第14話
はるかの家で食事をしていると、携帯が鳴った。隆史からだった。
無視しようと思った。
「いいですよ、取っても」
はるかは、気にしていないかのように言って、サラダボウルから大根と水菜をおかわりした。
「いいよ。最近無視しちゃってるから、今ここで取らなくても」
「取ってください」
隆史に合わせて選んだ妙に陽気な着メロが、DVDの邪魔をする。
「いいって」
「取ってください」
繰り返し言われて、取らざるを得なくなった。
今日のはるかはなんだか怖い。よく考えると、部屋に入る前からムスッとしていたような気がしなくもない。
まぁ……どうにかなるだろう。
何も相手に言わせる隙を与えなければいい。電話を取って、言おうとした。
「電話ももうかけてこないで」と。
はるかがそばにいれば、その言葉は簡単に言えた。はるかに別れられたくない、その気持ちが後押しをするから。昨日のことは、きっと最後の一押しだった。言おうとは、したのだ。
隆史は車のクラクションのオーケストラのなか、かなりの音量で言ってきた。
「未来、おまえ昨日! ……ってったけど」
「え?」
「だからー! 車にー! 携帯ストラップが! あるの! おまえのが!」
電話の音を邪魔しないようにDVDをとめたはるかが、静寂のなか、つぶやいた。
「昨日?」
室温が5度くらい下がった。
「もう電話してこないで」
「だから、ストラップと、あと置きっぱなしのものとか。昨日部屋に本を置いて」
「またあとで連絡するから」
電話を切った。
目の端で恐る恐る見てみると、はるかは止まったDVDの画面の一点を見たまま、黙って考え込むようなしぐさで止まっていた。
「はるか、」
はるかはゆっくりと私を見上げた。唇には微笑みの影もなかった。
「いま、嘘をつく必要、どこにもなかったですよね」
「嘘?」
「最近無視してるって? 昨日会ったんですよね?」
これ以上嘘をついてもどうしようもない。つきかたもわからない。というか、はるかが怖い。
「会った……のは会った……」
「座って」
はるかはこたつに私を呼んだ。
「隠そうとしたのはどうして?」
「ちょっと会っただけだったから、別に言う必要ないと思ったの」
「児嶋さんのちょっと会ったは、車に乗る程度ですか? 食事に行く程度ですか? セックスする程度?」
私は逆上した。いきなりそこまで飛躍するか?
「してないよ!」
「……冷静に聞くけど、昨日ちょっと会ったけど、うちに泊まるのが嫌だったから、会ってないことにしたんですか? それとも、そもそも昨日は自分の家に帰らなかったんですか?」
「もういやだ! はるか!」
私が逆上したのには理由があった。
本当に、隆史とは昨日、体の関係は最後までもたなかったのだ。でも、それは「最後まで」でしかなかった。ホテルに行った。でも、隆史を許すことはどうしてもできなかった。ヘドロのような湿ったものが心の底にこびりついているだけで、受け入れることができなかったのだ。
それをはるかに今更話しても、わかってもらえると思えない。
「いやだ? なにが?」
気がつくと、床に押し倒されていた。私の声は泣き声になっていた。
「してない。本当になにもしてない」
「じゃあどうしてそんなに動揺してるんですか」
「ホテルには行ったから!」
はるかは首をかしげ、眉をすこし寄せた。苦しかったはるかの体重の乗り具合が、すこし軽くなった。
「……どこまでしたの?」
「だから何も、」
「正直に!」
ビシッと怒られ、私は少し軽めに申告した。
「キスまで」
「ふうん?」
はるかは眉をよせてうろんそうな顔をしたままだったが、「ホテルに行った」ことを申告したことで、かえって信じてもらえたようだった。
「それを隠さなきゃと思ったわけだ?」
私が身をひるがえして起き上がろうとすると、はるかは腕をつかんでまた床に押し付けてきた。指先を肩に押し付けている。
「……ふぅ」
妙なため息をついて、はるかは透明な瞳で私をみつめた。そして、気分を変えたかのように起き上がり、DVDを回し始めた。
二人とも回り始めた画面を見てはいたが、私には何の音も映像も頭には入ってこなかった。ふぅ? なんのため息だ? どうしてそれ以上追求してこないんだろう?
はるかはボソリと言った。
「私たち、何なんですかね」
嫌そうでも、責めるようでもなく、しみじみとした声で。画面をみながら、何も頭に入っていないのははるかも同様らしかった。
「恋人でもないのに、こんな痴話ゲンカみたいなことして。児嶋さんは私に隠すし、もう……私が男だったら、また違っていたんですかね」
「…………」
過去の出来事を語るみたいに。
DVDがしばらく続いている。何も頭にはいらない。はるかは何も言わない。
はるかはどうするつもりなんだろう。
もう呆れてしまったのだろうか。はるかは……。
「はるか」
はるかの返事がない。
涙がとまらなくなってきた。
はるか……。
はるか……。
はるか……。
「っていうか。なんで泣いてるんですか児嶋さん」
声が出ない。
「私は、私だって、……泣きたいのは、こっちなんですから」
本当は隆史とはもうとっくに駄目になっていた。一人の部屋で寝るときに思い出すのは、隆史じゃなかった。私に触れたはるかの色気のある指、はるかのぬくもり、隣にいるときの温かさ、私を抱きしめる腕の中を流れるはるかの血。
いつか見せた、泣き出しそうなむくれた顔、強引で茶目っけのある物言い、幸せそうな笑顔、少女のような愛らしいしぐさ、包み込んでくるようなこのはるかの……
しばらく画面を見ていたはるかは、DVDの音量を上げた。私に向き直ると、私の肩を押した。ゆっくりとはるかが押し倒してくるのを、私は抵抗もせずにただ見ていた。目からは熱いものが自分のものではない生き物のように勝手に流れ、それを感じることしかできない。
「はるかと、……」
はっきりした声。
「……別れる?」
心臓が、脈をきざむのを忘れた。
何も音が聞こえない。
はるかは、本気で聞いてきた。
別に、私たちは、付き合っているわけじゃない。そんなことは、二人ともわかっている。もう会わないことにするか? そういう質問だ、これは。
はるかは口を引き結んだまま、目をじっとみつめている。
私は首を振った。
はるかは、私の首元に指を押し付けた。
「襲うよ?」
「……だ、」
体が固くなる。
「だめ……」
はるかはため息をついた。
「帰ってください」
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