現代語訳・伽婢子

@tei_kou

文章力が優れていたので龍宮城に招待されて一筆ふるった話(巻之一「龍宮の上棟 りゅうぐうのむねあげ」)

 近江国の東西にかかる勢田の橋は東国第一の大橋である。

 橋の西岸は、北は志賀しが辛崎からさきに間近く、山田・矢橋やばせの流し舟、塩津しおづ海津かいづののぼり舟が帆をかけて走るのがなんとも素晴らしくみえる。南は石山寺から夕暮れを告げる鐘の音が聞こえ、山伝いに岩間寺いわまでらも程近くみえる。

 橋の東岸は、北は世に聞こえた蓮の名所・任那しなの里がある。六月みなづきの中頃から咲き乱れた蓮の花のかおりは四方ににおって、見る者の心の濁りをおのずから澄みわたらせる趣があった。南には田上山たなかみやまに沈む夕陽を、鳴いて送るような蝉のこえに、夏の暑気がはらわれて涼むここち。後ろは伊勢路に続き、手前は湖水からの流れが長い。これは鹿飛ししとびの滝から宇治の川瀬かわせまで流れるといわれている。

 それから北には蛍谷ほたるだにという洞穴がある。四月から五月のなかばまで、数百万ごく(1斛=約48リットル)の蛍が湧きいでて、湖の水面に、鞠や、あるいは車輪ほどの大きさに集まって、ぐるぐると雲路はるかに舞い上がり、と思えば、俄かに水の上にはたと落ち、はらはらと砕け散って水に流れていく。明るい光が乱舞する光景は、点々とした柘榴ざくろの花が五月雨さみだれに咲いているかのようで、とてもすてがたい。


 このような絶景地であるから、世の好事家たちは僧も俗も遊びにきて、歌をよみ、詩をつくったので、そのあまたの作品の多くが口伝され、書にもつたえられている。

 橋の東南方面には、湖水のみぎわに沿って小社がある。

 むかし俵藤太秀郷たわらとうだひでさとがこのあたりから龍宮へおもむいて、三上嶽みかみのだけの大百足を退治し、絹と俵と鍋と釣り鐘を得てかえったといわれ、中でも釣り鐘は三井寺に寄付されて名高く、今も残っている。


 後柏原院ごかしわはらのいんの世の永正年中(1504-1521)に、滋賀郡しがのこおり松本に、真上阿祇奈君まかみあきなぎみという人がいた。

 もとは禁中に仕え、文章生もんじょうしょうの官職にあずかっていたのだが、世の怱劇そうげきを避け、冠をかけおいて引きこもり、此の地に住んで心静かな月日を過ごしていた。


 ある日の夕暮れのこと、布衣ほいに烏帽子姿の者が二名、真上まかみのもとを訪れた。

 庭の前で跪いて、

「海底の龍宮城より迎え奉ることがございまして、われらは参りました」

 というのだから、真上は顔色を変えて驚いた。

「龍宮と人間界とは、道が隔たり、境が異なるはず。どうやって龍宮城まで行くことができるでしょうか。いにしえは、それでも道があったとは伝え聞いておりますが、今は絶えてしまって、その後はわからないといわれています」

「良い馬に鞍を着けて、門の前につないであります。これに乗っておもむけば、海水漫々として波高くとも、すこしも苦しいことはございません」

 使者たちがいうので、真上はうたがわしく思いながらも、座をたち門を出れば、体長七寸ななき(およそ四尺七寸=約142センチメートル)ほどの太くたくましい黒毛馬に、金幅輪きんぷくりんの鞍を置き、螺鈿らでんあぶみをかけ、白銀のくつわを噛ませたのが、白丁はくちょう十余人にはらはらと引きたてられてきた。

 それに真上を乗せると、前をはしる二人の使者につづいて馬は虚空へと上がり、飛ぶかのように駆け出した。

 足下をみれば、ただただ雲の波、煙の波がしなやかに流れていき、その他には何も見えない。

 しばらくして宮門に到着すると、真上は馬から下り、門の前に立った。


 門衛は海老の頭に蟹の甲羅、栄螺さざえはまぐりの殻に似た兜の緒をしめ、やりや薙刀を手に立ち並び、いかめしく番をつとめていたが、真上を見るや、皆ひざまずき、地に頭をつけて、謹んで敬った。

