013奴隷の名前

俺の部屋(ワンルーム)には天使がいる。

一人暮らしなのに引きこもりで外に出られない俺が唯一顔を合わせる人間。

いや、天使。


彼女がいるから、俺はまだ俺でいられるのかもしれない・・・


シロは恐らく飼い主(家族?)に虐待されていたのだろう。

それもかなりの長い期間にわたって・・・


全身にやけどの跡が残っている。

なまじ肌が白いので、赤くなった跡は今でも残っている。


食事も満足に与えられていなかったのだと思われる。

出会ったときは、ガリガリになって、自分で立ち上がることもできなかった。

数か月かけてやっと笑うようにまで快復した。

もっとも以前の彼女のことは知らないのだが。


男か女かも分からない状態で拾って、自己満足で面倒を見たが、情がわいたのか、好きになったのかは分からないが、俺は彼女を手放すことができなくなっていた。


彼女が銀髪ロングの美少女というのもあったとは思う。

相手がおっさんだったら、お引き取り願っているだろう。


彼女は俺のことを『かみさま』と呼び、俺はこの奴隷天使を『シロ』と呼ぶ。

これは現代の奴隷の彼女と引きこもりの大学生の俺の生活の一部だ。



あの日、夜逃げをした隣の家の荷物が引き払われた日、俺はシロを引き取ることを決めた。

そして、その決意はシロに伝えられるべきだと思った。


もし、俺が逆の立場だったら、自分がどうなってしまうのか不安になるだろう。

なあなあで暮らしていくこともできるだろうが、きちんと言葉にしてもらった方が安心するに違いない。


シロはこの家にいたいと希望した。

その時、俺はすぐに答えることができなかった。

覚悟が出来ていなかった。


犬や猫ではないのだ。

人間の、17歳(多分)の少女なのだ。


彼女の面倒を一生見ていくなんて、引きこもりの俺にできるのか。

収入もほとんどないバイトで生活費を捻出している大学生がそんなことをしていいのだろうか。


決断は出来たのか微妙だが、とにかくシロを手放すのは嫌だった。

ずっとかどうかは分からないけれど、行けるところまでは行ってみようと思った。

ほんとうにどうしようもない時は・・・その時考えればいい。

俺はまだ大学生なのだから。



ずっとうちにいて良いことを伝えた。

シロは、泣きながら御礼を何度も何度も言った。


こんなにかわいい子を放り出せるわけがない。

抱きしめて、何度も頭を撫でてやった。



さて、うちにいることが決まった以上、名前は必要だ。

ずっと『シロ』と呼んでいたが、これは彼女が銀髪だから、イメージで俺が付けた仮の名前だ。

もしかしたら、栄養が足りなくて色素が抜けたのかもしれない。

シロは見事に銀髪だ。


シロの家に忍び込んで母子手帳を盗んできたことがあった。

一応、そこには名前が2つ書かれていて、上が彼女の親の名前だろう。

そして、下がシロの本当の名前だろう。


ただ、この母子手帳、シロのものなのかすら分からない。

そこで、シロになんて呼ばれていたか聞いてみた。


(ふるふるふる)


シロは無言で下を向いて首を振った。

分からないらしい。


「普段、なんて呼ばれていたんだ?」


「呼ばれないです」


「向かってくるときは『おい』とか『お前』とか・・・」


「それは名前じゃないな」


試しに母子手帳に書かれた名前について心あたりがないか聞いてみた。


(ふるふるふる)


本当にこの母子手帳はシロの物か!?


「弱ったなぁ、名前が分からないと呼ぶときに困るじゃないか?」


「私は『シロ』です。かみさまが付けてくれた名前です」


「そんなに気に入ってくれたのか・・・」


なんか・・・安直に付けてすまん。


「よし、結局分からないから、シロは今日から正式に『シロ』だ。うちの子は『シロ』!決定!」


シロは花が咲いたような笑顔を見せた。


「はい!これからはちゃんと『シロ』です!」


シロが右手を上げて宣言した。

子供が横断歩道を渡るときみたいに、ぴしりと右手が上げられている。


「シロ・・・これからはシロ・・・シロ・・・私の名前・・・」


なんか、にやにやしながらごにょごにょ言っている。

名前なんてそんなに嬉しいものだろうか。


「かみさま、シロこれからかみさまのおうちにいていいですか?」


「ああ、もちろん。この間言ったとおりだ。気に入らないからって、後でやっぱり・・・って言って追い出したりはしないよ」


掌で顔をゴシゴシしている。

これにどんな感情表現があるのかは俺には分からない。

まあ、嬉しそうにしているからいいだろう。


「お腹がすいたら冷蔵庫の中のものを勝手に食べていいし、お菓子も食べていい」


シロの目がキラキラと輝いている。

そんなに嬉しかったか?


「あと、必要なものがあったら、言ってくれれば準備するよ。あんまり高いものは買えないかもしれないけど・・・」


(ぶんぶんぶんぶん)


思いっきり首を振るシロ。


「かみさまがいて、ご飯が食べられたらシロは他に要りません!」


「まあ、謙虚なのはすごくいいけど、窮屈だと俺も嫌だから、好きに過ごしたらいいよ。テレビも見たいときに見ていいし」


「かみさま!」


「はい、なんでしょう?」


「『シロ』って呼んでみてください」


ん?どういうこと?

とりあえず、呼んでみることにする。


「シロ」


「はい!かみさま!」


今度は敬礼が出た。

なぜ敬礼?


シロの目が期待しているようなので、もう一度呼んでみることにした。


「シロ」


「はい!かみさま!」


わざわざ一旦少し離れて、振り向き様に返事をした。

なんだよ。

かわいいじゃねぇか。


シロが、とてとてと近づいてきて、両手で抱きしめてきた。

背が低いから顔はちょうど俺の鳩尾(みぞおち)くらいの高さになる。


こんな純真な好意を向けられて嫌なわけがない。

シロの頭を撫でてやる。


(なでなでなでなで)


「うにゅぅ・・・」


なんか幸せそうな顔だなぁ。

シロの頬にもやけどの跡が残っていて赤くなっているのだけれど、見慣れてしまえば全く気にならない。


それよりもこの猫のようなかわいさは俺の心を鷲掴みにする。

俺の中でも、もう『シロ』は『シロ』だ。

それ以外はあり得ない。

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