終わりゆく世界で祝福を

赤オニ

終わりゆく世界で祝福を

 この世界は五年以内に終わりを迎える。

 そう聞かされ続けて、四回目の五年以内を迎えている。

 空間が崩れ始めたのは今から十五年ほど前のことで、空が消しゴムのカスみたいにボロボロと崩れてきたらしい。崩れ始めた空間に触れた建物も植物も、同じように消しカスみたいになってしまった。

 だから、人類は空間の崩れから逃げて生活することにした。

 空間が崩れ始めたところからはなるべく遠くに離れる。といっても、崩れる場所が予知できるわけじゃないし、突然現れるものだから防ぎようがない。

 そうして、多くの人が崩れていく空間に飲み込まれていった。

 消しカスになったものは、崩れていく空間と一緒に闇の中へ消えていく。当然、遺体も残らない。

「ユヅ、皿」

「ん」

「パンは?」

「まだ」

 二人そろって台所に立ち、朝食の支度をする。流石に野郎二人で立つと、狭い。

 寝ぼけ眼のユヅを起こすために濃いめのコーヒーを作って、皿と一緒にテーブルに置く。

 トースターが「チーン」と元気よく、パンが焼けたことをお知らせしてくれる。皿にのせ、ジャムとバターを持ち、テーブルに並べる。

 ふわぁ、とでかい口であくびをしているユヅの頭を軽く叩く。まだ眠そうだ。

 ズズ、とコーヒーを口に含んで、思い切り顔をしかめた。それを見て、小さく吹き出す。

「げぇ、にっが!」

「目ぇ覚めたんじゃん」

「ヨウ〜!」

 怒ったというより、拗ねたような顔で肘で小突いてくる。ゲラゲラ笑ってじゃれあっていたら、学校に行く時間になっていた。

 二人して慌ててパンを口に詰め込む。BGM代わりにつけていたテレビを消そうとして、一瞬止まる。

 画面の向こう側に、空間の崩れていく姿が映っていた。睨むように画面を見ていると、横から伸びてきた手にチャンネルを奪われ、あっけなく画面が切れた。

「行こう」

「……おう」


 シャカシャカ自転車を漕いで、坂を上る。なだらかだけど地味に長いこの坂、他の生徒からも不満が出ているのをよく聞く。

 そんなことを言っても校舎を坂の下に移すわけにはいかないので、俺たちは大人しく毎朝坂を上るのだ。

 ようやく学校に着いて、上がった息を整える。隣のユヅは涼しい顔をしていて、こちらをチラリと見てフッと鼻で笑って自転車置き場に向かっていった。

 くっそ……アイツ、朝の仕返しのつもりだな……。

 顔が良くて身長が高い、おまけに成績は常にトップだ。そんなデキる幼なじみを持った、ザ・平凡人間の俺の苦労をわかってほしい。

 なんでお前みたいな冴えない奴が、と言われたことも数しれず。気にしてないからいいけどさ。

 なんでそばにいるのかといったら、幼なじみだからとしか答えようがない。


 丁度着いたらしい友人が、校門の前で大きく手を振っているのが見えて、手を振り返す。しっぽを振った大型犬みたいだなぁ、なんて感想を抱いて自転車置き場に向かう。

 鍵をかけて離れようとすると、後ろから「あァー……」と悲しそうな声が聞こえて、思わず振り返った。

 同時に、ガシャンガシャンとドミノ崩しのように停めてあった自転車が倒れていく。目の前で停めたばかりの自分の自転車が倒れていくのを見て、最後の一台が倒れたところで声の主と目が合った。

「……手伝おうか?」

「ありがとォ。ヨウくん」

「シュン、お前相変わらずドジだなぁ」

 恥ずかしそうに笑う友人と一緒に倒れた自転車を直していると、校門前にいた友人も合流して一緒に直してくれた。

 そんなことをしていたら遅れてしまい、HRに遅刻した俺たち三人は教室の前で朝からお叱りを受ける羽目になった。

 シュンが「ごめん」と口パクで伝えてきたのでらそれに「気にするな」と返すと、「ありがとう」と返ってきて、口パク合戦をしていたらめちゃくちゃ怒られた。


 昼休みになり、購買に行くとユヅもいた。目が合って、へにゃりと笑うユヅに小さく笑い返すと、それを見ていたらしい女子の一人が「ユヅ君の激レアショット……!」とか小さく叫んで顔を覆っていた。 

