第30話 彼女の覚悟は報われる



 シェリルは手袋から隠し持っていた護身用の刃物を取り出して自身の首に突き付けた。


 フィランダーの隣から飛びかけてシェリルは皆から離れると刃を首筋に当てる。刃が食い込んでじんわりと血が滲み出ていた。



「なーにが、どうなっているかわかるなよ! 知らないわよ、そんなもの!」



 シェリルは声を張り上げた。フィランダーを両親を、マーカスを睨みつけながらそんなものなど知らないと叫んだ。



「私のことを信じてくれさえしなかった、簡単に騙される両親なんて知らないわよ! 何がどうなるかよ、どうにかなってしまえばいいじゃない!」



 どうにかなってしまえとシェリルは涙を流しながら刃を握る手に力を込めた。強い眼差しで彼らを睨み上げる。



「三文芝居を見せられて、全部思い通りになるだなんて思わないことね! 私を悪役に立てて楽しかった? 楽しそうだったわよねぇ!」



 フィランダーを、マーカスを睨みながらシェリルは笑う。私は知っているの、アナタが何をやったのかもとそれを聞いて二人の顔色が変わった。


 シェリルは「悪役を仕立て上げてヒーローになる気分はどうだった」と可笑しそうに口元を上げながら言う。自身の計画を知っている口ぶりにマーカスは焦った表情を見せる。



「何も知らない彼女はいいわよねぇ。性格が地に落ちたような男に騙されていることにすら気づかないのだから。幸せよねぇ」



 マチルダは自身のことを言われていると気づいて、マーカスにどういうことだと迫る。彼は「あいつの言葉は信じなくていい」と慌てた様子で言った。それがまたおかしくて、シェリルは笑ってしまう。


 両親は何を言っているのだと言いたげな瞳を向けている。気づいていないというのは幸せなことだなと改めて思った。まだ呑気にしているのだから。


 どうせ、これもただの演技ぐらいに思っているのだ。それが可笑しくて、悲しくて、苛立った。だから、演技ではないと見せるようにぐっと刃に力を籠める。握っていた手から血が流れて床に落ちた。



「そうやって誤魔化して生きていけばいい! アナタたちの思惑通りにいくぐらいなら死んでやるわ!」



 シェリルはぐっと首筋にあてがった刃を刺す。ぶしゅりと血が溢れる音がした。その行動に本当にやる気だと今更に気づいた両親がやめなさいと怒鳴るけれど、そんなこと知ったことではない。


 このまま思いっきり刃を引けばいい。シェリルは自分自身が居なくなれば何もできないだろうとそう考えた。箱入り娘の浅知恵だろうけれど、シェリル本人が自害していなくなれば、フィランダーがマーカスが考えたシナリオ通りにはいかないのだ。これはシェリルの最後の悪あがきだった。


 死ぬことなんて怖くなかった。相手の思い通りになってぼろぼろになるぐらいならば、死んだほうがいい。生き地獄など味わいたくはなかった。そんな思いをしてまで生に縛られているわけでも、未練があるわけでもない。


 手に力を入れて思いっきり引こうとした瞬間、その手を止められた。ラルフがシェリルの手を強く握りしめて、その動きを封じている。とても強い力だった。


 いつの間に近寄ってきたのだろう。シェリルが驚いて見上げれば、ラルフの金の瞳は震えていた。


(どうしてそんな顔をするの)


 シェリルが目を瞬かせると彼はその姿勢のままアルダルフを見遣る。



「王よ。交渉しよう」

「な、何を……」

「エイルーン国の借金についてだ」



 びくりとアルダルフは肩を跳ねさせ、マーカスは借金と聞いて眉を寄せた。そんな彼にそれも知らないのかとラルフは眉を寄せる。そして、エイルーン国はフルムル国に多額の借金を抱えていることを教えた。



「父上、それは……」



 アルダルフは「その通りだ」と頷いた。エイルーン国は飢饉を乗り越えるためにフルムル国に助けを求めた。その時に多額の資金を借り入れたのだという。他の国からは相手もされず、事情を聞いてくれたのはフルムルだけだったのだ。



