第47話

 それよりも、と牧那は言葉を続ける。

 相談が、あるんです、とこちらに真剣なまなざしを向けた。


「相談」

「はい。季美のこと」

「呼び捨てにするときとお姉ちゃんっていうとこの差はなんだ?」

「……姉として認めたくないとき」

「ああ」


 実に明確で的確な答えだった。

 まるで数学の解答みたいだ。

 妹から見て尊敬できない姉の態度を非難している。

 そういうことか、と抱介うなずいた。


「で、相談は」

「あの男が嫌い。いまの彼氏」

「……乃蒼か。前田乃蒼。だろ」


 そう、と牧那は首を縦に振る。

 そこには嫌悪感がありありと見て取れた。


「選んだのはあいつだ」

「知ってます。でもあの‥‥‥昨日の食堂のようなこと、二度とさせたくない」


 静かな怒りに満ちた声だった。

 姉を思いやる妹の純粋な悲しみを聞いた気がした。

 そうじゃなければ、どうかなと話を流していたに違いない。いつもの抱介なら。


「俺から別れろって言うのは、筋違いだ。お前だって分かってるだろ」

「でも、協力するって!」


 あー確かにそれは言った。

 あんな証拠画像を撮られていたら、否定なんてできない。

 季美との裸で過ごしている風景、なんて勘弁してくれ。受け入れられない。


「言ったな。確かに言った」

「完全に本気の目だったし」

「あれは演技、ってことにはしないけれど。奪還しろって、季美を?」


 コクンっと何度も小さく卵型の頭が上下に動いた。

 早くしろ、と急っついているようにも取れた。

 さあ、どうしたもんだろな。


「怖いの?」

「前田がか、? いや‥‥‥それはー」


 特にない、かな。

 まだ身の破滅の方が余程、怖い。

 両親を悲しませる未来と、痛いかもしれないが、瞬間的に痛めつけられるなら、後者の方がましだ。

 多分、それは牧那も同じだろう。


 家族を悲しませるくらいなら、悪い虫から姉を取り返す方法を模索するのは、妹としては正しい行動だ。

 とてもよくできた妹。


「だけどな、お前に誠意を感じない」

「はあ?」

「お願いするなら誠意は必要だろ。俺を動かすためにあんな脅しをかけるなんて行動、いくつもの段階をすっ飛ばしてる。どう考えても、切羽詰まってる」

「……時間が、ない。から」

「そこを知らないと、俺は動きようがないよ」


 だろ? 

