第六章 やり直し

第58話

 搬送された病院のベッド。

 夕方になって県外から飛ぶようにして駆け付けてくれた両親。

 同行してくれた先生に謝意を告げ、医師からは打撲だと告げられて、両親の運転する車で病院を後にする。


 付き添いで来てくれたのか、それとも厄介ごとを押し付けられたのか。

 あの国語教師が嫌そうな顔をしながら、側に数時間も付いていてくれたことに感謝をしつつ、しかし、学校側にとっては嬉しくないことも抱介は要求した。

 というか、それを実行した。


 一度は取りやめたあの通報を、改めてやり直したのだ。

 刑事告訴という形で、乃蒼の傷害を訴えた。

 もちろん、相手方からもそうされる可能性はあるわけだけれども、それはそれで仕方ない。病院にお巡りさんが複数やってきて、教師も交えていろいろと話をしている最中に、両親が到着する。


「お宅の息子さんの常識が疑われますよ。殴られたくらいで警察を呼ぶなんて」


 そう彼は父親に向かい説教臭く、突き放すように文句をまくしたてた。

 うちの高校はもう、息子さんを預かりたくないんだ、とでも言うかのように。

 それが教師の言うことか、と耳を疑っていると、父親が軽く頭を下げた。母親は抱介を責めるようなそぶりは見せなかった。


「社会に出たら、人を殴れば犯罪じゃないんですか? 殺すと言えば、脅迫じゃないんですか? 暴力を振るわれて身の危険を感じたら、警察を呼んで何が悪いんだ」


 凛とした顔で、そう抱介は訴えた。

 やられたらやり返すではなく、身を守るためにそうしたのだ、と。


「息子がそう判断したなら、私たちはそれを支持しますので」

「はあ? そんな言い分、うちの迷惑も考えてくださいよ。これが収まるまでどれだけ時間がかかることか」

「時間の問題ですか? そのような行動をとる生徒を野放しにされた学校側には責任はないとおっしゃる?」

「いや、それは……」


 自分の正義を振りかざしていた国語教師は、抱介の父親が強く問いただすと、黙ってしまった。彼の言葉、一言一句がそのまま学校の姿勢につながると思ったのだろう。


 それから非難めいたことは口にせず、彼は挨拶もそこそこに学校に戻っていった。

 さすがにこんなことのあった夜に、スマホで誰かに連絡をさせてくれるほど、両親は甘くなかった。どうしてこんなことをしたんだ、と親子会議のようなものまで始まる始末。


 抱介はただ絡まれたんだ、の一点張りでそれ以外を語らない。夜遅くの連絡と共に、乃蒼の両親が我が家を訪れ、息子に土下座をさせた。

 被害届を取り下げて示談にすることで話がつき、しかし、乃蒼はまだ何かを諦めていないような、恨みがましい目つきをしていた。


 それは多分、密告したと言われるだろうこれからの学生生活を予期させたし、抱介がより悪者に、日陰者に、卑怯者と罵られる日々の始まりを告げていた。

 高校生までは、子供の世界。大人の介入を許してはいけないという、閉鎖的な学生の常識とこれからは戦わなければならないわけで、まあ……とにかく、忙しい夜だった。


「不公平だよな」

「なんだ、いまさら」


 久しぶりに食卓を囲む遅すぎる夕食の席で、抱介はそう漏らしていた。

 正しいことをしたはずなのに、その常識が非常識になる。

 そういうことを言いたかった。


「巻き込まれたのなら、堂々としていればいい。お前は悪くないと自分でそう言っただろう」

「それはそうだけれど」

「いざとなったら弁護してやる」

「……」


 弁護士じゃなくて、全国に支店を持つ弁護士事務所の会計士のくせに。

 堂々とそう言い放つ父親が、羨ましいような呆れるような、そんなどうにも言い表せない存在に思えて無言になってしまう。


「それで、他に報告はないのか。お前が被害に遭いました、だけで警察にまで通報するとも思えない」

「良く見ているよなー父さん」

「親だからな。で、何があった」


 言うべきか?

 一瞬、そう悩んだ。

 季美の顔がちらりと脳裏をかすめる。

 牧那に行くと約束したそれが守れなかったと、後悔めいた念もそこにはあった。

 季美とこれから先、特別な関係を持つとすれば、話すべきかもしれない。


 しかし、このまま過ぎ去る仲なら……それは徒労に終わる。

 今はまだだと、抱介の中で何かがそう告げていた。


「もうちょっと……待って欲しい」

「いじめの主犯は謝罪にきた。そういうことかと思っていたんだが、違うのか」

「違わない。違わないけれど、でも、まだ……ごめんなさい」


 ふむ、と父親は顔をしかめた。

 母親は「どうします」と夫を見やり、子供を見やり、「これが続くなら、転校も考えないとね」と一言だけ告げて後は黙っていた。


 数点。

 あと数点だけはっきりしないと報告できないことがある。

 その時間を与えて欲しかった。


「お前、ここまで人を動かしておいて、家族にも話せないなら出て行くか?」

「いや、それは……」

「お前がやっていることはそういうことだ。他人を頼っておいて、理由を告げることができないなら最初から一人でやれ。それが大人だ。自分で責任を取れないなら、やるな」

「でも」

「でも、じゃない。お前はまだ子供だ。子供だから、親がいる。言えないなら、大人として生きていけ。学校を辞めて働ければいい。学びたければ、自分で稼いだ金でそうしろ。俺たちにはお前を育てる親として、それを知る義務がある」


 毅然としてそう言われたら、逃げるか。

 話すか。

 どちらしか、もう選択肢は残されていない。


「話すよ……」


 季美のことを伝えた。元恋人だということも、掲示板のことも、今回の自分が動いた理由も。そこに牧那はなく、ただ、自分の怒りとだけ伝えた。

 褒められる行動ではないし、世間様に迷惑をかけたし、何より親を心配させた。

 「彼女と結婚したいのか、そこまで考えてしたんだろうな」と問われる。


 そこまでの考えがあったか、俺に?

 戸惑い、分からないと伝えたら、やっぱり飛んできたのは、父親の拳だった。

 母親が実家に残り、父親は単身赴任先に翌日の朝、帰っていった。

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