「何故それを……」

「王位を継がぬ、お前には関係ないことだ」



 アルダルフの言葉にマーカスは目を開く。自身は王位継承権がなかったことを知って動揺していた。


 そんな身内の話などどうでもいいとラルフは言った、それは他所でやれと。それにはアルダルフもその通りですと頭を下げる。



「それで、交渉とは……」


「何、簡単なことだ。シェリルを俺の妻に差し出せば、その祝いとして今年の支払いを無しとする」



 今年は丁度多額の返済年だろうとラルフは言った。もちろん、借金から今年分を減らしてやるとつけ加えればアルダルフの目の色が変わった。


 他国の王子と国際結婚をする場合、両国が祝いの品を送り合うのが慣わしとなっている。その祝いの品を今年の借金返済を無くすことにフルムル国はしたらしい。


 それは本当かとアルダルフが前へ出てくればラルフは頷いた。



「あぁ、父からも許可は降りている。書面も持ってきているぞ、おい」

「はっ!」



 控えていたウルフス族の騎士がラルフの前に肩肘をついて書面を差し出した。ラルフはそれを片手で受け取ってからアルダルフに見せる。



「この姿勢での交渉を許して欲しい。少しでも手を離せば彼女が自害しそうなのでな」


 そう言ってラルフはシェリルを見遣る。それにアルダルフが「気にしていませんとも」と書面に触れた。


「いえいえ! お気にせずに! 書面は確かに」



 アルダルフは書面に目を通してそれがフルムル国王のものであるのを確認するとにこにこと笑みを浮かべた。



「さて、もう一度、問う。シェリルを妻として迎えにきたが良いだろうか?」



 答えなど決まっていた。アルダルフは「もちろん」と答えた。そんな王にマーカスが「父上!」と声を呼ぶも、「お前は黙っておれ!」と怒鳴り返された。



「そもそも、お前が何も調べもせずにシェリル嬢を連れ戻したのがいけないのだろう! 危うく国際問題になるところだったのだぞ!」


「そ、それは……」

「フルムル国にどれだけ恩があると思っている!」



 お前は少し反省しなさいと叱るアルダルフにマーカスは何も言えなかった。王の決めたことにはフィランダーも口出しはできないので悔しそうに歯を鳴らす。マチルダはマーカスに対して疑心が芽吹いたようで疑いの眼を彼に向けていた。



「シェリル、その……」

「その手に握っているのを離して、シェリル」



 両親が心配しているような声で話しかけてくる。今更、どの面を下げてそんな態度をするのだとシェリルは睨んだ。ラルフは気づいたようで、二人に「黙ってくれるだろうか」と告げる。



「しかし、私たちの娘で……」

「その娘を信じずにこのようにしたのは誰だ?」



 ラルフは低い声で返す。怒っているのは明白で、両親たちは黙った。他国の王子を怒らせて国際問題にはしたくないようだ。


 黙った二人からラルフは視線を逸らしてアルダルフに言う。



「国王よ、相談があるのだがいいだろうか?」

「なんでしょうか、ラルフ王子」

「金輪際、シェリルにこの者たちを関わらせないでほしい」



 その言葉にシェリルの両親も、フィランダーも、マーカスもマチルダも驚いた。そんな様子に何を驚くことがあるのだとラルフは言う。彼女は貴様らによって苦しみ、そうして自害しようとまでしているのだ。そんなものたちと関わらせるわけにはいかなと。



「娘の言葉を信じずに一方的に怒鳴り上げた両親、彼女を手に入れるために王子と結託した下世話な人間と、他の女にうつつを抜かした王子、そんな男に騙されて高飛車になった女。こんな奴らと関わらせたいとお思いか?」



 それでまたシェリルが自害しようとしたのなら、その責任を取れるのか。そう告げるラルフにアルダルフは確かにと頷いてそれを了承した。余計な問題を起こして関係を崩したくはないのだ。


 何か言いたそうにマーカスはしていたが、父親に咎められてその口を閉ざす。フィランダーも、シェリルの両親も、マチルダも黙ったままそれを受け入れるしかなかった。


 ラルフは「もう大丈夫だ」と言ってシェリルの頭を撫でた。シェリルは一連の流れを理解できなかった。何が起こっていたのだろうか。そうして遅れてくる情報を頭で処理してからやっと、自身が自由になったのだと理解した。


 本当に自由になったのか、本当に。信じられずにいれば、ラルフがまた「大丈夫だ」と優しく囁いた。それはすんなりと心の中へと落ちていく。


 刃を握る手が緩まった。ラルフが掴んでいた腕をそっと離すとシェリルの腕が力なく落ちてからんと刃が床を跳ねた。



「手当てを」

「すぐに」



 ラルフの指示に控えていた騎士がやってきてシェリルの首元の治療を始めた。傷口は力を籠めていただけに酷かったようで、騎士に「一歩遅れていれば危なかった」と言われる。


 その通り、死ぬ気で力を入れたのだから危ないのは当然だ。それを聞いたラルフが小さく安堵の息をついたのが聞こえる。


 されるがままだったシェリルだが、やっと我に返ってラルフを見上げる。すると彼が優しく微笑んでいた。



「シェリル、迎えにきた」



 優しくはっきりと紡がれる言葉にシェリルは涙を零した。



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