 と諭すように言いつつ、牧那の伸びすぎたその鼻を引っ張ってやる。


「うやああああっ」

「お前、なまじっか頭が良いもんだから、周りを自分の思うとおりにしようとして動いてるとこ、透けてるんだよ。丸見え。そういうとこ、嫌いじゃないけどな」

「あうっ」


 ツンっとそれを押し返してやる。

 頬に鼻先。

 極度のシスコンか、それとも秀才過ぎて物事をゲームのようにしか扱えない不器用な大人になれない幼女か、それとも誰かを助けたいその一点に心を砕く現代のシスターか。


 まあ、三番目はないな。

 よくて二番目。

 それもなんとなく怪しいが。


「あれ、どういう意味だ」

「なにがですか!」

 理不尽牧那はぷんすこと怒っている。少しはいじめられる人の心の痛みを味わえ。

「先輩はいつも宝物をくれる、あれだよ」

「そんなこと言いましたかね」

「言った。俺は記憶力は悪いが人との対話だけは一文字一句間違えずに覚えられるんだ。自慢じゃないがな」


 と言い、抱介はあの時の会話をそらんじてみせる。聞いた牧那は録音データでも耳にしたかのように、呆れてぽかんと口を開けていた。


「欠陥先輩にも特技があるんですねー、驚き」

「一言多い。また頬つねるぞ」

「いじめは反対です!」


 だからお前が俺をいじめているのな? 抱介ははよ、続き。と促す。

 牧那は彼から距離を取りながら、おずおずと会話を続けた。


「乃蒼がお姉ちゃんに悪い事ばっかり教えていて、きりがないんです。聞いていたら最初は身体を求めて来るだけだったのに、そのうち‥‥‥」


 牧那は顔を真っ赤にして、おっおもちゃ、とか。と切り出した。


「そういう物をたくさん‥‥‥使って。ええ、首輪とか散歩とかさせたいとか。そんな妄想ばかり口にするって。で、誰かにその」

「素晴らしい妄想だな、前田の奴。頭の中はアダルトビデオのみ過ぎじゃないのか」

「しっ、知りません! でも、昨日‥‥‥相談、というか。なんだか死んだような顔をしていたんです、季美が」


 ようやく、本題が出た。

 図書室に来る前から静かだったのはこういうことか、と理解する。

 しかし、それは難問だ。

 選ぶのは季美なのだから。


「警察にでも行けば」


 と、冷たい一言が口を突いた。

 関わりたくないからじゃない。

 それが一番、効果的だからだ。


「……え」


 牧那は途端、蒼白になる。

 こちらを信じられないと絶望の眼差しで見ていた。


「被害に遭ったのか、そうするように脅されているのか、それとも危険性があるだけなのか。警察は事件が起きてからしか動かない」

「……信じらんない。それでも男なの」

「これでも男だよ。でもお前が勘違いな」

「はあ?」


 どういうこと? とこちらみ身を乗り出してくる。

 なんだかんだと言いながら、お姉ちゃんを守りたい妹の行動は偉大だ。

 もっとも、それだけじゃない可能性もあるが。


「なんでお前、ここにいる」

「だって学校が‥‥‥」

「季美が危険な目に遭うって分かっていて、ここに来させたのか? それだけ頭が回るお前が?」

「……」


 片肘を机の上について頬に拳を当て、抱介はきつく詮索する。

 姉を愛する妹ならこんなこと、しないだろ。そう言いたかった。


「朝‥‥‥止めようとしたけど、でも連れていかれた」

「連れていかれた? 誰に?」

「乃蒼よ。いつも迎えに来る」

「ふうん。熱心だな」

「今日は楽しみだなって言ってた。季美の顔、喜んでなかった」

「で、お姉ちゃん大好きな忠犬の妹は助けを求める? なんか違うだろ」


 牧那の手から小説を取り上げて、その挿絵をちらっと見る。

 悪者が裁かれているような、そんなシーンだ。


「乃蒼から取り戻してもまた同じになる。俺があいつを寝取っても、また繰り返す。季美はそういう女だ。そうだろ」


 物語のようにばっさりと勧善懲悪とはいかない。それが現実だし――牧那はまだ何か秘密を隠している気がした。


「普通だったら、季美とかうちみたいな面倒くさい女には関わらない」

「自覚あったのか」

「みんなの態度を見てれば、誰でも分かります」


 どこか悔やむように牧那は言った。

 ここにいるだけでこの学校からは浮ついた存在だ。抱介も含めてまるでアウトローになった気分。


「みんなと合わせればいいのに。そうすれば、季美は無理でも、お前は浮かなくていい」

「牧は牧でいたい。先輩こそ」

「ひねくれてるな、お前」


 牧那の皮肉は聞かなかったことにする。言われなくてもその程度の自覚はある。

 家族からも、あの季美にすらも言われたことだ。


『あなたって本当に変。だからいいのかも』


 最後に聞いた愛の言葉をつい思い出した。似ている物同士で惹かれ合った過去を再開するか。ここで別の出口をこじ開けるか。


 まあ、なんとなく牧那の行動原理は分かった。

 季美はこいつの姉という欠片で、それは牧那という世界を構成している。

 けれど、決してその価値が牧那を上回ることはないのだ。


 牧那にとって、季美は自分の一部。仲間のような物。部下のような物。子分のような物。


「俺が季美と付き合ってるとき、あいつの幸せはお前の幸せにつながった。だから宝物をくれた、ってか?」

「さあ?」


 姉を通じてしか他人との幸せと共有できない特殊な感情に支配されてでもいるのかな?

 さて、どうしたものか。


 季美というフィルターは自分の意志で動き回るのだから。


 抱介は牧那に小説を戻すと、その両方の頬を摘んで引っ張ってやった。

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