第10話 国に帰りたいとは思わない



 集落に戻れば彼らを祝う騒ぎになった。これで集落は安泰だと言ったふうに広場は飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎへと変わっていく。


 その様子にすごいなと思いながらシェリルは集落の名物といわれたデニッシュのようなものを食べる。ほのかに甘いミルクの味がした。


 これは美味しいなと食べていれば、隣に座っていたラルフがじっと見つめていた。なんだろうかと見遣れば彼はいやと小さく呟く。



「お前でも怒るのだと思ってな」

「あぁ……。私だって怒ることはありますよ」



 リンバの話を聞いてシェリルは言い訳を連ねているだけのように聞こえた。ユラの気持ちを聞かずに勝手に自己完結している様子に苛立ったのだ。だから、あの時はつい口に出てしまった。



「彼女の話も聞かずに自己完結させるなんて失礼でしょう」

「確かに」



 もちろん、苦労など生活していく上で大変なこともあるのは理解している。そこは重要なところだ。ただ、集落の方々はお互いを助け合う心を持っているように見えた。だから、彼一人で抱え込む必要はないとそう思ったのだ。


 余計なお節介だっただろうことは自身が一番、よくわかっている。わかっているけれど、どうしても言いたかったのだ。



「他人の色恋に口は出したくなかったのですけれどね」



 シェリルが「口出しして怪我はしたくない」と言えば、ラルフが「色恋に巻き込まれると火傷じゃ済まないからな」と小さく笑いながら言った。


 その口調は経験があるように聞こえて、これは少し興味があるなとシェリルは問う。



「その口調ですと、巻き込まれた経験が?」

「あぁ、兄がやらかしたものでな」

「あら、お兄様が?」

「婚約者候補よりも別の女を選んで修羅場になった」



 予想とは違った答えが返ってきてシェリルは苦笑する。婚約者候補として選ばれたというのに相手は別の女を選んだのだ。それは憎くもなるし、争いにもなるだろう。


 そこまで聞いてあれとシェリルは気づく。婚約者候補ということは、ラルフは良い家系なのではないのだろうかと。一般家庭に婚約者候補など立てることはしないのはフルムル国も同様ではないだろうか。



「ラルフさんはなかなかに良いところの家系なのですね」



 その言葉にラルフはしまったと言ったふうに眉を下げたので、どうやら口を滑らしたみたいだ。反応を見るに隠しておきたかったことだったようだが、発言は戻せないのでそんなところだと彼は答えてくれた。



「良く一人暮らしをさせてくれましたね」


「父は子供に甘いからな。たまに顔を出せば許してくれる。兄が後継者だから俺は別にいなくてもいいというのもあるがな」


「なるほど。でも、ラルフさんにも候補とかいて大変だったでしょう」



 揶揄うようにそう問えばラルフはまた眉を下げた。反応を見るになかなか苦労したのではないだろうか、渋面になっている。彼はきっと人気だっただろうことはそれだけで納得できてしまった。



「……そういうお前はどうなんだ」



 仕返しにとばかりにラルフは問う、お前だってそんな奴がいてもおかしくないだろうと。年齢的に恋の経験を一度ぐらいはしたのではないかと言いたいのかもしれない。シェリルの恋といえばマーカスになるのだがあれはもう苦い思い出だ。



「まぁ、ありますけれど……。苦い思い出になっていますわ」

「なんだ、何かあったのか」



 なんとも言いがたい表情をするシェリルに察したようだ。少しだけ興味ありげにラルフは見てきた。彼がこんな話に興味を持つとは思っていなかった。シェリルは意外そうに見て少し考えてから答えた。



「他の女性に惚れて、その女性を手に入れるために私を悪者にして、そのまま振られました」



 色々と省いているけれど、だいたいがこんな感じで間違ったことを言ってはいない。思い出しただけでもまだ少しばかり怒りが湧く。


 そんなシェリルの様子にラルフは聞くべきじゃなかったことだと察したようだった。



「その……」


「あぁ、気にしないで。もうなんの感情も抱いていないから。むしろ、愚痴りたいぐらいよ」



 シェリルは「私を振りたいならそんな手を使わなくてもちゃんと受けたわよ!」と愚痴るように言う。そうなのだ、婚約を破棄したいのならば汚い手を使わなくとも受け入れる。王子から言い渡された言葉ならば、受ける他ないのだ。


 フィランダー公爵と結託してやったからこうなったかと思い出すだけで腹が立ってきた。なんだ、あの男は。眉を寄せるシェリルにラルフは「怒りたくもなるな」と返してくれた。



「兄を思い出した」


「やだ、お兄様そんなこといたしたの? いたら私は手を出してたかもしれませんわね」


「怖いな、お前は。そこまではやっていない」



 他の女に目移りしたのは似ているがとラルフは苦笑する。意外と似たような男というのはいるものなのだなとシェリルは思った。


 怖いと言われたけれど、王子でなければ殴っていたかもしれないとは今ならば思う。それぐらい怒りがあるのだ。


 そこで今頃、あっちではどうなっているのだろうかと頭に過ぎる。きっと騒ぎになっているのだろうな、お母様もお父様も怒っているに違いない。王子は計画通りにいかなくて苛立っているかもしれない。


 そこまで考えて、余計に戻ることはできないなと思った。今、戻ればどうなることかと考えるだけで寒気がした。



「お前は国に戻る気はないのか」

「え? ないですわよ」



 戻れる身ではないのでそう答えたのだが、ラルフはそうかと返す。帰りたくない理由を彼は問わなかった。聞かれたくないことだと察しているようだ。その気遣いは有り難かったので、シェリルもそれ以上は話さなかった。


 どんちゃん騒ぐ声と歌を耳にしながらシェリルは一残りのデニッシュを口に頬張った。そんな彼女をラルフは眺めていた。



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