第50話

「言いにくいことだったら、メッセージでもいいよ」

「私、風見くんのアドレス知らないから」

「あー……それは確かに」


 どうしたものかとあたりに助けを求めたら、誠二の心底恨めしそうな目線とぶち当たる。

 そうじゃないから勘違いするな! とにらんでやる。

 野犬が噛みついてきそうな勢いで牙をむくと、そっぽを向いてしまった。

 とりあえずあいつは放っておこう。

 後からケアすればいい。


「そんなに言いにくいことなの?」

「これ見てくれたらわかると思う」


 そう言ってみのりが差し出したのは、仲良し女子達のグループチャット。

 その画面だった。


「見ていいの?」


 うん、と小さくうなずくのを確認して、その手からスマホを借りる。

 誠二が、「何やってんだよ」と叫んでいるのが耳に入ってきた気がするが、無視をする。


 そこには、季美に関することと、何枚かの画像。

 彼女の後ろで下卑た笑いをする、あの男も小さく映っていた。


「……」


 目撃した衝撃があまりにデカすぎて言葉が出ない。

 どうしてこうなった。

 その言葉が頭の中を駆け巡った。


 画像の数枚は、ほとんど同じ瞬間のものだ。

 多分、斜め前の席から盗撮同然に撮影されたものだと思われる角度。

 とても鮮烈な映像だった。


「それが昨夜、チャットに流れてきて‥‥‥」


 みのりはそこから言葉にならないうめき声のようなものを漏らしていた。

 同じ女子陸上部。

 一年の頃からの数少ないあいつの親友。

 いきなりこんなものが衆目の眼前に晒されて、みのりはさぞ驚いたことだろう。

 怒りを持ったかもしれない。

 それは、例え撮影したとしても、ばら撒いてはいけない物だった。


 授業中のどこかの瞬間。

 季美は席に腰かけて、スカートをまくり上げていた。


 どこまでも広げられたその太ももの奥に見える、くっきりと映った見えてはいけないもの。

 それが、こんな粗い画質のものでも、見えてしまうのだから技術の進歩というものは恐ろしい。

 一瞬の過ちが、人生の全てを崩壊させることにつながる。


 季美は恥ずかしそうな顔と、それを見られていることに感じているのか、とても微妙なでも、淫靡な笑みを浮かべていた。


「あの子、そんなことする子じゃ」

「……もう、いい」


 抱介はそこまで言ってから、半ば押し付けるようにみのりにスマホを戻した。

 くるりと踵を返し、自分の席を目指す。


「風見君?」


 非難にも似た声が背中に突き刺さる。

 心臓までえぐりそうなそれを受け止めながら、でも、抱介は歩みを止めなかった。


 誠二が「どうしたんだよ!」と叫ぶ。

 今度は、よく通るその声が耳障りで。


「なんでもないよ」


 と、逆に全てを黙殺するかのように、抱介は怒りに満ちた声を腹の底から引きずり出していた。


「おいっ‥‥‥」


 その圧に押されたのか、誠二は面色を失う。

 みのりにも、他の生徒たちにも、それは届いたのだろう。

 クラスのざわめきが一緒にして止んだ。

 普段は大人しい抱介。


 日陰にいて怒る表情なんて見せることもなくただ孤独に存在しているだけの彼が、こんなに怒りと恨みのこもった声を出すなんて。

 みんなが語ることをやめる、抱介に視線を移していた。

 そこに本当に触れてはいけない嵐のような存在がいることを、各自が改めて確認したかのように、彼らはすぐに目をそらしてしまう。


 ただ、誠二とみのりだけが、その視線を外さずにいた。


「すまん。お前の言う通りかもしれん。クラスにいた方がいいのかもな」

「ああ、そうかも、な‥‥‥。聞いたのか?」


 怒っている人間は誰でも怖い。

 腫れ物に触るように触れてくる人間には、当てつけのように怒りの矛先が向くことだってある。

 でも誠二は違った。

 ただ心配して、友人の悲しみを怒るように、彼はそこにいた。


「聞いた、見た。それだけ」

「行かないのか」

「どこに?」


 それは、と誠二が言い淀む。

 季美は窮地に陥っている。

 こんなとき、正義の味方なら、向かうべき場所は分かっている。

 そこに行って、やっつける悪者だって二年の生徒なら誰でも分かっている。


 ただ、証拠がない。

 そしてみんな彼を恐れて、彼女を助けようともしない。

 そんな連中は仲間なんて呼べない。

 ついでに自分はその中にも入れずに外から見ているだけの、はみ出し者だ。


「乃蒼のとこに、さ」

「名前出すなよ、馬鹿」


 ああ、そうか‥‥‥と。

 なんとなく理解してしまった。


 はみ出しものなのだ俺は。

 なら、みんなのルールに従う必要はないじゃないか。

 はみ出し者らしく、自分の流儀でやればいい。

 ただそれだけのこと。


「すまん。やることがあるなら手伝う」


 目の前にも、仲間の中にいるように見えながら、その実、はみ出し者にしかなれない奴もいる。

 誠二だ。


 だけど今はこいつを巻き込むべきじゃない。

 誠二には、ちゃんとした想い人がいる。

 実は、みのりだってそのことを知っている。

 たまに、後ろの席の彼女にそれとなく訊かれたりする。

 誠二に関するちょっとしたことや、誕生日や、好きな食べ物や、彼の興味があるのはなに、と。

 そんな二人を巻き込んでまで、やらなきゃいけないことじゃない。


「ばーか」


 お前はすっこんでろ。大事な女を、巻き込むな。

 伝わったかどうかわからないけど、そう言ったらむっとした顔をして、誠二は前に向いてしまった。

 後ろの席にみのりが着いたのが気配でわかる。

 抱介は振り向くと、微妙な笑顔を見せた。


「後から行くよ」


 その言葉に、みのりは小さく笑った。

 前の席で、誠二が視界の端で頷いた。

 一年前のあの時。

 孤独だった自分を受け入れてくれたのは、彼女だけだった。

 初めての女性、誰にも開かなかった心を許した最初の人、そして‥‥‥。


 先輩を裏切ったなんて被害者面をして、彼女を裏切ったのは自分なのだから。



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