第20話 他国からの使者

 蘇卑の姫君とその部下である思文殿が馬術師範としてやって来てから二月。

 武威は夏真っ盛りといった様子で、訓練のためとはいえ鎧を着ると暑くて仕方がない。


 といっても。


「そこ! 歩兵部隊と戦車隊を囲むように、騎兵隊が連動して動くのだ! そうでなければ、弱点である歩兵部隊の横を突かれたら一巻の終わりだぞ!」


 うちの将軍はことほか元気で、兵士達は汗を大量に流しながら必死で食らいついている。


「うう……暑いよお……」

「姫様……我慢してくだされ……」


 ……どうやら姫君と思文殿は、暑さには弱いようだな。

 まあ、蘇卑は土地柄的に涼しいところであると聞くから、この武定の気候には慣れぬのかもしれない。


 そんなことを考えながら、ぼんやりと兵士達の訓練を眺めていると。


「子孝様! お水をお持ちしました!」

「ああ、月花。すまないなあ」


 気を利かせた月花が、わざわざこんなところまで湯飲みに入れた水を持って来てくれた。

 自分の仕事もあるだろうに、まめだなあ。


「ほう……? 我も喉が渇いたから一杯もらおうか」

「うえ!? 将軍!?」


 いつの間にか傍に来ていた将軍が俺の湯飲みをひったくり、ぐい、と一気に飲み干してしまった……。


「はっは。これは子孝殿の落ち度ですな」

「漢升殿……」


 愉快そうに笑う漢升殿を、俺はじと、と睨む。

 いや、確かに漢升殿の言う通りかもしれませぬが、だからといってこんな水一杯程度で、将軍も嫉妬する・・・・とはないでしょうに……。


「あー! 僕と思文がこんなに頑張ってるのに、子孝のくせに水を飲んでのんびりしてるー! 子孝のくせに!」


 いや、水に関しては全部将軍に飲まれてしまいましたが。


「あ、あは……私、皆様の分のお水をお持ちしますね……」


 そう言うと、月花は顔を引きつらせながら改めて全員分の水を用意しに向かった。な、なんだか申し訳ないなあ……。


「ふむ……ま、まあ、そもそも子孝が仕事をさぼってこのようなところにいるのが悪いのだがな……」


 えーと、この将軍は何を言ってるんですかねえ……俺は定例の政務報告に来て、訓練が終わるのを待っていただけなのですが。


 ……まあ、将軍を見ていたことに関しては、否定しませんが。


 すると。


「将軍様! 子孝様! た、大変です!」


 月花が慌てた様子でこちらに駆けてきた。


「月花、どうした?」

「は、はい! たった今、“姜氏”の使者と名乗るお方が!」

「……ほう」


 その報告を聞いた瞬間、将軍の琥珀色の瞳が鋭く光る。


「姜氏だって! あの崔に尻尾を振る腰抜けが何の用だよ!」

「ひ、姫様、まあまあ……」


 あー……蘇卑と犬猿の仲だけあって、姫君はかなり荒ぶっておられるなあ……。


「分かった。月花は他の役人に指示をして、謁見の間に通しておいてくれ」

「わ、分かりました!」


 月花は大声で返事をすると、大慌てで政庁へと戻って行った。


「ふむ……しかし、姜氏は一体何の目的で参ったのだろうな……」

「おそらくは、武定の様子をうかがいに来たのでしょう。当然ながら、我々が蘇卑と手を結んだことを知っているでしょうから」


 顎に手を当てて思案する将軍に、俺はそう告げる。

 だけどまあ、一番の理由は武定と蘇卑との関係を揺さぶり、あるいは姜氏に乗り換えろ、そんなところかもしれないな……。


「いずれにせよ、話を聞かねば話にならん。子孝、漢升、行くぞ」

「「はっ!」」


 俺と漢升殿は将軍の後に続き、政庁へと向かう……んだけど。


「ええと……どうして姫君がついて来るのですか?」

「当たり前だよ! 姜氏の連中なんて追い返してやるんだ!」

「いや、そういうことはやめてくださいね!?」


 この姫君、姜氏の謁見の場をめちゃくちゃにする気だろうか。

 とにかく。


「……姫君と思文殿は、絶対に姜氏の使者に見つからないよう、隠れていてください」

「な、何で……「し、子孝殿、承知いたした!」……もが!?」


 俺がそう念を押すと、反論しようとする姫君の口を押さえ、思文殿が頷いた。

 いやはや、姫君のお守りも大変そうだなあ……。


 ◇


「董将軍におかれては、ご機嫌うるわしゅう……」


 謁見の間にて、姜氏の使者がうやうやしく一礼する。


「世辞はよい。それで、姜氏の使者が我に何用か」

「この度、我等“姜氏”は、この武定……いえ、涼と友誼ゆうぎを結びたく参りました。こちらはその証としてお納めくだされ」


 姜氏の使者が後ろを見やると、供の者が一歩前に出て抱えている宝箱の蓋を開いた。


「ほう……見事な翡翠ひすいだな」

「はい。それで将軍、いかがでしょうか?」


 姜氏の使者は、うかがうように将軍の顔をのぞき見る。


「子孝、どう思う?」

「そうですねえ……さすがにこのような大事、我等のみで判断できかねますので、ここは一旦お引き取りいただいて、まずは陛下におはかりするのがよろしいかと」

「ということだ。使者殿には遠路はるばる悪いが、まずはお引き取りいただこう」

「かしこまりました。では、良い返事をお待ちしております」


 使者は最初と同じく恭しく一礼すると、供の者と共に謁見の間を出た。


「もう! あんな奴、さっさと追い返せばよかったのに!」


 使者がいなくなったのを見計らって隠れていた姫君が現れ、俺に詰め寄る。


「姫君、お怒りなのは分かるがそう申されるな。それで子孝、此度こたびの使者の目的、どう見る?」


 いまだに怒りの収まらない姫君をなだめつつ、将軍は俺を見て尋ねた。


 ふむ……使者が来た目的、ねえ……。

 まあ、一つ言えることは。


「あの者、姜氏では・・・・ありませんね・・・・・・

「「「はあ!?」」」


 俺の言葉に、将軍、姫君、思文殿が驚きの声を上げる。


「ほう? 子孝殿、それはどうしてですかな?」

「はい。やはり一番は、使者が勝手に・・・・・・置いていった・・・・・・翡翠ですね。姜氏の領地でそのように見事なものが採れるなんて、聞いたこともないですから」

「なるほど……だが姜氏のこと、どこかから略奪したということも否定できぬのでは?」

「そうですねえ……それだと、姜氏はこの武定を除いて中原に唯一面する“崔”から略奪したことになりますね。で、漢升殿、姜氏にそんな真似ができると思いますか?」

「はっは、確かに」


 俺の答えに満足したのか、漢升殿は腕組みしながら愉快そうに笑った。


「で、では子孝……あの使者は一体……?」

「はは……もう答えは出てますよ。姜氏では絶対に用意できないような宝物ほうもつを持ち、そしてこの武定にえにしのある者」


 そう……蘇卑、姜氏と同じく、この武定に面するもう一つの国。


「あの使者は、“崔”の者です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る