「美人」と「母 その2」

 母親をここまで登場させなかったのは、私にとって苦痛しかなかったからだ。


 育ての母は、母が死ぬ間際に知ったことだけれど、『てんかん』という病気を持っていた。

 同時に知った現在の父(再婚)と私は、家族にも関わらず知らされてしなかった事にショックを隠せなかった。

 そんな大切な事を、どうして教えてくれなかったのだろう。


 先に亡くなった母方の祖母は気が強く真面目で、良くも悪くも曲がらない人だった。再婚するまで、母、祖母、私の三人で生活していた期間があったのだけれど、母親に輪をかけて厳しい祖母だった為、小学校の低学年の私にとっては家が地獄に思えたことさえあった。


 子供のころから病弱で、そう鬱だった母。

 とにかく厳しい祖母。


 祖母も母も今はこの世にいないから、すべてにおいて本当の話を聞くことが出来ない。私の出生の事も、母の病気のことも、その他諸々……。


 思い通りにならないとすぐに手をあげる母のせいで、トラウマになったことがある。

 ドッチボール、バスケットボール、バレーボール。

 特にドッチボールはヤバかった。

 目の前にボールが飛んで来ると怖くて受け止めるどころか、目を瞑るのが精一杯なのだ。母親が私の頭をおもいきり叩くことからのトラウマだ。


 些細なことで私を叩いた。ひどい時は「グー」でおもいきり殴られる。

 つかつかつかと鬼形相で歩いてきて、いきなり私を叩く。

 それはもう予測不可能だ。

 母の怒りモードのスウィッチがわからない……。

 気分なのか、生理だったのか……。


 とにかく回避する時間などないし、ほんの数秒で逃げることも出来ない。せいぜい腕を顔の前に出して阻止することは出来たが、幼い私が抵抗したことろで無駄なのだ。腕を簡単に掴まれ叩かれる。もう驚いて目を瞑るしか出来なかったのだ。


 思い出すだけでも怖い……。


 だから物が目の前に来ると足がすくんで動けなくなった。

 小学生の時に流行ったドッチボールは大嫌いだった。

 けれど、反対に、ボールに向かって行きたい――という気持ちもあった。

 子供なりに思っていたのだ。


――強いボールを目を瞑らないで受け止めることが出来たら、お母さんにも、運動神経がよくて意地悪なあの子にも勝てるかもしれない。


 今なら、くだらない話だと思えるけれど、あの頃の私は本気で思っていた。

 大嫌いなドッチボールだったから、クラスのみんなみたいにドッチボールが大好きになりたかった。


 その頃、怯えずに、正面からボールを見ることが出来たとしても、母が私をすぐに叩く行動は、きっとやめなかっただろう。


 長男が2、3歳の時に言うことをきかず叩いたことがあって、私はハッとしたのだ。同じことをしてしまったと。

 当然、自己嫌悪に陥った……。

 

 だからこそ私は子育てする上で、子供たちをちょっとしたことだったとしても、すぐに叩いたりしてこなかった。嫌な思いをさせたくないし、嫌いになってほしくないから。

 

 つい最近、次男が体育の授業で「バレーボール、めっちゃ楽しい!」と言っているのを聞いて、私は安心したのであった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る