残酷のネル・フィード

えくれあ♡

第1章 カエル男

第1話 永遠の方舟

 神は人を救わない。祈りなど届きはしない。それでも人は祈ることをやめられない。







 ゴックンッ!


 フロッグマンは杏子あんこの頭をおいしそうに飲み込んだ。


 ペタンッ。


 隣にいた藤花とうかは、その場に尻もちをつき、震えながら後ずさった。


「あわ……あわわっ!」


 目の前に突きつけられたのは、生きる者が直面する究極の恐怖。死の恐怖。藤花の頭は真っ白になり、身体の制御も効かなくなる。


 じょわぁぁ……


 彼女の足元に濡れた染みが広がった。


『ゲロッ、ゲロゲロッ!』


 フロッグマンがぬめり気のある巨大な眼で藤花を見つめる。その視線には、人間には理解できない不気味な知性が宿っているようだった。


「な、な、なんで? わ、私たちには、方舟はこぶね様の、しゅ、守護がぁ……!」


 どんな困難も救ってくれると教えられてきた『永遠とわの方舟』の教えが、藤花の中で音もなく崩れていく。


『ゲロゲロ!』


 フロッグマンは藤花に近づき、さらに湿った顔を近づける。その奇妙に曲がった口元が笑っているように見えた。


「た、助けて……いやぁーっ!!」


 何度でも言う。神は人を救わない。祈りなど届きはしない。だが、それでも人は祈らずにはいられない弱い生き物なのだ。


 













 V県、W市――。


 チュン、チュンチュン……


 静かな住宅街の中で、一際ひときわ目を引く赤い家が立っている。血のような赤い外壁と屋根。奇抜なそのデザインは近隣住民の間でちょっとした話題にもなっていた。


 黒宮くろみや家。敬虔な信仰を持つ家族が住む家だ。


 早朝、2階から軽快な足音が響く。爽やかな夏の制服に身を包んだ少女――黒宮藤花が降りてきた。


「おはようございます、お父様、お母様」


「おはよう、藤花。今日も可愛いわね」


「おはよう。さあ、朝食をいただこう」


 家族3人が揃って食卓につく。手を合わせ、静かに目を閉じる。彼らの口から祈りの言葉が静かに紡がれる。


「永遠の方舟様、今日も私たちをお導きください」


「いただきます」


 朝食の時間に会話はない。ただ、祈りの後、黙々と食事を取るだけ。これが黒宮家の日常だ。


 黒宮家の信仰する『永遠の方舟』は新興宗教。終末の訪れに備え、選ばれた者だけが救われるという教えを掲げている。両親はもちろんのこと、藤花もこの教えに深く心酔していた。


 赤い外壁は『血の色を生活に取り入れよ』という教えを忠実に守った結果だった。


 藤花は両親の期待を一身に背負い、信仰の中で育てられた。容姿端麗、頭脳明晰。周囲も羨むほどの完璧な美少女。そう見えるのは、彼女が己の信念を崩さず生きているからだ。


 朝食後、藤花は和室にある神棚の前に立つ。優しい朝日が彼女の白い肌を照らし、神々しい雰囲気さえ漂わせる。


「方舟様、今日も私たち信者をお守りください。いってきます」


 祈りを捧げ、藤花は通学鞄を手に家を出る。その姿は清らかで美しい。そんな彼女が悪夢に怯える姿など、誰も想像できはしなかった。


 

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