果実 第12話

 コートを脱がせると、児嶋さんは力が抜けたように床に座り込んでしまった。くるぶしのあたりががくがく震えている。目も顔も真っ赤になっていて、泣いた後みたいに見えた。そんな目で私をぼんやり見上げるから、胸がずきっとした。友達だと思っていたのに、裏切られた、と言われているみたいで。

「泣いてるんですか? どうして? 怖かったから?」

「び……っくりして、足がちょっと」

 児嶋さんの口から出たのは、「やめろ」でも「怖い」でもない、そんな言葉だった。

「ここじゃ寒いから、そっちへ行きましょ?」

 指差したベッドを見て、彼女はぽかんと私を見上げた。

 瞳に怯えが浮かんでいるのを見て、できるだけいつもの、優しい笑顔を作った。昨日と別人になってしまったわけじゃない、普段通りの私だとわからせるために。ただ、勝負に出ているだけ。

「足がくがくだし」

 児嶋さんは唇を半開きにしてまだそこにいた。手をひっぱって、そのままベッドに押し倒した。児嶋さんは、何が起こったのかわからない、とでもいうように天井を見ていた。固まっているというよりは、ぼんやりとしてしまっている。

 一緒に横になると、彼女は起き上がろうとした。肩を押して押し戻し、腕の中に閉じ込めた。どくん、どくん、どくん……心臓が速まってどうしようもない。私は児嶋さんと自分と、両方を落ち着かせるために、ゆっくりと呼吸をした。児嶋さんに馬乗りになって、彼女の髪を撫でて、前髪で隠れてしまっていた目を覗いた。

「児嶋さん、わかっていましたよね?」

「なに……?」

 かすれて、色っぽい声だった。

「私の気持ち、少しはわかっていましたよね?」

「…………」

 児嶋さんは返事に迷った。わかっていたな、と確信した。

 答えを待って唇を見ていると、そのままキスしたくなる。困った顔の児嶋さんが、かわいくて、いとしくて、つつきたくなる。頬をつついて、そのまま口づけて、彼女を抱きしめた。全部触れたい。体じゅうにキスをしたい。

「あ……」

 児嶋さんの唇に口づける。優しく、語るみたいに。大事だよと伝えたい気持ちを込めて。児嶋さんが黙って、嫌がらず、口も閉じずにそれを受けていることが、嬉しくてならなかった。怖がってはいる。でも、嫌だと感じている気配がない。気がつくと、私の呼吸はゆるやかではなくなっている。

「わからなかった」

 今さらのように、児嶋さんが言う。

「うそつきですよね」

 いいんです。わかっていたって、顔に出ていますから。

 私の気持ちをわかっていて、それでも、喫茶店がよいをやめなかったことを、どう答えたらいいか困っている。

 別に言い訳は必要ない。いっしょにいられるだけで、嬉しかったんだから、そんなことはどうでもいい。

「やっぱり帰ります」

「だめです」

 私ははっきりと言った。駄目だなんていう権利はない、でも。

「あまり抵抗してないけど、怖がってますよね? いま、そのまま帰したとして、」

 言ったら、本当にそうなってしまいそう――けれど、聞かないでいることも、怖かった。

「もう終わりですよね?」

 言いきった。自分の声が震えていた。

 ここで放したら、きちんと話す機会は、二度とない。

(否定して……否定してください、児嶋さん)

 ゆっくり、優しく、せめて児嶋さんが怖がらないようにと思うのに、自分は震えてしまっている。コントロールができない。泣きそうになるのをこらえて、児嶋さんと目をあわせる。彼女は瞳の中に怯えを残している。

「そんなことしない……」

「いやだ」

 私は児嶋さんが小さく言いかけるのをさえぎった。逃げたい気持ちをありありと感じたからだ。

 私は今、すごく怖い目をしているんだろう。

 嫌なら嫌と言え、今ここで私ごと拒絶しろ。またご飯でも食べにいきましょうね、うんいつかね、……そんないつかでごまかすな。社交辞令はいらない。振るなら、私が二度と立ち上がれないくらいに、振ってくれなければ――やめない。

