第9話 色恋というのは明るいものだけではない



 日が沈み、くべられた丸太に火が灯る。ぼうっと燃え上がるそれに供物を投げ込みながら大人たちが歌い始めた。それは子守唄のような優しいものだった。聴いていて落ち着くその音色は心を落ち着かせてくれる。


 はいよーっと食事が渡される。何もしなくてよかったのだろうかと不安に思っていれば、客人に何かさせるのはご法度なんだとヴィルスが教えてくれた。


 お肉と野菜を煮込んだスープに焼き立てのパンと果物。それを皆が皆、食べていた。シェリルはそれに習うように食事をとる。温かくて美味しいその味に思わずほうっと声を溢した。


 子供たちが歌に合わせて踊る。獣耳を尻尾をぴこぴこ動かしている様子がなんとも愛らしい。楽しそうに笑いながら踊っているので見ている側も気分が良くなって、思わず和んでしまうほどだ。


 子供たちの踊りを眺めてなんとなしに周囲を見渡していると隣にいたはずのユラの姿がいつの間にかいなくなっていた。トレーに乗せられた食事がベンチに置かれている。


 いつの間にいなくなったのだろうか。シェリルが彼女を探すようにきょろきょろと視線を彷徨わせる。


(あっ)


 ちらりとユラの姿が見えた。彼女はこっそりと集落の門から出て行ってしまう。それはまるで誰にも見つかりたくないといったふうだった。


 こんな時間に外に出ても良いのだろうか。森にはワールルのような小型の魔物がいるとラルフは言っていた。彼は今、その魔物を追い払うために狩りをしているのだ。シェリルは少し考えてからそろりとユラの後をつけることにした。


 集落を出て森へ少し入ったところでユラの姿を見つけた。何もなく無事な様子だったのでシェリルは声をかけようとして止めた——彼女以外の姿が見えたのだ。


 よくよく見遣れば幼馴染と紹介してくれたリンバだった。彼は困ったようにユラを見ている。



「どうしてよ、どうして」

「だから、オレには……」



 どうやら何か話しているらしい。ユラは泣いているのか、涙声だった。会話の内容を聞いてこれはもしかしてとシェリルは気づく。気付いてしまっては声をかけるべきかどうか躊躇われた。


 もし、それが事実ならば自身は邪魔者になってしまうか、余計なお節介となってしまう。


 けれど、このままにしておくのもと悩んでいた時だ。ざっと何かが飛び出してきた。あれは知ってる、ワールルだ。ワールルはユラ目掛けて飛びかろうとして、それを庇うようにリンバが彼女を突き飛ばした。


 転がるユラに慌ててシェリルが駆け寄った。



「シェリルっ?」


 シェリルがいることに驚いてユラは声を上げるも、ワールルに襲われたリンバのことを思い出して慌てて目を遣る。彼はなんとかワールルを受け流したようだ。


 けれど、ワールルは諦めていないようでじっとこちらを見つめている。これはいけないとシェリルがユラの前に出た。


 ワールルがまた飛びかかろうとして――吹き飛んだ。ぱんっと破裂音がして、ワールルは木に叩きつけられて地面に転がる。


 この魔法は前にも見たなとシェリルが思っていると茂みからラルフが出てきた。三人を見て眉を寄せている。



「集落の長から夜は森には入るなと言われていただろう」

「それは……」



 リンバは言葉を濁してユラも気まずげに視線を逸らしていた。何も言わない二人にラルフは無言でシェリルを見た、どういう状況だと説明を求めるように。


 そんな目を向けられても困るのだが、説明も無しにはラルフも納得はしないだろう。シェリルがこれは仕方ないなと口を開こうとしてそれを遮られた。



「どうしたー?」



 振り返ればヴィルスで、ラルフを追ってきたのだろう。三人がいることに驚いたのか、目を瞬かせていた。けれど、それも束の間、すぐに厳しい表情へと変わりユラとリンバの元へと歩み寄る。



「何をやっているんだ!」



 ラルフと同じように長に注意されていただろうとユラとリンバを叱る。



「こんなところで何をしていた!」

「それは、その……」

「お兄! 何にもないよ! 話をしていただけだもん!」

「話なら集落でもできるだろうが!」



 そう言われてはユラは返せないようでうぅと言葉に詰まらせる。ヴィルスがますます怖い顔をするのでシェリルは一つ息をついて彼らの会話に入った。



「告白をするのに集落では恥ずかしいものですわよ、ヴィルスさん」

「はぁ?」



 シェリルの言葉にヴィルスは変な声をあげる。途端にユラは顔を赤くさせて、どうしてと目を見開かせていた。


 他人の口から言うのはと思うけれど、彼を納得させるには正直に話すしかないので、シェリルはごめんなさいと謝る。



「ごめんなさい。アナタが一人で出ていくのを見かけて追いかけてきたの、心配だったから。少しだけ会話を聞いていて、それで告白だろうなと。隠していても今の状態では知られてしまうわ」



 隠すよりは正直に話した方がいいと言われて、ユラは黙ったままで兄がリンバを叱るのは見たくないと思ったのか、うんと頷いた。


 妹のその反応にヴィルスは本当のことだと理解したのか、少しばかり困ったような表情へと変わった。どう反応するればいいのかといったふうだ。


 なんとも言えない空気が漂う。ユラもリンバもヴィルスに顔を合わせられないようで二人とも俯いていた。ラルフは黙ってその様子を眺めている、自身が口を出せる話題ではないと判断したようだ。