「ヨウも昼ごはん買いにきたの?」

「おう、ユヅもだろ? よかったらシュンたちと一緒に食う?」

「……ううん、ぼくはいいや」

 ユヅは、いつも一人で昼休みを過ごしているみたいだった。

 無理に誘うつもりはないから、「そっか、またな」と声をかけて購買を出る。一緒に住んでいるとはいえ、学校でまで一緒にいるのは流石に嫌なのかもしれない。


 俺とユヅは幼なじみで、同じ家で暮らしている。どちらかといと兄弟に近いかもしれない。

 ユヅの両親は研究者で、海外を飛び回っていて、空間の崩れはなぜ起こっているのか――それを追っていた。


 俺は孤児院で育って、ユヅの両親に引き取られた。

 原因を突き止めて解決策が出れば、世界中の人が幸せになる。

 そんなことを素面で言ってのけるような人たちだった。結果、二人は死んだ。

 空間の崩れに巻き込まれたらしい。らしいというのは、二人が泊まっていた村がまるごと崩れてしまったから、二人が崩れていく姿を見た人が一人もいないのだ。

 俺は諦めている。でも、ユヅは諦めきれていないのかもしれない。

 当時の新聞を引っ張りだしては熱心に読んでいる姿をよく見かける。

 遺体がないことで、まだ生きているんじゃないかと希望を捨てられないんだろう。

 ユヅは優しいな。俺は、そんなふうには考えられない。


「今日はヨウの好きなカレーだよ」

「いえーい。ユヅのカレー、うまいんだよなぁ」

「ふふ、褒めてもカレーしかでないよ」

「カレーが出たらそれで十分。んじゃ俺サラダ作る」

 サラダといっても、ゆで卵を潰してハムや千切ったレタスとマヨネーズで和えただけの簡単卵サラダだ。

 ユヅが野菜を切ってカレーを煮込んでいる間、俺はゆで卵の殻を剥いてひたすら潰すだけだ。

 過去に台所を血まみれにして以来、俺は包丁を握らせてもらえない。血まみれ事件があってしばらくのうちは、台所への立ち入りを禁止されていたほどだ。

 そんな小さいときのことを引きずらないでほしい。俺はもう高校生だし、できる手伝いの範囲が卵の殻剥きとかスープの鍋をかき混ぜるだけとか味見とか、今どき小学生でももう少し役に立つと思う。

 鼻をひくつかせる。食欲をそそる、いい匂いだ。

 出来上がったサラダは盛りつけてラップをかぶせ、食事の時まで冷蔵庫で眠っておいてもらう。

 手持ち無沙汰になったので、適当にテレビでも見ることにした。

 ユヅの料理へのこだわりは凄まじい。下手に手を出すと般若が降臨するので、大人しくソファに座ってチャンネルをいじる。

 テレビ画面にキャラクターの顔がドアップで映った。

「あ」

 学校で、シュンにもらったいびつなチョコ菓子のキャラクターだった。

 自己紹介から始まったアニメを流し見する。どうやらあのキャラクターは勇者くんというらしい。

 勇者くんは悪い魔王を倒すために旅に出ました。相棒は赤色の剣です。その旅の途中で色んな人たちと出会い、別れ、勇者くんは強くなっていきます……という、なんともありきたりなストーリーだ。