 二人の使者がうちへと入っていき、しばらくすると、緑衣の官人と思しき者が二名出てきて真上を引きいれた。

 門の上には、含仁門がんじんもんという額がかけられている。

 門をくぐって、半町ほどすすむと水晶の宮殿がみえた。

 そのきざはしをのぼって入れば、彩雲の冠をいただき、飛雪ひせつの剣を帯び、しゃくを手にした龍王がたちいでた。

 真上は緑衣の官人らによって白玉の床の座にすすめられた。

 大いに敬い、礼拝して真上は、

「わたくしは大日本国の小臣でございます。草木と共に朽ち果てるような身でございます。どうして神王の威をおかして、上客の礼を受け奉る資格がありましょうや」

 とおそれながらに申し上げた。

「久しく御名はうかがっており、ここにようやく御尊顔を拝すことができました。御辞退には及びませぬ」

 龍王はそう云って、強いて白玉の床に真上をすわらしめて、おのれは七宝の床にのぼり、南面して座した。


 真上の座がおちついたところで、

「賓客がいらっしゃいました」

 そう告げられた竜王は座をたって、階に出ると三人の客を歓迎した。

 いずれも気高きよそおいで、この世の人とは思われない。

 玉の冠をいただき、錦のたもとをかいあわせ、威儀は正しく、七宝しっぽう輦車れんしゃより降りると、物静かに殿上へとのぼって座した。

 真上は床をしりぞくと、金の壁の下に隠れ、うずくまった。

 座もさだまったので龍王は、

「人間界の文章生をお迎え奉りました。御三方に御紹介させていただきます」

 真上も呼んで賓客の前に来るよう勧めるので、進み出て礼拝すれば、三人の賓客も礼を返した。

「面前の玉座におのぼりください」

 賓客らがそう勧めるのを真上は辞して曰く、

「わたくしは一国の小臣にしか過ぎません。そのような低い身分の者が、貴族と対等な床に上るというのは大変おそれおおいことでございます」

「まことに人間界と龍宮城との境界は隔たり、通路も絶えてしまったが、神王が手本となる人間をえらびだしたことは明らかである。君は凡人ではないからこそ、ここに御招請奉りました。何も辞するには及びません。さ、さ、はよう床におすわりになってくださいませ」

 三人の賓客に説かれて、真上はようやく座した。


 龍王が語ることには、

「朕はこのほど、あらたに宮殿をひとつかまえようとしておる。木工頭もくのかみ番匠たくみのつかさが集まって、玉のいしずえを据えて、虹のうつばり、雲の棟木むなぎあやの柱はすべてそろったが、不足のものがある。それは上棟むねあげの文、そして祝拝の詞である。『真上阿祇奈君は学智道徳で名高い』とほのかに伝え聞いたので、こうして遠方より御招請奉りました。朕のために一篇の筆をふるっていただければ幸いです」

 すると、髪を唐輪からわに結った、十二、三歳くらいの童子が二人あらわれた。

 ひとりは、碧玉のすずり――神藜しんれいの灰に紅藍麝臍こうらんじゃさいをくわえて磨った墨汁を湛えている――と、湘竹しょうちくの管に文犀ぶんさいの毛を挿した筆を捧げもち、もうひとりは鮫人こうじん(人魚)の絹一丈をもって真上の前にすすみでた。