「なんだ、お前……リンバが好きだったのか」



 最初に口を開いたのはヴィルスだった、頭を掻きながら二人を見遣る。



「そうだよ」



 ユラは頷きながら答えた、小さい頃から好きだったと。それを聞いてまたヴィルスはどう話せばいいのかと悩むように眉を下げた。


 この手の話にヴィルスは得意ではないようだ。それが妹となると言葉を選ぶためさらに難しいのだろう。



「でも、リンバさん。断っているみたいだったわね」



 シェリルはそう言ってリンバを見遣れば、彼はびくりと肩を跳ねさせてから口籠もる。何だか言いづらそうにしていた。 


 ヴィルスがどうしてだとリンバを見るが、彼はもごもごさせながらなか口を開かない。それがなんだがシェリルは苛立った。理由も言わずに断って相手が納得することはそうない。どうしてと訳を聞きたくなる、ユラはそのタイプだった。



「理由も言わずに断るのは良くないわ。ちゃんと話してみたらどうかしら?」



 だからシェリルは言った、どんな理由でも隠しておくよりはいいと。それにユラも頷いてから「お願いだから教えてほしい」と頼んだ。そんな二人の言葉にリンバは下げていた視線を上げた。



「……オレじゃ、幸せにはできないから……」



 狩りは未だに上手くならないし、かといって力仕事ができるわけでもない。農業はできているけれど、それでも両親が持っている畑というのは小さいものだ。


 出稼ぎに行けば会える期間というのは短くなるのでその分、寂しい思いをさせてしまう。そう考えると彼女を幸せにはできないと思ったのだ。


 こんな自分では、何も取り柄のない自分ではユラには似合わない。だから、告白を受け取ることはできなかった。



「だから、ダメなんだ……」



 リンバの言葉にヴィルスは黙った。ユラは何か言いたいようだけれど、上手く口に出せないようで、ラルフは何も言わずその様子を眺めている。



「このおバカ!」



 最初に声を上げたのはシェリルだった。その怒りの籠められた声音に皆が驚いたように目を見開く。


 眉を寄せて怒ったようにシェリルはずいっと前に出た。リンバに向かって指をさして「何を言っているの!」と叱るように言う。



「ユラさんはそれが嫌だとか一言でも言ったの! 違うでしょう! それはアナタの言い訳でしかないわ!」



 確かに苦労するかもしれない、寂しい思いもするかもしれない。けれど、それでも愛した人と共にいられることが幸せだと思えることだってある。


 それに一人だけで考えるものではないことだと思った。狩りも、農作業も、一人で抱え込むことではない。



「何でもかんでも一人でやろうとするからダメなのよ。アナタのご両親は頼りないの? 頼って怒るような方なの? ヴィルスさんはどうなの? 彼は頼りないのかしら?」



 何でもかんでも一人でやろうだなんて余程、器用な者でないとできないことだ。時に誰かに頼るということも大事で、それは弱いからではない。


 お互いに助け合って生きてくこともできるではないか、その道があるのではとシェリルは問う。リンバはそれでもまだ不安があるようで迷わせるように口を開いては閉じている。



「アナタは一人じゃないでしょう?」

「でも、オレは……」


「違うでしょう! アナタはどうなの。ユラさんが好きなの、嫌いなの、どっち!」



 シェリルの強い口調にリンバは一歩後ずさる。強い眼差しだった、シェリルの瞳は。真っ直ぐに見つめてくるその視線に嘘も誤魔化しも効かないと悟る。


 少しの間だった、リンバが諦めたように口にした。



「好きです……」



 好きだ。小さい頃からずっと好きだったのだ。けれど、自分の頼りなさでは幸せにはできないと、だから諦めようと思った。だってユラは可愛らしいのだからきっと良い人がすぐに見つかる。そこまで言ってユラがリンバに抱きついた。



「ワタシが好きなのはリンバだよ。頼りなくったっていいよ、一緒に頑張っていこうよ……。狩りだって二人でやろう、畑仕事だって手伝うよ。大丈夫、ワタシはリンバと一緒にいられるだけで幸せなんだから」



 涙声でユラは言った、それは彼女の愛の籠った言葉だ。覚悟はあるのだと、多少苦労したっていいのだと、彼女は涙を溜めた瞳で微笑みながら話す。二人で、時に誰かと協力して生きていこう、きっと楽しいからと。


 ユラの覚悟にリンバは言葉を詰まらせる。



「お前なら幸せにできる」



 そんな躊躇うリンバにヴィルスが言った。



「お前じゃないと、ユラは幸せにできない」


 それだけ、お前を好きで愛しているのだというヴィルスの言葉にリンバの瞳には涙が浮かんでいた。彼はリンバに妹を任せるとそう言ったのだ。



「困った時はおれや集落のみんなを頼れ。一人で抱え込まなくていい、妹を幸せにしてやってくれ」



 ばんっとヴィルスはリンバの肩を叩く。溢れそうになる涙を拭って彼は頷いた。



「はいっ!」



 それは彼の覚悟の返事だった。



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