 この世界にも、悪い魔王が存在するんだろうか。

 そいつのせいで世界が滅ぶ……なんて、あるわけないか。

 あったとして、俺はそいつに何も言うことはない。ユヅにはあるかもしれない。父さんと母さんのことで、怒り狂うかもな。


「カレーできたよ」

「おー」

 ユヅは、ファンタジー世界のド定番の勇者と魔王という関係があまり好きではないようで、しかもなぜか魔王目線でコメントをする。

 この間見た本の感想を言ったら「魔王にも事情があったんだ」「あまり魔王を責めないでほしい」と返ってきた。

 変わった感想だなぁと思ったけど、どこに視点を置くかなんて本人の自由なのだから、俺がとやかく口出しするべきことじゃない。

 なので、勇者くんのチャンネルはすばやく変えた。

 魔王視点のファンタジーはないものか、今度探してみよう。


「うまい」

「良かった。ねぇ、ヨウ。……話が、あるんだ」

「ひゃに?」

 モグモグ口を動かしながら返事をする。一瞬米が口から飛び出しかけて、あわてて口を押える。行儀が悪かったかもしれない。

 真面目な話の空気を察知した俺は、姿勢を正してお茶を飲む。

 ついでにティッシュで口元を拭う。カレーまみれはよろしくない。

 ユヅは、言い出そうか迷っているようで口を開きかけては閉じる、ということを繰り返す。

 やがて、意を決したように前を向いて口を開いた。

「ぼくが、魔王なんだ」

「……はぁ?」

「ぼくはこの世界に本来生まれるべきではなかった、理から外れた存在なんだ。そのせいで、世界が正常な回らなくなった」

 真面目な顔をして何を言いだすかと思っていたら、予想のはるか斜め上を行く内容だった。宇宙の果てまで飛んでいきそうな話だ。

 でも、声も顔も大真面目だ。これは笑い飛ばしていい空気じゃないと判断し、とりあえず真面目な顔をして話を聞くことにした。

「ぼくはね、魔法が使えるんだ。ほら」

 ピン、と立てたユヅの指先に、小さな炎がともった。

 その炎が揺らめいたかと思うと、オレンジの羽をした幻想的な蝶に姿を変え、部屋の中を飛び回る。

 これで部屋の電気を消したら、もっと素敵な雰囲気になったと思う。残念ながら、素敵な雰囲気にしている話の内容ではないんだが。

 魔法。ユヅは目の前で魔法を見せた。指先に炎をともし、それを蝶の姿に変えた。

 マジックかもしれない。

 でも、泣きそうな顔で俺を見つめるユヅが嘘をついていないなんてことは、長年の付き合いでとっくにわかっていた。

「……じゃあ、空間が崩れ始めたのはユヅが関係あるってことかよ」

「関係あるなんてもんじゃない。ぼくがすべての元凶だよ? ぼくがこの世界を、壊してしまうんだ。父さんも母さんもそれで死んだ。……ぼくが、殺したんだ」

 絞り出すような叫びだった。

 血がにじんで、ジクジクと膿んでいる、痛みと苦しみを混ぜたような声だった。

 ギリギリと歯をかみ締めて、涙をこらえているように見えた。自分が泣いていいわけじゃない、そう思っているのかもしれない。

 グゥ、喉が鳴って、ユヅはテーブルの上に透明な斑点を作る。

「……ユヅ、は。望んでこの世界を選んだのか? 世界を滅ぼしてやろうって、そう思って生まれてきたのか?」

「っ、ちがう! 望んだわけじゃない、ぼくは、滅ぼしたくなんてない! 世界を滅ぼすために生まれたわけじゃ、ないんだ……っ」

「じゃあ、なんでそんな自分を責めるんだよ。ユヅの意思じゃないのに、生まれてきたことが間違いみたいな言い方すんなよ! ……俺は、ユヅが同じ世界に生まれてきてくれて、嬉しいよ」

 沈黙が落ちた。

 テレビの中で、タレントの笑い声が響いてる。

 終わりが近づいていても、変わらず世界は回っている。学校はあるし、会社はあるし、今を生きるためには金を稼がなくちゃいけない。

 世界が終わるまでどれくらいかかるのかもわからないし、もしかしたら死ぬまで終わらないのかもしれない。

 空間の崩れに巻き込まれた人を「大変だったね」と他人事で悼み、自分とは関係のない災害だと思っている。

 だってそうだろ。俺は画面の向こう側でしか空間の崩れを見たことがないし、遠くで地震や洪水があったとか、そういう認識だ。

 ユヅの両親が巻き込まれて死んだのだって、俺はそういうふうに捉えている。


「……ヨウに、お願いがあるんだ。君にしか頼めない」

「なんだよ。言っとくけど、俺に世界を救う力はねぇぞ」

「ううん、あるよ。――ぼくを、殺せばいい」

「……は?」

「お願いだ、ぼくを殺して」

 腰が上がって、椅子がガタリと音を立てた。中腰のまま、ユヅの顔を凝視する。

 決意したような、晴れ晴れとした顔だった。

 寒くもないのに、指先が小刻みに震えている。 煮えたぎるような血が頭のでっぺんまで上って、カッと熱くなった体が動いて、テーブル越しのユヅの胸ぐらを掴んだ。

「ふっざけんなよ! 何言ってんだ!?」

「ヨウにしか頼めない。ぼくが死ねば世界の崩壊も止まる。……もう、耐えられない。父さんと母さんを殺して、世界中の人を不幸にして、一人のうのうと生きるなんて……もう嫌だ、生きていたくない! 何度も死のうとしたよ、でもダメなんだ……ぼくじゃぼくを殺せなかった。だから、ヨウになら……!」

 叫んで、泣いて、崩れ落ちて。ユヅがこんなに取り乱す姿を見たのは、両親を亡くしたとき以来だった。

 ずっとそう考えていたのか? ユヅは、死にたいと思いながら学校に行って、飯食って、風呂入って。俺のとなりに、居たのか?

