皮膚の日
~ 十一月十二日(金) 皮膚の日 ~
※
長寿。良い意味で使う。
「サメハダ!」
「も、もっちり肌……」
「うはははははははははははは!!!」
昨日の夜辺りから、カサカサと。
耳に届き始めた冬の足音。
そんなものを、西の国から運んできたのが。
我が家から二つ隣りの駅に住む友達を。
こうしてたまに訪ねに来る。
ばあちゃんだ。
「立哉ちゃんは、お嫁さんよかせんす無いん。おろしがねとか、準備したんか?」
「悪かったな。どうしたら面白いことができるか教えてくれねえか?」
「ばあに聞かれても知らん。これでも食うて、せいをつけるん」
「うはははははははははははは!!! コハダ!」
今晩のおかずにと。
駅を出てすぐの魚屋で買ってたけども。
これから友達に会うってのに。
魚ぶら下げて向かうとか、実にばあちゃんらしい。
そんなばあちゃんの手を再び取って。
ゆっくり歩きだすのが。
「およめさんの手は、スベスベなん」
「あ、ありがとうございます……」
褒められて、照れくさそうにはにかむ。
前に、田舎に連れて行ってやった時。
じいちゃんばあちゃんから、俺のお嫁さんだと勘違いされて。
それ以来、誤解は解けても。
呼び名は変わらないという厄介なこの状況。
おかげで照れくさいし。
世間様の目が痛い。
「立哉ちゃんは繋がないのかい?」
「繋がんな」
「いいもんじゃよ。ふれあう皮膚と皮膚」
「せめて肌と肌」
「あはははははははははははは!!!」
この、笑いの神に愛された女王は。
秋乃のツボをわしづかみ。
慣れた道だと説明しても。
連れて行くと言ってきかなかった秋乃は。
道すがら。
こうしてずっと笑いっ放しだ。
「くそう。凜々花に続いて手ごわいやつが……」
「なん? こわいこたあんめ。やわっこいぞ、お嫁さんの皮膚」
「だから肌と言え」
「およめさんのんは、確かにおはだじゃのん。じゃが、ばあのしわくしゃは、肌とはよう呼ばん」
「そ、そんなこと無いですよ? しっとりツヤツヤ」
褒められても眉一つ動かさない。
何をされても無表情なばあちゃんが。
今日は珍しく。
ニヤリと含み笑いを見せた。
「……おべんちゃらもろても腹は膨れん。じゃが、も少ししたらお嫁さんと同じ手になれるん」
「すいとる気か?」
「そんなんせんよ。お嫁さんがつことるハンドクリームおせーて貰うん」
……ハンドクリームで。
同じ手に?
「なれるのか?」
「なれるん。……の?」
「はい。なれますよ?」
「ほれ」
なれるわけあるか。
そう思いながらも。
口にはしない。
いくつになっても。
乙女は乙女。
こうして、随分とお高いハンドクリームが。
売り上げを伸ばす訳か。
それにしても。
秋乃もやっぱり女子なんだな。
ばあちゃんが、こんな嬉しそうにするなんて珍しい。
乙女のツボを、良く心得ていらっしゃる。
……薄手なのに。
裾長め。
そんな上着が恋しい秋空なのに。
早く暖かいところに入りたいのに。
歩幅はいつもの半分にも足らない。
それでも。
ばあちゃんには、ちょっと速いかな。
無表情だから、いまいちはっきりとはしないけど。
すこし辛そうに見えなくもない。
秋乃らしい。
下手くそな親切。
手の高さかがちょい高い。
歩くペースがちょい速い。
でも婆さんは。
沢山のことを体験してきて。
多少のことでは表情も変えない婆さんは。
秋乃を見上げて。
嬉しそうに歩いてる。
そして低く曲げた腰の向こうから。
しわくちゃにつむった目で。
俺に振り向くなり。
こう言った。
「いいもんじゃの、お嫁さん」
「ばあちゃんのじゃねえぞ?」
「おまいさんのでもあるめい」
「まあ、そうなんだが」
そして急に真面目な顔になると。
「勝負じゃ」
「うはははははははははははは!!! なんで取り合う流れになった!?」
秋乃も、ずっと笑いっ放し。
このばあちゃんにかかれば、抒情的な雰囲気とか一瞬で吹っ飛んじまう。
「楽しいのう」
「はい。素敵なお散歩……」
「散歩じゃねえだろ。川鍋さんだったっけ?」
「んにゃ。かーなべ」
「カーナビみたいに言うな。まだ先か?」
「歩いときゃ、いつかつくじゃろ」
「なんていい加減な」
でも、そんなやり取りをしていたばあちゃんが。
ゆっくり顔をあげて前を見据える。
駅から離れて三十分。
畑の間に、ぽっこり現れたのは。
垣根もない平屋だった。
どこからどこまでが敷地なのかわかりゃしない。
ただ、そこに自然にあって。
懐かしさと。
安らぎを運んでくれる佇まい。
「……ばあちゃんの友だちが住んでる家って感じだ」
「なにを知った風なこと言うん」
「知った風。……まあ、確かにそうだが。でも、上手いこと言えたつもりだが?」
「何を言うかね。まだまだじゃ」
手厳しい婆ちゃんが。
俺の言葉を否定する。
そんな婆ちゃんの一言一句は。
しばしば、俺の人生訓になる。
お笑いばかりじゃない。
ばあちゃんは、俺の先生でもあるんだ。
今日は、どんな格言が待っているんだろう。
俺は期待に胸を膨らませながら。
会話を続けた。
「まだまだ、か。でも、あの家見たらそう思うだろ?」
「どう思うん」
「ばあちゃんの友達の家に相応しいって」
「だから、まだまだなん」
ゆっくり首を振った後。
心配そうな表情を浮かべていた秋乃にくしゃっと微笑みかけてから。
ばあちゃんは、その場で足を止めると。
よっこら腰を伸ばして、高い高い秋の空を見上げた。
あんな家に例えるな。
自分はまだ若い。
俺は、婆ちゃんの背中から。
そんな言葉が聞こえたような気がした。
……いくつになっても。
乙女は乙女。
秋乃にハンドクリームを教わるんだと。
あんなに楽しそうにしていたばあちゃんに。
齢のことなど無粋だったかな。
「ばあの友だちが住んでる家、かの」
「すまん。ばあちゃんの言う通り、たしかにまだまだだった」
俺の言葉を聞いて。
ほほと笑った婆ちゃんは。
おもむろに来た道を戻り始めると。
「まだまだじゃ」
そう言いながら。
随分と早い足取りで、俺たちの前を歩き始めたんだ。
「……だってかーなべんち、魚屋」
「うはははははははははははは!!!」
「じゃ、じゃあ、ご挨拶終わってたの……?」
「うん。これは散歩」
「うはははははははははははは!!!」
……ほんと。
俺は、まだまだだ。
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