かぼちゃの煮物のせいじゃない(ノベルバー2021)

伴美砂都

かぼちゃの煮物のせいじゃない

 お弁当にかぼちゃの煮物が入っているのが、恥ずかしかった日があった。高校一年生のころだ。中学までは給食だったから遠足のお弁当しか知らなくて、四月、母は当然みたいに手づくりのお弁当を詰めてくれた。

 猫の柄のついた、えんじ色のお弁当箱。下の段にはふりかけとゆかりの二色に分かれたご飯、上の段にはたまご焼き、ウインナー、茹でたブロッコリーにきんぴらごぼう、そしてかぼちゃの煮物。

 今思えば、最高のお弁当だ。恥ずかしいだなんて、罰当たりにもほどがある。でも、中学で仲がよかったわけでもないけどたまたま同じ高校で同じクラスになった畑野さんと、畑野さんとバスケ仲間だという山口さん、山口さんと同じ中学だった向井さんの三人と、どきどきしながら机を向かい合わせたとき、彼女たちがめいめい持っているのがコンビニのパンやおにぎり、あるいはお弁当でも、ケアベアやセサミストリートのキャラクターがついたあかるい色のタッパーだったりするのを目にしたとき、微妙に机が狭くて少しこちら側に垂れてしまった水玉模様のランチョンマットも、いかにも「お母さんが作りました」というきちんとしたお弁当も、えらく野暮ったいように思えてしまったのだった。


 かぼちゃの煮物は毎日必ず入っていた。お弁当箱は春休みに母と一緒にイオンに行ってわざわざ選んで買ってもらったものだったから、変えてほしいとかお弁当をやめたいとは、さすがに申し訳なくて言えなかった。私以外の三人は高校でもバスケ部に入り、私はどんどん会話に入れなくなっていった。決して無視されるとか意地悪を言われるとか、そんなことはない。それでも、気を遣ったのか畑野さんが、たぶんそれしか話題を見つけることができなかったのだろう、石田さんのお弁当、いつも美味しそうだよね、それ煮物だよね、と私のお弁当のほうを見て言ったとき、私はそのかぼちゃをちょうど口に入れてしまっていてもごもごしてすぐ返事ができなかった、山口さんと向井さんが気まずそうに目を合わせて少し、ほんの少し笑った、気のせいかもしれないけど、そんなような気がしてしまって、でも一人でご飯を食べるのは、もっとすごく恥ずかしいことだと思っていた。


 かぼちゃを入れるのをやめてほしいんだと母に言うとき、意を決して言ったのだけれど、母はとくに気を悪くする様子もなく、わかったよ、と言った。


「あれ、未希子ってかぼちゃ嫌いだっけ?」

「ううん、ちがう……んだけど」

「作り置き楽だし好きだと思って入れまくってたけど、やりすぎたか」

「そんなことないんだけど……なんかちょっと」


 口ん中の水分もってかれるもんね、と言って母はカラカラと笑った。母も高校生のころ、もしかしたら自分だけ仲良くないかもしれない友達とお弁当を食べて気まずかったことがあるだろうか、いや、きっとないような気がした。


「……夜ごはんだったら、べつにいいからね」

「そ?じゃあ出すけど、気ぃつかいだね未希子は、べつにもうちっちゃい子じゃないんだし、嫌いなものとかあったら普通に言えばいいんだからね」

「……、うん」


 翌日からかぼちゃの煮物は姿を消した。代わりに入るようになったのは、小さなハンバーグや、冷食のカップに入ったグラタン、にんじんのグラッセなんかで、そのどれも、きちんと美味しかった。いや、かぼちゃだって、美味しかったのだ。

 そして、私は気付いた。畑野さんたちといつまで経っても仲良くなれないのは、かと言ってクラスにほかに入れるグループも見つからないのは、決して、決してかぼちゃの煮物のせいじゃない。もちろん、猫のお弁当箱のせいでもなく、ふりかけやそぼろや桜でんぶで彩られたごはんのせいでもなく、その他のおかずのせいでもない。そんなことは、関係ない。

