第28話

 柔らかくて抗えない劣情。こちらが主導権を握ると躍起になっているのに、小さな悪魔は何一つ苦労することなく、目的のものに軽く歯を立ててしまう。


「――っ、まっ」


 この時、抱介が思い出したのは、あの時のこと。夕陽に染まったあの三階の教室で、季美に同じようにして舌を吸いだされ……そのまま、鮮血を散らしたことだ。


 またあの、言いようのない痛みが襲ってくる。体を硬直させて反応が鈍くなる。対応が遅れ、来るであろう痛みに対して肉体がそれを受け止めようと、更に抱介の身体はこわばった。


 しかし……。待っていたのは親猫が子猫にするような、そんな優しくて愛情のこもった甘噛みだった。ハムハムと彼女が自分の舌を噛んでいるその様子を、顔が近すぎて焦点の定まらない瞳で見てしまい、抱介は唖然とする。あれじゃあまるで俺がペット扱いだ……。


 おもちゃならぬ、ペット?いやいやそれは悪すぎる冗談だ。そう思うと現実に戻れた。悪い夢はあっさりと消え去ってしまった。


「ふぎっ!?」


 そこから先の対応は自分なりには冷静に行えたつもりだ。まず、牧那にキスをし返す。今度は、抱介が彼女の舌先を噛んだ。次に、自分の後頭部を押さえていた少女の両腕をこちらも両腕でもってはがすと、そのまま彼女の後頭部に回して抵抗を奪う。


 やることは獰猛でも、中身はやはり女の子だ。力なんて、あるようでない。抱介が片腕で彼女の両腕を拘束するのに、時間はかからなかった。


 てっきり噛みついてきて抵抗するかなと思ったけれど、それはなかった。もしかしたら、抱介が牧那の舌を、さっきやられたのと同じように軽く、何度も、噛んで吸い取っていたからかもしれない。最後に、空いた右手で……牧那の鼻を摘んで、息をできなくする。


 唇で口をふさぎ、思いっきり空気をこちら側に吸引してやる。牧那の肺と全身にあったはずの空気は、酸素は……たった一瞬で抱介の支配下に入った。


「ふぐぐっ……」


 抵抗しようとしてもそれは無意味な行為だった。抱介の左手は牧那の両腕を捻るようにして後頭部で持っているから、彼女には体を反らすことしかできない。足場となっている脚立はしっかりと立っていて、牧那が何かの拍子に踏み外さない限り、そこから動くことはなかった。


 そして抱介の足は、脚立の一段目を踏み込んでいる。牧那が背筋をのけ反らせれば反るほど、抱介の体重は脚立にかかり、それは動かない。


 十数秒の抵抗。


 どうにかして拘束を解こうとして、敵わないとみると、抱介に近い方の膝で彼の上半身を蹴り上げようとする運動神経の良さは大したものだ。しかし、牧那の身体は向かって前。抱介の身体は彼女の左側面に移動している。どうあがいても、逃れることができないようになっていたのだ。

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