 殺してもらうために、俺のそばにいたのか?

 俺は、俺じゃぁ、ユヅの救いに……ならなかったんだ。

 石を飲み込んだような重みが喉にひっかかって、声が出ない。

 ずっとそばにいたのに、ユヅは俺のそばでずっと死を考えていた。

 漫画読んで俺がゲラゲラ笑っている間に、ユヅは泣いていたのかもしれない。

 何も知らなかった。俺はただ、ユヅのとなりに居ただけだったんだ。


「……わかった」

「ヨウ! ありがとう、ありがとう……!」

 ぐ、と歯をかみしめる。

 爪がてのひらに食い込んで、こぶしがブルブル震えている。

 殺してほしいと、俺に頼んだユヅはどんな気持ちだったんだ? 今から殺されるというのに、泣いて喜ぶユヅは頭がイカれている。

 そんなユヅを殺すと言った俺の頭のほうが、よっぽどイカれている。

 ユヅ、俺はさ。お前が好きなんだよ。

 子供の頃からずっとそばにいて、笑うときも泣くときも一緒だった。きっとこれからも、世界が終わるその時まで、となりにいられるものだと、そう思っていた。

 でも、ユヅは違ったんだな。

 俺さ、殺せるよ。ユヅにとって死ぬことが救いだって言うなら、俺がユヅを救う。他の誰にもやらせねぇよ、俺がやるんだ。


 ユヅが棚から取り出したのは、赤色のナイフだ。刃がギラリと光って、不気味に見える。赤い柄を握った俺の手に、これからユヅの赤い血がつくのだ。

 想像するだけで、吐きそうになる。

 手の中にすっぽりと収まった小ぶりなナイフを握って、ユヅを見る。

 穏やかな顔だ。今から殺されるっていうのに、すべてから開放されたような目で俺を見ている。

 刃先を向けるだけで、手が震える。暑くもないのに汗がじっとりとにじむ。

 ハァ、ハァ、息が荒くなる。頭に血が上って下がって、心臓が荒れ狂ったように動き回る。

 俺が、ユヅを。

「う、うああ、うああああああ!」

 叫んで、バネのように前へ走る。

 ドン、真正面にいたユヅの体にぶつかって、俺の体が止まる。

 肉を刺す感触がナイフ越しに伝わってきて、やがて生暖かいものが手を濡らす。

 全身にぶわりと鳥肌が立って、体中の力が抜ける。膝から崩れ落ち、一緒にナイフもずるりと抜けた。

「……あり、がとう。君が、勇者だ……ヨウ」

 最後に見たのは、笑顔。

 ユヅは、穏やかに笑って倒れた。

 血が床にシミを作り、広がっていく。じわじわと、水たまりのように、ユヅが死んでいくことを表すように。

 こういうとき、どうしたらいいんだろうか。……わからない。わかるはずもないし、わかりたくもなかった。

「ユヅ……なぁ、俺さ。お前が好きだったんだよ。だから……世界が終わったって、俺はユヅのとなりにいられるなら、それだけで良かったのに」

 口元がぐしゃりと歪んで、大粒の涙が床に落ちる。

 俺の涙と、ユヅの血。混ざって、一緒になる。床に転がったままのナイフを持ち上げ、刃先を胸に向けた。

 自殺と、他殺。俺はユヅのもとに行けるかな。それとも、行けないんだろうか。


「速報です。南の海に浮かぶ島、観光地としても有名な××島が、たった今空間の崩れに巻き込まれ、消滅したと――」

 カツン、ナイフが床とぶつかって、金属音を立てた。

 頭が真っ白になる。ニュースキャスターの声が途中から耳鳴りに変わって、消えていく。

 ……は? なん、で。なんでだよ。なんで? だってユヅが死んだら世界の崩壊も止まるって、そう言ってたじゃねぇか。

 時間差? いやいや、そんなの関係ないだろ。大事なのは、ユヅが死んだのに空間の崩れが止まっていないってことだろうよ。

 じゃあ、俺は……なんのために、ユヅを。

「あ、あああ、ああっ、ああああああああ!」

 血まみれの手で顔をおおって、ガリガリとかきむしる。

 やり直したい。やり直したい! あああああクッソ、こんな馬鹿なことをする前に俺を止めて、ユヅを止めて、それで……!

