第12話 気分転換に連れ出してくれたらしい


「城下に行く」



 朝早くのことだった。シェリルが馬の世話を終えて戻ってくるとラルフが会うやいなやそう言った。彼が城下へ出かけるのは今に始まったことではないのでシェリルそうですかと返事をした。



「お前も行くぞ」

「え、私もですか?」

「そうだ」



 準備をしろと言ってラルフは玄関を出て行ってしまった。なんだ突然と思いながらも、また荷物持ちかなとシェリルはエプロンを脱いだ。そのままあてがわれた自身の部屋からケープを取ってきて羽織ると家を出た。


 馬屋のところへ向かえば彼が丁度馬を引いて出てきたところだった。ラルフに馬に乗せてもらい、二人は城下の町まで向かう。


 道中、会話があるわけではない。馬に乗って走っているのだから会話ができるかというと微妙だ。手綱を引いているラルフは馬を乗るのに集中している。邪魔をするわけにもいかないので、シェリルは移り変わる景色を眺めることにした。


          *


 二度目の城下町ではあるがやはり活気ついていてとても賑わっている。人は多くウルフス族が忙しなく行き交っていた。


 市場に行くのだろうかと思っていれば手を握られた。びっくりして顔を上げればはなんだとラルフは不思議そうにしている。



「また勝手なことをされたら困るだろう」

「あぁ、なるほど……」



 前回のことを覚えているようだ。またやらないかと問われるとしてしまう気がするので、それは仕方ないなとシェリルは手を握った。ちゃんと握られてことを確認してからラルフは外套で口元を隠して歩き始めた。


 手を引かれながら市場の方へと向かう。この前来た時と変わらず人でごった返していた。野菜や調味料を見てからラルフは果実売りの店へと向かった。



「林檎はあるか」

「あぁ、今旬のエイルーン産のがあるよ」



 フルムル国産のは時期がもう少し先だからねと店主は話す。「それをくれ」とラルフが言うと店主は「はいよ」と林檎を袋に詰めていく。お金を支払い彼は袋を受け取ると離していた手をまた握りしめた。そのまま何も言うこともなく市場を抜けていく。


 買い物は終わったのだろうとシェリルは思った。このまま帰るのかなとそんなことを考えていれば、ラルフは馬を止めている馬屋とは違う方角へと歩いていく。


 あれと思いながらもついていくとそこは城下の大通りだった。服屋やアクセサリー屋、カフェが連っており、その中央には広場があった。綺麗な花々が植えられて咲き誇っている。市場と違い、若者や家族連れで賑わっていた。


 どうしてここにとラルフを見遣れば彼は気晴らしになるだろうと言った。



「ずっと家の中ではつまらないだろ。たまにはこんな場所を見るのもいい」



 どうやら気を遣ってくれたらしい。そういえばこの前、気分転換の話をしたなと林檎のパイを食べた日のことを思い出した。彼はそれを聞いて連れてきてくれたのかもしれない。


 確かに気分転換にはなると思った。フルムル国の城下の町をこもう見渡すことは初めてだったので新鮮だった。


 シェリルはラルフに手を引かれながら周囲を見渡す。



「何か欲しいのはあるか?」

「いえ、ないですけど……あぁ、でもケーキは食べたいかしら」



 お菓子は好きだ、だからお菓子作りを趣味にしたのだ。この国のお菓子がどんなものか気にならないわけではない。そう言うとラルフはならととあるカフェへ連れて行ってくれた。


 落ち着いた雰囲気の店内に客はそれほど多くはなくて静かで心地良く感じた。二人が入るとカフェの店員が「ご注文ですか」と笑みを浮かべて対応してくれる。ラルフは紅茶とケーキを頼んだ。


 ケーキの名前は聞き取れなかったのだが店員は聞こえていたらしく、はいと準備を始める。お金を支払ってから彼はトレーに置かれた紅茶とケーキをテラス席へと運んだ。



「ほら」



 差し出されてたそれはタルトのケーキだった。綺麗な紫色で小粒の果実がのっている。葡萄のように見えるその果肉を珍しげに眺めた。



「これは葡萄のタルトですか?」

「いや、葡萄に似たクレプという果実のタルトだ」



 クレプとはフルムル国にしか無い果実らしく、葡萄のような見た目をしているが、味は甘く果肉はもちもちしているのだという。それを使ったタルトはフルムル国では定番のケーキらしい。


 それは初めて聞くものだったのでシェリルは目を輝かせた。だって、そんな果実を食べたことはないのだから、心が躍ってしまうのは当然ではないか。


 食べていいぞと言われてシェリルはフォークを刺してタルトを口に運ぶ。見た目は葡萄に似ているけれど味は全く違かった。とろけるように、それでいてしつこさのない甘さ。もちもちとした果肉の食感はクセになりそうで、これは初めてのお菓子だった。



「美味しいです!」

「そうか」



 にこにこと機嫌良さげに食べるシェリルを眺めながらラルフは紅茶を飲んでいた。彼は食べないらしいく、シェリルが「食べないんですか」と問うと、「お前の作る林檎のパイで十分だ」と返されてしまった。


(余程、お母様の作ったのに似ていたんだなぁ)


 そんな偶然もあるものだなとシェリルは特に気にすることもなくクレプのタルトを食べ進める。


 なんと言ってもこのもちもちとした果肉の食感が良い。しつこさのない甘味も、とろけるような感覚も気に入った。口にへばりつくような甘さでないところが特に良い。


 ふふふと笑いを溢しながら食べるシェリルにラルフは優しげに目を細める。



「気に入ったのか?」

「はいとっても! これ、美味しいです!」

「なら、持ち帰るか?」



 お前が持つなら崩れることもなく持ち帰れると言われてシェリルの心は揺れ動いた。それはとても魅力的であった、もう一つ食べたいと思ってしまったのだ。しかし、ラルフに負担を強いるのは避けたい。


