第467話 カミロス2世

 半分どうでもよくなった葬儀に向かう準備をする私の手は、興奮で小刻みに震えていた。エルリッヒの名刺の裏に書かれた住所にはなにが待つのか。葬儀中もそのことばかりが頭の中を巡った。


 体調不良を理由に教会には戻らず、名刺の裏の住所を目指し、私は車を走らせた。死体をまた愛せるかも知れないという喜びに胸が踊り、死の宣告を受けたことは頭から消えていた。


「ここだ」


 2時間かけて辿り着いたのは朽ち果てた教会。とても現在使用されているとは思えない。私はビビ割れた階段をのぼり、すすけた入り口のドアの前までやってきた。すると、私を待っていたかのようにゆっくりとドアが開いた。


 ギイイイイ


「よく来てくれましたね、メルデス神父。どうぞ中へ」


 エルリッヒが柔和な笑顔で私を出迎えた。死体を愛する。それはまさに鬼畜の所業。悪魔の力を手に入れることに恐れや不安はとくにない。私はもともと悪魔のような生き物なのだから。


 エルリッヒと共に教会の奥へと歩を進める。その先にある祭壇。そこに立つ人物の姿に私は驚きを隠せなかった。その人物のことを私はとてもよく知っていたからだ。本来、こんな辺鄙へんぴな場所にいるようなお方ではない。いるはずがないのだ!


「な、なぜ、あなたがここに?」


 私は冷や汗が止まらない。その人物はにっこりと微笑みながら、心を見透かすような目で私を見た。先ほどまでの薄汚い興奮が、嘘のように鳴りをひそめた。


 ここに来るように差し向けたエルリッヒに対し、言いようのない怒りが込み上げる。完全にハメられた。どう弁解すればいいんだ。私は色欲に負け、最悪の事態を招いてしまったのだ。せっかく手に入れた神父の職を失うかもしれない。


 これはなにかの試験だったのか。ここに来てしまった私はその試験に見事に落ちたのだ。聖職者たるものが悪魔の力などを得るために、ノコノコと醜い欲望に身を震わせながら、こんな場所までやって来たのだから。


「申し訳ございません! わ、私はどうなるのでしょうか?」


 今まで苦労して積み上げてきたものを指一本で崩されるような屈辱。ちくしょう。ダミアンに顔向けできない。エルリッヒは私の心の闇を見抜き「死体を愛せる」と言った。あそこから試験は始まっていたのか。


 大きな混乱の渦の中にいる私に対し、祭壇で微笑むその人物は、煉獄の炎にも似た言葉を言い放ったのだ。


「メルデスよ。顔をあげなさい」


「は、はい……」


「私はな、おぬしの死体を愛したいという願いを叶えてやりたいのだ」


「まさか、そ、そんなこと!」


「私は悪魔の力を持つ者。パウル・ヴァッサーマン。まずは、このゴミ同然の世界を闇に突き落とす。その一翼を担ってはくれぬか?」


「あ、あ、ああ……」


 じょわああああ……


 私は不覚にもその場で失禁してしまった。犬などが嬉しすぎてしてしまう『うれション』というものがある。私がしたのはまさにそれだ。


 いま私の目の前で話す、悪魔の力を持つという『パウル』を名乗る人物。それは紛れもなく、品格と威厳を兼ね備えたモライザ教の最高位聖職者、教皇カミロス2世だったのだ。

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