「……時間を……時間を、巻き戻して……俺は、あと何回……!」

 お願いだ、なんでもする。誰でもいい、ユヅを助けてくれ。

 俺の心臓をあげていい、ユヅがそれで生きていてくれるなら、俺はそれでいい。

「……なんだ、これ」

 足元に転がった、オレンジ色のビー玉を拾い上げる。

 中で炎が揺らめいていて、これはユヅが死ぬ前に見せてくれた魔法の蝶だとすぐにわかった。

 ユヅが、残していったもの。

 魔法。魔法で作られた物。

 ……見覚えがある。この玉、こんなに小さくなかったはずだ。最初に見たときはもっと、大きかった。手のひらに乗るぐらいの大きさはあった。

 それで、俺はこれを使って――

「巻き、戻した……」

 走馬灯のように流れ込んでくる景色。

 赤色のナイフを握り、ユヅを刺す。ニュースで島が一つ消えたことを知る、ビー玉を見つける、やり直す……。何度も、何度も、繰り返し。

 ユヅを救える世界を、探すために。


「俺は、何回もやり直している……?」

 時間を巻き戻すと、巻き戻った時間分記憶を失う。

 俺はやり直して、記憶を失い、またユヅを殺す。それを、何回も繰り返していたんだ。

 救うために巻き戻して、また殺したんじゃ意味がない。

 なんとか、巻き戻る前の記憶を保ち続けることはできないのだろうか。

 このビー玉、使うたびに小さくなっていっている。回数制限があるんだ。無限にやり直せるわけじゃない。

 ユヅが棚から出していた赤色のナイフ。あれをどうにか見つけることができたら、防げるかもしれない。

「……頼む。もう一度、もう一度だけ――ユヅと一緒に生きられる、世界へ!」







「――、う、ヨウ!」

「ゆ、ユヅ……」

「どうしたの? ぼんやりして。体調でも悪い?」

 手にはナイフではなく、スプーンが握られていた。

 テーブルの上には、皿に盛られたカレーとサラダ。テレビの中でタレントが笑っている。よく見かける、ドーナツ専門店についての特集だった。

 ユヅが生きてる。目の前で、息をしている。

 ……覚えている、のか。俺は……。そうだ!

「ユヅ、後ろの棚から赤色のナイフを出してくれ」

「え……なん、で……ヨウが、知ってるの?」

「自分じゃ死ねないんだろ! 俺はもう二度と、ユヅを殺したりしねぇ! そんなナイフ、捨ててやる!」

「え、ま、待ってヨウ! どういうこと? ヨウは……ぼくを殺したことを、覚えているの?」

「……は?」

 とりあえず、落ち着くためにお互い椅子に座る。

 向き合って、改めてユヅの生きている姿を見る。真っ赤に染まった服も、床に広がったシミも、すべてきれいに消えている。

 あの出来事が、なかったかのように。

 でも、俺はユヅを殺した。それは変わらない事実だ。

「ヨウは、そうか……覚えているけど、今回は違ったんだね」

「何言ってんだ? ユヅも、覚えてるのかよ。……俺に、殺されたこと」

「うん、覚えているよ。それが、すべての始まりだからね」

 静かに話しだしたのは、懺悔だった。

 ユヅを殺したあと、俺は時間を巻き戻す。巻き戻ったことにユヅは気づいたらしい。ユヅの魔法を使ったから、本人にはわかるのかもしれない。

 そこで、ユヅが話を切り出すより先に俺が赤色のナイフを使って、自殺する。

 違う世界だけど、俺だから考えはわかる。ユヅを殺す前に自分が死ねば殺さずに済む、そう考えたんだろう。

 ユヅは、死んだ俺を見て時間を巻き戻すことにした。

 何度繰り返しても、俺は必ず赤色のナイフを自分に突き立てた。だから、赤色のナイフを消し炭にしたんだと。

 サラッと言ったけど、刃物を消し炭にするってどんなだよ……。

「……じゃぁ、俺たちお互いに時間を巻き戻して、やり直してたわけってことか」

「そう、みたいだね。……ぼくが、ぼくがヨウに殺してほしいなんて言わなければよかったんだ」

「そうだな、全くもってその通りだ」

「うっ。わ、わかってるよ……ぼくが――」

「悪い、とか言うなよ。なんでお前はそう自分を責めるんだ? ユヅを殺すって決めたのは俺、殺す前に死ぬって決めたのも俺だろ。だったら何回やり直しても俺にだって責任はある」

