニックでWAIS検査等の診断を受けた俺は、30代に見える眼鏡を掛けた男性医師から、自閉症スペクトラム障害、ASDだとの診断をもらった。時間に追われるような仕事には向いていない、という意見もいただいた。(筆者注:このような診断を受ける際には、幼児期の状況を知ることが出来る資料が重要な材料となる。幼稚園や小学校の頃の通知表は捨てずに持っておくことを皆さんに忠告したい)

 郵便配達のようなスピードが求められる仕事は、そもそも不適格だった、というわけだ。

 俺に向いた仕事なんて、果たしてこの世にあるのかわからないが。

 ともかく、自分が何者なのか知れたことは、俺にとって良いことであることは間違いなかった。俺は役場で障害者手帳と障害年金申請の手続きをし、障害者が働くためのサポートを行う福祉サービスにつながることになった。障がい者就労移行支援センターに通って訓練しながら、障害者雇用での就職を目指すのが、俺の新しい日常となった。

 それから一年、その日常が、今でも続いている。

 俺が大学を卒業したころの就職売り手市場は、過ぎ去ってしまっていた。大陸の大国で発生し、瞬く間に日本を含む全世界に蔓延した、新種の感染症の影響だった。経済は落ち込み、企業は採用を控えるようになった。

 健常者でさえ就職が難しい状況においては、障害者の就職は、より難しくなる。

 俺は今、出口の見えない日々の中にいる。センターで作業をし、月に数千円ぐらいの工賃をもらい、障害年金で生活費を賄う日々。障害年金が打ち切られたらどうしようとおびえる日々。年老いた自分の姿を想像する日々。親の介護をしなければならない時を想像する日々。通帳の預金残高を眺めながら、まだ大丈夫、まだ俺は生きていられると自分を安心させる日々。

 一度、センターで紹介された、自動車の部品を作る工場での就職が決まりかけたことがあった。二週間ほど仕事を体験した。

 しかし昨日、センターで、その工場での障害者雇用は、俺ではなく別の人に決まったと、伝えられた。

 帰宅した俺は、トイレにこもって、排泄を終えても長い間、便座に座り続けた。

「残念だったね」

 便器は、俺を慰めてくれた。

「でもきっと、次に、もっと良い職場が、見つかるよ」

「……」

「だって君は、真面目な努力家じゃないか。きっと見つかるよ」

「……」

 俺は、沈黙をしたまま、トイレの床の模様を見つめていた。埃が散見された。抜けた毛のようなものもあった。物心ついた時から、トイレの床は、いつだって同じだったように思えていた。外の世界から隔絶された、排泄のためだけの小さな世界では、時間が止まっているかのよう。

「ほら、だからいつまでもそんなに落ち込んでいないでさ。立ち上がって、何かしなよ。まだ若いのだから、可能性はいっぱいあるよ。次に私を使う人がドアをノックしたら、どうせ立ち上がらなければいけないのだからさ」

「君は、気楽でいいな」

 俺は、沈黙を、破った。

「気楽?……そうかな」

「気楽だよ。だからそんな、想像力が欠如した励ましの言葉を口に出すことが出来るに決まっている。君は、気楽で、無責任だ」

「……」

「俺は、君がうらやましいよ。だって君は、俺みたいに、外を歩きまわって仕事を探さなくてよいのだからな。俺みたいにやりたくもない仕事をして、理不尽に起こられて嫌な気持ちになることがないのだからな。疲れて交通事故を起こすことだってないのだからな」

「……」

「君はただ、ずっと、この部屋にいればいいだけだからな。一年365日24時間どんな時だって、君はこの平和な部屋にいるだけで、生きていける。楽だよな。俺も、君に生まれたかったよ」

「一つ聞きたいのだけれど、君は、他人の排せつ物を口にしたことがあるのかな」

 唐突な質問だった。

「ないよ」

 考えたら、気持ちが悪くなった。

「だろうね。でも、私は生まれてから毎日ずっと、君たち人間の排せつ物を受け入れ続けてきた」

「……」

「これはね、決して楽な仕事ではないよ。本当は私だって、汚いものを自分の中に入れるなんてこと、したくないよ。でも、私たちトイレが毎日この仕事をしているおかげで、君たち人類は、清潔で快適な生活を享受することが出来ているのだよ。今、世界には、トイレが不足しているせいで困っている人たちもたくさんいることを、君だって聞いたことがあるのだろう? トイレがないせいで感染症が蔓延する。トイレがないから草むらに一人で排泄をしなければいけないせいで性暴力の被害にあう女性が沢山いるよ。君が今平和に生きていられるのは、私や私の仲間たちである便器たちが、嫌な仕事を引き受けているからだ。他人の排せつ物を飲み込むなんて言う、汚くて辛くて嫌な仕事を……」

