俺の消えた世界で生きる・・・・・大切な君へ。
utsuro
第1話 僕の最期の物語
恐れていた日がやってきたことを、俺は知った。
君と共に生きていられる時間が、残りわずかとなったのだ。
君と君の兄と俺の3人が暮らしているマンションのリビングで、今は俺だけが、独り冷たい静寂に包まれていた。
俺は買ってきたばかりの淡い緑色の封筒と、真っ白な便箋を取り出し、ペンを手に取った・・・・・・。
恐怖に凍え震える気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりと、丁寧に、俺は君との記憶を紐解き始める。
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俺が勤めていた会社に、君が新入社員として入社してきたのは、俺が入社して3年目のことだった。
俺を女と見間違えた君は、真っ直ぐな目をして、俺にそのことをわざわざ告げてきた。
女顔なうえ線が細いせいか、女に間違えられたり実際の年齢よりかなり若く見られることが、俺にはよくあった。
だが、ここまでストレートに言われたのは初めてだ。
俺と同じ部署に配属が決まり、寮でも同室になった20センチも背の高い君は、あまりにも出来過ぎていて俺は少し呆れてしまった。
だって、博識で優しく勇気もある君は、明るく素直なうえに仕草や見た目までよかったんだから、呆れるしかないだろう。
欠点があるとしたら、忘れっぽくて、方向音痴なところくらいなんだから・・・・。
1年が過ぎ、君がすっかり仕事に慣れたころ、小さな事件が起きた。
恋愛関係のもめごとに巻き込まれた俺が、事を収めるために部署を異動することを選んだんだ。
それが、俺たちの運命を分ける選択になるなんて知らなかったから・・・・・。
俺の移動先の部署は、商品の製造部門を担当する工場だった。
俺が配属され少しすると、長年勤めていたパートのおばちゃんたちや係長が、体調不良というあいまいな理由で、別れの挨拶を交わすこともなく突然退職していった。
次々と、同じ理由で社員が辞めていく中、俺はついにその原因を突き止めた。
俺が新しく配属された部署は、商品の材料に含まれる"石綿"という名の煌めく悪魔の粉で侵されていたのだ。
勤続年数が同じくらいの他の社員を調べると、遠い過去にほんの数日間この部署を手伝っただけの社員が、同じ病に倒れ、すでに何名も亡くなっている事が分かった。
俺は・・・手遅れかもしれない。
暗く冷たい想いが、世界から急速に色を奪っていく。
突然口数の減った俺を君が放っておくわけがないことを、その時の俺に考える余裕はなかった。
*************
俺の様子を心配して見に来た君が、輝く毒の粉が降り注ぐ中、マスクもせずにたたずんでいるのを見た時。
俺の心臓は凍り付いた。
いまさら自分の浅はかさを呪っても、間に合うものではなかった。
ここに来てはいけないと、君に伝えておくべきだったんだ・・・・・。
俺は力ずくで君を作業場から追い出した。
「もう二度と、ここへは来るな!」
自分への激しい怒りを抱えた俺は、乱暴に言葉を投げつけると、傷ついた
このまま声を上げて泣いてしまいたかった。
怖い・・・・・・。
怖くてたまらない。
なぜ、君は来てしまったんだ。
ほんの少し吸っただけで、胸に死の種を植え付けられてしまうかもしれないこの場所に・・・・・。
打ちひしがれたまま仕事を終え部屋に戻ると、君は眠ったふりをしていた。
君の「おかえり。」という声が聞けない夜は初めてだった。
切なさと寂しさから、思わず彼に向け伸ばしてしまった俺の手は、無言のまま遮られ強く拒絶された。
俺は・・・・・君を酷く、傷つけてしまったのだ。
冷たいシャワーを浴びながら、戻すことのできない時を呪い、俺は声を潜めて涙を流した。
翌朝。
目を覚ますと、部屋の中に君の姿はなかった。
俺を避けて、コンビニで時間をつぶしているのだろう。
力なくいつものように職場へ向かい1日の仕事を終えた俺は、重い足取りで部屋の前まで来て、立ち止まった。
冷たく震える手でドアを開けると、目の前に君が立っていた。
驚き、目を見開く俺の腕を、温かい手で力強く掴み、君は口を開いた。
「嘘つき。」
あふれ出す涙で、君の顔がよく見えない。
「もう。何も言わないでください。あなたの優しさは僕には辛すぎる。」
そう言って頭を撫でてきた君の手があまりにも優しくて・・・・・・。
俺は静かに目をつぶった・・・・・・。
唇に感じる柔らかな温もりと、耳元で紡がれる甘い告白が、世界を再び鮮やかに染め上げていくのを感じながら、俺は・・・・・人生で2度目の、最後の恋をした。
痺れるような幸せに溺れそうになりながら、重なり合う温もりの中をまどろんでいた俺は、君の鎖骨を目にした瞬間、あまりの驚きに息をのんだ。
俺の目線に気づいた君は微笑んだ。
「あぁ。
「違うっ・・・・・。」
傷ついた様子の君に、俺は慌てて首を振った。
赤い蝶に似た形のその痣に、俺は見覚えがあったんだ。
こんな偶然があるのだろうか・・・・・。
俺は、大切な思い出を辿るように、その痣を指で静かになぞり、そっと口づけた。
幼い日の夏休みの記憶が、鮮明に俺の頭の中を駆け巡る・・・・・。
再び涙をあふれさせた俺の頭を腕に包み込み、君は笑いながら囁いた。
「あなたって人は、本当に泣き虫だ。」
どこかで聞いたことのあるそのセリフに、俺の心が愛おしさに震える。
俺の世界は、あの遠い夏の日、生まれて初めて色づいたんだ・・・・・・。
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