「で、でも」

「でももなんでもねぇよ。……俺は、ユヅと生きていける世界なら、それまで何回死のうが関係ねぇよ。今生きてるし。でも、俺がユヅを殺したことは許されねぇ」

「なんでだよ! ぼくはヨウを救いたかったんだ。そりゃあ始まりはぼくだよ。ぼくが殺してくれなんてバカなこと言い出さなきゃ、こうはならなかった。違う世界だろうとヨウは何度も死んでるんだよ! 関係ないわけないだろ!」

 ふざけんな、そう言って泣きながら怒鳴る姿を見て、どっちがだよ……と思ったのは言わないでおく。

 グズグズと泣き出したユヅは鼻水をたらし始め、涙と鼻水とよだれで顔をぐちゃぐちゃにした。それをティッシュで拭ってやる。

 怒って、泣いて、生きてる。俺もユヅも、生きてるんだ。

 それがたまらなく、嬉しい。


 あれから、ユヅは俺にべったりついてまわるようになった。自分が見てないところで俺が何がするんじゃないか、不安になるらしい。

 ユヅがあんなことを言い出さなければ、俺だって死のうなんて考えないのに。

 風呂まで入ってきた時は流石に叩き出した。

 小さい子供じゃあるまいし、一緒に風呂とか恥ずかしいだろ。

 ベッドに寝転がって漫画を読んでいると、扉が開いてユヅがベッド目がけて飛んできた。

 寝転んだ俺の体を押しつぶして寝転がる。

 ユヅのほうがでかいのだから、押しつぶされたら苦しい。 

 ぐい、とユヅの体をベッドの端に押すと、今度はユヅから押される。そのうちただのじゃれあいになった。

「ねぇ、ヨウ」

「なんだよ」

「ぼく、君が好きなんだ。何度繰り返しても同じ結果になって、その度にヨウから好きだと言われているみたいで、不謹慎だけど興奮しちゃった」

「……何言ってんだお前」

 思い出したのか、頬を赤らめ目をうるませうっとりするユヅの脇腹を殴る。

 ぐえ、とつぶれたカエルのような声をだしたけど、俺の手に指を絡ませてくる。手を引こうとすると、逃さないというようにぐっと力を込めたのがわかる。

 寝転んだ状態で目が合って、背筋に冷たいものが流れた。目は口ほどにものをいうとはこういうことなんだと、理解した。

 熱っぽい視線。しかしそれは甘いだけのものではなくて、今から獲物を食う肉食獣が舌なめずりをしているような目だ。

 どう食ってやろうか。頭から? 足から? それとも腹を食い破ろうか。

 そんなふうに考えているようにも見える。逃げられない、と本能が告げる。目の前にいるどころか、すでに首根っこを噛まれてだらりと力なくぶら下がっているような状態だ。

 ゴクリ、と喉を鳴らして唾を飲み込む。

「ヨウは、ぼくが好きだから殺してくれたし、ぼくが好きだから殺したくなくて自ら死を選んだ。こんなに熱烈な愛の告白ってある? ……ぼくはさ、ずっと死ぬことを考えていたよ。ヨウの気持ちも考えず、あんなことを言ってしまった」

「……俺こそ」

「違うよ。ヨウは何も悪くないんだ。ぼくの気持ちを汲んで、殺してくれた。でも、ぼくは君に何もしてあげられなかった。だから、これからはたくさん愛を注ぐから。ヨウの気持ちに負けないぐらいにね」

 ニッと歯を見せて笑うユヅの笑顔はとてもいいもので、ここはトキメクシーンなんだろうかとか一瞬考えてしまった。

 違う、これはお前を今から食うぞという肉食獣からの宣言だ。

 ぞぞぞ、と鳥肌が立つ。早まったかもしれない。ユヅのことは好きだ。多分俺の想いも歪んでる。でも、それを知って気落ちを受け入れてくれたユヅも歪んでいると思う。

「これからもずっと一緒にいよう。世界が終わる、その時まで」

「……そうだな。俺は世界が滅んでも、ユヅのとなりなら怖くないよ」

「ぼくもだよ。ヨウがぼくを救ってくれた。……やっぱり、君は勇者だね」

「嬉しくないっつーの」

「ありがとう。僕を殺して、生き返らせてくれて。そんなヨウのことが、ぼくは好きだよ」

「ん……俺も、ユヅが好きだよ。だからもう二度と、あんなこと言い出すなよ」

「うん」

 世界は終わる。

 でも、俺のとなりにはユヅがいて、ユヅのとなりには俺がいる。

 だから、それでいい。

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