第四章 希望のない未来

第41話


 ……というところまで書き終えて、槍塚季美は、筆を止めた。

 誰に見せるとでもない、日記のようなものに、その時その時、思い浮かんだことを書き留めているのだ。


 断片的でも、かなりの長文になってもいい。

 自分の思いをそこに綴ることは、まるで人生録を残しているような感覚にも襲われるが、日記よりもむしろ、形式としてはそっちに近い。


 こうして書き溜めたものは今ではA4ノート、数冊分になる。

 これを書き始めたきっかけをくれた人。

 それは誰でもない、あの抱介だった。


「お前それ何書いてんの?」


 前の席に座る男友達が、質問する。

 季美はもうすぐ授業が始まることを思い出して、慌ててそれをパタンと閉じた。


「なっ、なんでもない」

「そう」


 彼は興味なさげにそう言うと教壇に向き直る。

 次は歴史だ。

 苦手な世界史。

 今書いていたノートを、誰にも見られないように、制鞄の中へと戻して、ロックをかける。


 季美が使っているそれは、簡易的なものではあるが、四桁の数字をダイヤル式に合わせないと開かない仕組みだ。

 どんなカバンでもこれを持ってきますと宣言すればこの学校ではそれを認められる。

 そんな意味では便利な制度だった。

 ただ、荷物が多すぎたり、気分によって別のカバンに変えたら、先生からなんか違うんじゃない? と小さく指摘を受けることも免れない。

 だけど季美の場合、その髪色からして、あまり目ざとく指摘されなくなった。


 内申の評価に響く自主学習を辞め、一年の後半からは教室の授業に顔を出すようになった彼女を、教師たちは疎ましく感じてはいた。

 途中から自分の受け持つクラスの異分子が、いきなり戻ってきたのだ。

 嬉しいはずがない。

 しかし、放っておいたらまた自習へと戻りかねない。

 そうなると、教師の管理能力を疑われる。


 それならば放っておいて、彼女が自主的に授業に参加するほうを優先する。

 誰でもそうするはずだ。実際、現在の担任もそうしている。

 だから、髪色とか付き合ってる男とか参加しているグループがどれほど劣悪な環境のものであっても。

 季美に救いの手を差し伸べてやろうと考える教師もいなかったし、仲間もいなかった。


 世界史の教科書とノートを取り出し、ついでに机の上に学校から支給されているタブレットも取り出して、机の端にセットする。

 授業の内容は全てそれで録画して記録され、後ほど好きな時に見ることができた。

 これもまた、抱介がしているような自主学習の補助となっている。

 一年の最初の頃は季美もこの制度を嬉しいものと感じていた。


 だけど困ったことに、そこには各授業風景そのものが映り込んでいる。

 栗色に染めた自分の髪が、太陽の陽光を浴びてキラキラと金色の輝きを発しているのを発見したとき、「……」と唸るような声をかけてしまったことを覚えている。

 それに気付いてからは特に目が悪いわけでもないので、なるべく教室の隅の方の席を希望することにした。


 自分的には気を使った気分。

 周り的には、「え、そこでいいん?」と困ったように尋ねたくなる気分。


 教室の一番奥の席といえば、昔も今も変わらない。

 ダメな生徒、できない生徒、俗に言う不良なんていう輩のたまり場でしかないからだ。

 そして季美の隣にはそのうちの一人がいる。

 右隣にいる田坂光機と知り合った。光る機械と書いて、コウキ。

 なんとも、珍しい名前? いや季美って名前の方が現在では珍しい。周囲には彼氏の前田乃蒼(のあ)、花坂瑠璃覇(るりは)、三条輝波出(かなで)、富田弩夢(どむ)。

 なんてキラキラネームがわんさかといる。


 まだ自分の名前をまともにつけてくれた両親に感謝したほどだ。いや、他の子の両親だってそれはそれは愛情を注いだに違いないのだけれど。

 ちなみにさっき声をかけてきたのが、弩夢だ。

 仲間からはドム、と呼ばれているが響きの通り体格がいい訳でもないし。彼は女子と並んでもそん色ないほど背が低い。

 一つ目でもない。髪の毛は真っ赤に染めているけれど「赤い流星」なんて揶揄されたら、真っ先に飛んでいくのは拳だった。


 一応この五人組が、季美の仲間ということになる。

 三年になるまでのたった一年間だけの、都合のいい仲間というわけだ。

 ちなみに、いまの彼氏の乃蒼は……真後ろにいる。


「後ろにいた方が、色々とやりやすいよね」


 そうのたまう彼の色々。

 それは、年頃男子なら思いつくような理想のあれ。

 女子を妄想の中で好きにするような、そんなこと。


 本日のそれは、昼休みに食堂でやっていたあのセクハラを更に加速させたものになりそうだった。


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