 私はいつしか畑野さんたちのグループを離れ、たまたま家庭科で同じ班になった倉田さんたちの、おとなしい子の多いグループの隅で食べるようになり、そのグループには、私と同じようなお弁当の子も、何人かいた、それでも、つまづいてここへ来てしまったという引け目からあまり会話に入ることもできなくて、一緒に食べているかどうかといったらギリギリ一緒というぐらいの距離で、たまにみんなが笑うとき一緒に笑ったりして、そんなことばかりで、高校時代は過ぎていった。



 *



 本屋のバックヤードは狭いけれど、ケトルに電子レンジ、だれが持ち込んだのかトースターまである。チンと音がして、パートの永田さんが、おっ焼けた焼けた、といそいそ立ち上がる。


「鶏ハムサンドイッチよ」

「いいですねえ」


 言った盛岡さんのお弁当箱はトーマスの、プラスチックのふたをぱちんと止めるタイプで、今は大学生だという息子さんが、むかし使っていたものだろう。かぼちゃの煮物にそぼろあんが見えて、少しほっとするような気持ちで私もお弁当箱を開ける。


「石ちゃんのお弁当も美味しそうね」

「あ、……ありがとうございます」

「かぼちゃ、煮たの?えらいわねえ」

「え、……はい、いえ、」


 大学生になって一人暮らしを始めて、お弁当は自分で作るようになった。ときどきはコンビニで買うけれど、結局、引っ越す前に私は母にかぼちゃの煮物の作り方を教わり、そして、高校のころのあのお弁当箱を、今でも使っている。

 六月に始めたアルバイトも、半年経ってだいぶ慣れた。土日の通しシフトで入るときはお弁当を持って来る。少し遅れて、新入社員の菅野さんがお疲れっす、と言いながら休憩室に入って来、ロッカーから真四角の大きなお弁当箱を取り出した。


「すごい量ねえ」

「さすが若者」

「母弁っす」


 菅野さんのお弁当は半分がぎゅんぎゅんに詰められたご飯に梅干しで、半分がおかずだった。そこにも、かぼちゃの煮物がある。


「あら、そっちもかぼちゃ」

「寒くなったからねえ」


 永田さんは盛岡さんにそぼろあんのかぼちゃを一切れ分けてもらっている。


「石ちゃんのお弁当箱かわいいわね」

「え、……高校時代から使ってます」

「そうなの」

「なんか……陰キャのお弁当って感じで、恥ずかしかったんですけど、」


 あ、しまった、と思った。いつもこうなのだ。何か話さないといけないと思って、変に自虐みたいなことを言ってしまって、場の空気を凍らせてしまう。美味しいと思って食べていたら、ふいに繊維が喉に、引っかかるみたいにして。しかし向かいに座る永田さんは一瞬きょとんとして、言った。


「え、インカ?」

「え、なにインカ帝国?」

「古代文明よね」

「インダス文明でしょ」

「インカ文明じゃなくて?」

「インカのめざめ?」

「それってジャガイモじゃなかったっけ」

「あーそうだったイモ、いま大量にあるのよね、早く食べないと」

「ポテサラ食べたいわ、作るのめんどくさいんだけどねえ」


 ガハハと笑うパートさん二人に、いやインキャ、と菅野さんがツッコミを入れる。


「大丈夫っす!俺も陰キャだったし本屋なんて陰キャの巣窟っすから!」


 満面の笑みで言いきる菅野さん。それは何か違うような気もしたけど、でも、私は嬉しかった。かぼちゃの煮物を口に入れると、それはほっこりと甘く、口の中でほどけていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かぼちゃの煮物のせいじゃない(ノベルバー2021) 伴美砂都 @misatovan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る