 ぐぬぬと悩むシェリルに察したのだろう。ラルフが「待っていろ」と言って席を立った。そのまま店員に話しかけている。気を使わせてしまっただろうかとシェリルは思いながらその様子を眺めていた。



「おい、嬢ちゃん」



 不意に声をかけられてシェリルは振り返った。そこには毛むくじゃらの犬、獣人がいた。半獣人と違い、獣人は獣の姿そのものだ。服を着て二足歩行してはいるけれど、その図体の大きさは人間よりも遥かに大きい。


 威圧感もあるその雰囲気に圧されながらも見上げながらシェリルはなんでしょうかと笑みを作る。ここで変な顔をしては相手を怒らせかねない。



「嬢ちゃん、人間だろう。こっち側にいるってことは観光じゃねぇな?」


「そうですけど……」

「客の相手か? それとも仕事か?」



 犬の獣人の言葉に一瞬、何を言われているのかわからなかった。けれど、最初の頃にラルフに言われた言葉を思い出す。もしかして、娼婦に思われているのではないかと。



「お前いくらだ?」



 あぁ、やっぱり間違われているとシェリルは慌てて首を左右に振った。



「いえ、私はそういうのでは無いので……」

「お前はなかなか良い顔してるから高値でいけるぞ」



 そういうことではない。娼婦ではないと言っているのになぜ、値段の話になっているのだ。最初の時も似たようなことを言われたなと思う。



「何をしている」

「あぁ?」



 ラルフが戻ってきたとシェリルは振り返りギョッとした。眉間に皺を寄せて睨みつけるように獣人の男を見つめている。怒っているようで声は低かった。


 その態度が気に入らなかったのか獣人の男はラルフを見てなんだお前は突っかかっていく。掴み掛かろうとする獣人の男を軽く受け流せば、相手は苛立ったように声を上げた。


 なんだなんだと周囲の客が一斉に見つめる。騒ぎだ喧嘩かと店内が騒然とする中、男がラルフの外套を掴んだ。


 はらりと口元が見えて――それを視認した瞬間、獣人の男の顔色が変わった。



「は、え、おま……」

「黙れ」



 ぐるんと男の体が反転すして床に叩きつけられた。ラルフは口元をまた隠すと低い声で言った。



「それ以上は話すな。痛い目にはあいたくないだろう」



 低い低い声。獣人の男は何度も頷いた、敵わないと判断したようだ。腕を離せば男は走ってカフェを出て行った。


 ラルフは外套を弄り、軽く手を叩くと他の客たちに頭を下げた。



「迷惑をかけてしまった、すまない」



 そうラルフがカフェの客に詫びれば周囲は気にしなくていいと返した。



「喧嘩なんて酒場じゃしょっちゅうあるもんだ。それにお嬢ちゃんが絡まれたんだろ」



 悪いのはあっちだ、気にするなとウルフス族の男は笑った。周囲も同じ意見だったらしく、特に気にしている様子はなかった。また何事もなかったように食事へ戻っている。


 ラルフはシェリルの方を向いて彼女の身を確認するように屈んだ。



「大丈夫か?」

「えぇ、大丈夫です」

「それならよかった」



 安堵したふうに息を吐いてラルフはシェリルの頭を撫でた。



「食べ終わったなら出るぞ」



 綺麗に平らげた皿を見てラルフは言う。シェリルが立ち上がるとラルフは側に置いていた袋を渡して手を握りしめる。そのまま二人は店員に頭を下げてカフェを出た。


 手を引かれる間に会話らしい会話はなかった。怒っているのだろうかと思ったのだが、握られている手がさっきよりも強く感じた。


          *


 馬に乗って家へと帰る道すがらシェリルは声をかかける。



「その、すみません……」



 シェリルが謝るとどうして謝るのだと言いたげな声でラルフは言った。



「お前は悪くないだろう。怒ってはいない」

「でも」


「あのカフェの近くには酒場があった。そこで働いていると思われたのだろう」



 それを聞いてなるほどと、だからあの態度だったのかとシェリルは納得する。相手もそう思って声をかけたのだ。ラルフは一人にした俺が悪いと謝った。



「もう少し場所を考えるべきだったんだ」

「それはその……」



 場所が悪かったのは否定しないけれど、声かけが絶対にあるとは限らない。そう思うのだがラルフは自分が悪いのだと言う。そこまで悪いとは思っていないので、シェリルはどう返事を返そうか言葉を迷わせていた。



「せっかくの気分転換を台無しにしてしまった」

「そんなことはないですよ!」



 それは否定しないといけない、シェリルは強く言った。確かに邪魔された感は否めないが、それでもそれを除けば美味しいケーキも食べれたのだ、悪い一日ではなかった。


 美味しものを食べられて、それが初めてのものだったなら気分も上がるものだ。その出来事がなかったことになるわけではない。


「あんな果実があって、美味しいタルトがあるなんて知らなかったんですよ。と

ても楽しめました!」


「そうか?」

「えぇ。とっても。ありがとうございます、ラルフさん」



 そうお礼を言うとラルフはぴくりと耳を動かしてから別に構わないと返した。その様子に彼も納得してくれたようだ。


 あの時の出来事を考えてふと、獣人の反応を思い出す。彼はラルフの顔を見て驚いていたことに。急に態度を変えたのも気になった。



「そういえば、あの獣人さん。ラルフさんの顔見て何か……」

「知り合いと見間違えたんだだろう。俺は知らない相手だ」


 きっぱりと言い切るラルフにそうだったのだろうかとシェリルは思うも、まぁいいかと深く考えるのをやめた。






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