現代語訳・伽婢子

@tei_kou

自序

 そもそも聖人とは人としての常道を説いて教え、徳を施し、身を整え、物の道理や法則を明らかにして、内心を修養する。

 天下国家が、模範たる上方である「ふう」によって、下方である「しょく」を変化させることを主眼とし、どの聖人も怪力乱神(怪異・勇力・悖乱はいらん・鬼神の行いといった理外の事柄や現象)は語らないといわれるが、もし止むを得ない場合には、これらについて著述し、後世のかがみとする。

 例えば、易経には龍が野戦を行ったとあり、書経にはかなえの中で雉が鳴いたことが記され、春秋には乱賊の記事があり、詩経には国風・鄭風ていふうの詩篇(悖乱にあたる男女の淫らな詩が存する)を載せ、後世に伝えて明らかな鑑としている。

 いわんや、仏教の経典には、三世因果さんぜいんがの理を教え、四生流転ししょうるてんの業を戒め、あるいは神通あるいは変化の様々が説かれている。

 また、神道の幽微である草木土石に至るまで、全てその神霊を持つことを示して、測りがたい妙理を著している。

 儒教・仏教・神道の三教は、おのおの霊理・奇特・怪異・感応が虚妄ではないことを説き、彼らの道に入るための媒介としている。

 聖人賢人の伝記や諸子百家の書物はすでに大量に蔵されている。本朝について記述された書物について、古から今日に至るまで書き記された書物は、五台の車に積んでもまだ足りないほど夥しい数である。

 中でも花山法皇の『大和物語』、宇治大納言源隆国の『宇治拾遺物語』、それ以外では『竹取物語』『宇津保物語』「俊蔭の巻」をはじめとして、怪しく奇特なことどもを記した書物は、枚挙に暇がない。

 しかしながら、この『伽婢子』は遠い昔の出来事を採用したわけではない。

 近日に聞き伝えた出来事を採集し、著述した書である。

 そのため、学智のある人間の目を喜ばせ、耳を洗い清めるために記したものではない。ただ女子供が聞いて、驚嘆し、おのずと心を改めて、正道に差し向けるための一助にしようというだけである。

 自分に見えるものを信じて、他人の言うことを信じないというのは、古の聖人賢人が卑しむところである。

 陰陽五行の運行による天地万物の創造は広大にして測りがたく、幽遠にして知ること能わず。

 眼前に見えないからといって、今から語って聞かせることを疑うことなかれ。


寛文かんぶん六年丙午ひのえうま元日 瓢水子松雲ひょうすいししょううん処士自序

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