「嫌なら、どうしてやめないんだ?」

「……」

「本当に嫌ならば、やめればいいじゃないか。この部屋を出ていけばいい」

 俺はそういって立ち上がった。便座から立ち上がることは、便器との会話を打ち切ることを意味する。

 それが、俺が便器と交わした、最後の言葉だった。

 そして、今日、いつものように障がい者就労支援センターから帰宅した俺は、便器がトイレからいなくなっているということを、知った。

「ごめんね」

 俺は、母に向かっていった。

 母は、不思議そうな顔をした。

「どうして、貴方が、謝るのよ」

「便器がいなくなったのは、きっと、俺のせいなんだ」

「どういうこと?」

「俺は、彼女の、便器の心を傷つけるようなことを、言った。だからきっと、怒って出て行ってしまったんだよ」

 母は、沈黙をしたまま、俺を見つめた。

 もしかしたら、俺の頭がおかしくなったのかもしれないと、思っているのかもしれない。

 俺は、そんな母に背を向けて、玄関へと向かった。

「どこ行くの?」

 後ろから、母が呼びかける声。

「トイレを借りに、コンビニに行ってくるよ」

 俺は、帰ったら必ず最初に、トイレに行く習慣があった。

 コンビニのトイレは、我が家のそれに比べて、清潔だった。便座に腰を下ろしながら、俺は言葉をかけていた。

「ねえ君。俺の家の便器がいなくなってしまって困っているんだよ。うちに来て、代わりになってくれない?」

 しかし、俺が座る便器から、答えは一言もなかった。

 コンビニの便器は、俺と言葉を交わすことは、出来ないらしい。

 コンビニから帰宅した俺は、母と、今後のことを、話し合った。

「新しい便器を、買うしかないよ」

「でも、便器っていくらぐらいして、どこで買えるのかしら」

「消えた便器は、前はどこで買ったの?」

「覚えていないわ。確か家を建てた時に一緒に作ったものだから、私が子どもだった時に買ったのだと思うのだけれど……」

 そんなに古くから、彼女はこの家にいたのに、出て行ったのだ。俺の言葉のせいで。

「インターネットで、便器について、調べてくれない?」

 母の言葉に従って、俺はパソコンを立ち上げ、グーグルを開き、便器の値段というキーワードで検索をした。便器についてまとめたホームページにいきついた。

 俺と母は、パソコンをのぞく。

「大体、便器一個で、安くても7万円以上かかるってあるよ」

「やっぱり、業者の方に工事してもらう必要があるのね」

「うん、工事自体は一日で終わるみたいだけど……」

 時間がたって、仕事から父が帰ってきた。

「大変よ。トイレから、便器がなくなったのよ」

「なくなっただって?」

 父は、驚いたようだった。

 トイレのドアを開けた父は、「ええ!」と、もっと驚いた声を出した。

「なんで、なくなっているんだ?」

「まったく理由が、分からないのよ」

「もしかして、盗まれたのじゃないか?」

「便器だけ盗んでいく泥棒なんて、聞いたことがないわ」

「トイレ行きたいとき、どうすればいいんだ」

「コンビニのトイレを使うしかないと思う」

「ずっと使い続けるわけにはいかないだろう」

「ネットで調べたのだけどさ」

 俺は、会話に加わった。

「便器一個買うのに、安くても7万ちょっとはかかってしまうようなんだ。10万と20万の便器もあるって」

「意外と高いのよねえ……」

「7万は、ちょっと安くはない買い物だなあ。買えないことはないけれど……」

 ごめんなさい。父さん。母さん。

 俺のせいで、お金を使うことになってしまって、ごめんなさい。

 俺は、顔を見られないように、二人に背を向けた。泣いてしまいそうだった。

「便器一つなくなるだけでも、結構大変なことになるのだなあ」

「新しい便器を買うまでは、コンビニのトイレを使うしかないわね」

 

 だから今、俺は、大便をするためにコンビニのトイレまで歩いてゆき、夜の冷たい風に吹かれて鼻水を垂らしながら家までの道を歩いている。

 家が、見えてきた。玄関の明かりが見える。寒さに震えながら、俺は玄関の前に立った。我が家の玄関は引き戸だ。俺は、古びた戸を引こうとしたが、動かなかった。鍵を掛けられていた。そういえば、玄関の鍵を持たずに外出していたことに今更ながら気が付いた。インターホンを押した。家の中にチャイムが鳴るのが聞こえた。続いて、足跡が玄関まで近づいてくる。内側から、鍵を開く音と横にひく音。

 玄関の戸は、母が開けてくれた。母の顔が、妙にうれしそうに見えて、俺は不可解に感じた。

「トイレが、戻ったわよ」

 開口一番、彼女が口にした言葉が、俺は、理解できなかった。

「戻った?」

「トイレに、また便器が、あるのよ。またトイレが、使えるようになったってこと」

 

 母の言った通りだった。

 トイレのドアを開けた俺の目に映ったのは、朝と同じように、トイレの床に鎮座する洋式便器の姿。

 たった一日、見なかっただけなのに、とても久しぶりに、その姿を見た気がする。

 俺は、スリッパを履いて、ドアを閉めた。

 排泄するものなんかなかったけれど、ズボンと、パンツを脱いで、便座に座った。

 素肌に感じた、彼女の感触が、温かかった。

「戻ってきて、くれたんだね。ありがとう」

 自然と、俺の口からは、言葉が出ていた。

「俺は、君に、酷いことを言ってしまった。反省しているよ。君がいつも、俺のおしっこやうんこを受け入れてくれていることがどんなことかなんて、全く考えてなかったら、君が気楽に生きているなんて言ってしまった。ごめんね」

 便器から、返事はなかった。

「ごめんね」

 俺は繰り返した。

 だけど、これまでずっと聞いてきた、便器のあのなじみ深い声が、俺には聞こえてこなかった。

 俺は、沈黙したまま、便座に座り続けた。彼女の答えを待ち続けた。

 だけど、何も、聞こえなかった。

 聞こえるのは、庭で虫が鳴く声だけだ。

 そのうち、トイレのドアをノックする音が、聞こえた。

「入っています」

 とっさに、俺は言った。

「まだ出られないか? 漏れそうだ」

 父の声だった。

 俺は、立ち上がった。父にトイレを、ゆずるために。

 

 便器の声が聞こえなくなってから、一年が過ぎた。

 今でも、俺は便座に座るたびに、便器に向かって呼び掛ける。だけど、返事が返ってきたことは一度もない。俺は、認めたくはなかった。小さな時から一緒だった、俺の唯一の友達と言えた存在を、永久に、失ってしまったということを。

 


 

 


 

 



 

 


 


 


  

 

 




 



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