 私は激しく拒絶して欲しかったのかもしれない。児嶋さんは、内心がどうであれ、人に合わせてしまえる人間だ。心の中で気持ち悪いと思っていても、表面だけ繕った笑顔を見せるだろう。いいのか駄目なのか、どちらかを、激しく言わずには居られないほど追い詰めなければ、彼女の本音は聞けない。

 児嶋さんが逃げようとするのを押さえつけて、顔をこちらに向かせようとした。児嶋さんは私の顔を見ようとしなかった。逃げないで私を見てほしい、もどかしさに似た感情が私を凶暴にした。

 胸の中で私の視界を暗くする声が響いている。もう終わりだ、と。

 唇を舐めると、彼女はだんだんと蕩けていった。唇の端を舌でつつくのが感じるようで、息が乱れてくる。頬や首筋に口づけ、甘噛みする。

「ぁ、…ぅあ、」

 彼女は顔を真っ赤にして、声を出さないように耐えていた。胸元や肩を、抱きしめるように愛撫する。

「待って、……待って!」

 児嶋さんはかすれた声で、焦ったように叫んだ。

「待って……」

 声に涙が混ざり始めたのを感じて、私は児嶋さんを見た。目をみたとたん、体中に血が上った。その表情は、ズグッと私の体に、快楽をもたらした。児嶋さんは感じ始めていた。もっと感じさせて声をあげさせたいという欲求が喉を焼いた。

 気がつくと、狩りをする獣のような気分になってきていて――児嶋さんの両手首をつかまえて、両足の間を割って自分の膝を割りこませたとき、私はもうはっきりと、彼女を極限までいかせたいと望んでいた。

 本音を言わせるための強硬突破だったはずなのに。

 服をめくりあげて、彼女のわき腹に触れた。直接触れる肌、吸いつくような肌、口づけたい、撫でたい、触れれば触れるほど渇えてくる。

「だめ、こ、ここまでにして」

「じっとしてて……」

「お願い、麻生さん、お願い」

 児嶋さんの声は小さかったが、ほとんど悲鳴みたいになっていた。合間に、私が触れたのに感じたみたいに、息を吸うような声が混ざっている。

「やだってばぁ!」

 叫ばれて、私はびくっとして手を止めた。児嶋さんは顔を上気させて、泣きそうになりながら私を見ていた。

 ゆっくりと抱きしめながら、私は考えていた。何を言ったらいいのか。

 押し切れるのなら押し切ってしまいたかった。受け入れてしまいそうな目をしてたからだ。拒絶というよりは、混乱しきった感じ。

 結局、単純な言葉しか出てこなかった。

「しようよ?」

 なんて、露骨で品のない言い方をしてるんだろう。最悪だ。

「……だ、だめだよ」

 児嶋さんはとまどったように言った。

「児嶋さん、キスに反応してるじゃないですか!」

 思ったより激しい声が出たことに、自分で驚いた。

「…………」

 児嶋さんは否定しなかった。

「ここで放しても、児嶋さんは、もう離れていくだけじゃないですか」

「だって、だってこんなの、」

 受け入れられない?――それとも。

「レイプですか?」

「そ、……」

 ちらり、と。

「……そうだよ」

 どこかに、――自分の責任で承諾するのがいやだ、という感情が児嶋さんの目の奥に、見え隠れして見えた。……ように思えた。

「じゃあ、そういうことで」

 児嶋さんは目を見開いた。

 かまいません。

 そんなにキスしてほしそうな顔をしながら、ダメだとしか言わないのなら。

「麻生さんてば……」

 力が抜けたようにため息をついた。そして、

「お願い、シャワー、せめてシャワー浴びさせて……」

 抵抗を八割がた、諦めてしまった。  



※次の(果実 第13話)は、性的な表現がキツイと思いますので、そういった描写が苦手な方や、ピュアな(はずの?)年齢の方は、

果実14

https://kakuyomu.jp/works/16816700428514502895/episodes/16816700428574640818

へ飛んでください。話はつながります。

※そのまま読む方は……そのまま読んでください。

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