 これには真上も辞する言葉がなく、筆を墨にひたして次のように書きたてまつった。


 天地あめつちのあいだには蒼海あおうなばら最大いとおおいなりとし

 生物いけるたぐいのなかには龍神わだつみを殊にくしみとす

 すでに世を潤すのいさおあり

 いかでかさいわいのぶるめぐみなからんや


 この故に香をたき

 ともしびをかかげてよりいのる

 飛龍とぶたつは大なる人をみるにときことあり

 またもちいて不測はからざるあとかたどれり


 維歳次今月今日これとしのやどりこのつきこのひ

 あらたに玉の殿みあやをかまえ

 あきらけくくわしかざりをいとなめり


 水晶・珊瑚のはしらをたて

 琥珀・琅玕ろうかん(玉に似た美しい石)のうつばりを掛く

 たまのすだれをまきぬれば

 山の雲あおくうつり

 玉の戸をひらけば

 ほらのかすみ白くめぐる


 天高あめたか地厚つちあつうして

 南溟八千里みなみのうみやちさとをしずめ

 雨順あめしたがい風調かぜととのおり北渚五百淵きたのなぎさいおふちをおさむ


 空にあがり泉にくだりては

 蒼生かんたがらの望みをかなえ

 かたちをあらわし

 身をかくしては

 上帝かんつすべらぎあわれみたす

 その威古今いきおいいにしえいまにわたり

 そのさいわい磧礫せぜらぎおよぼす


 玄亀くろきかめ赤鯉あかきこいおどりて祝い

 木魅こだま山魑やまびこあつまりてよろこぶ


 ここに歌一曲をつくりてちりばめたるうつばりのうえにあらわ


 扶桑海淵落瑤宮ふそうのかいえんようきゅうをはじむ 水族駢蹎承徳化すいじょくべんてんとしてとくかにしたがう

 万籟唱和慶賛歌ばんらいしょうわすけいさんのうた 若神河伯朝宗駕じゃくしんかはくちょうそうのが


 おさまれるみちぞしるけきたつみや

 世はひさかたのつきじとをしる

 

 伏してねがわくば、上棟むねあげの後ももさいわいともにいたり、ちぢのよろこびあまねく来り、たまの宮やすくおだやかにして、溟海わだつうみたいらけくおさまり、あまつそらの月日にひとしく、そのかぎりあるべからず。


 龍王が大よろこびで三人の賓客にこれをみせると、みな感じいって褒めたたえた。

 そうして上棟の宴を開いた。

阿祇奈君あきなぎみは人間界にいて御存知ないと思うので御三方を御紹介いたしましょう。こちらの神、河の神、そしてふちの神でおわします。われら、貴君の友人となり、本日の交遊で、いっそうこころ打ち解けたく存じます。なにも御遠慮はいりませんぞ」

 龍王たちと真上はたがいに盃をめぐらせ、酒をすすめた。

 二十歳ぐらいの年ごろの女房が十余人でてきて、雪の袖をかえしかえし、歌い舞った。

 そのかんばせは人間界ではいまだ目にしたことのない美しさで、上品でもあった。

 玉のかんざしに花をかざり、白のうすものに袖をつけて、歌声は雲にも響くほど。

 女房たちがしばらく舞ってしりぞけば、次はみずらを結った童子たちが十余人あらわれた。

 雛人形のように美しく、唐縫いのひたたれに錦の袴をきて、花をかざして立ちめぐり、袂をひるがえす。

 その声は澄みわたり、うつばりの塵を吹きとばしてしまうかのよう。管弦の音もこれに和して、趣深さはかぎりがなかった。


 歌舞が終われば、あるじの龍王は歓びのあまり、爵杯しゃくはいをあらって銚子ちょうしをとりかえさせると、阿祇奈君の前に置かせ、みずから玉の笛を吹きならし、嶰国吟かいこくぎんをうたった。

 そして、

「そこに座しているものたちよ、罷りでてきて、お客様のために戯れの芸を尽くせ」

 と命じれば、まずかしこまって出てきた者がある。

「我は郭介子かくかいし

 蟹の精が名乗って、次のように詠った。


 我は谷かげ岩間に隠れ

 桂のみのる秋になれば

 月清く風涼しきにもよおされ

 河にまろび海に泳ぐ


 腹には黄を含み

 外はまどかにいと堅く

 二つのまなこ天に臨み

 八の足またがり

 そのかたちは乙女のわらいをもとめ

 そのあじわいつわもののかおばせをよろこばし

 よろいをまといほこをとり

 あわを噴き瞳をめぐらし

 無膓公子ぶちょうこうしの名をほどこし

 つな手のまいを舞けらし


 詠いながら、前に進んだり後ろに退いたり、右へ左へ駆けまわれば、甲殻類のものどもが拍子をとる。座中はえつぼに入って笑いにぎわった。


 つづいて、玄先生げんせんじょうと名乗り駆け出してきたのは亀の精であった。

 袖をかえして拍子をとって、尾をのばして頸をうごかし、詠いだした。


 我はこれめどぎの草むらにかくれ

 はちすの葉にあそび

 ふみおうて水にうかび

 網をこうむりて夢をしめす


 殻は人のうらかたをあらわし

 胸につわものの気をふくむ

 世の宝となり道のおしえをなす


 六のかくしてふく千年ちとせ寿ことぶきをたもつ

 気をはけば糸すじのごとく

 尾をひきて楽しみをきわむ

 青海あおうみまいまうべし


 かしらを動かしくびを縮め、目をぱちくり、足をあげ、しばらく舞い踊ってひっこめば、満座のものたちは声をあげて、腹を抱え、立ったり伏したり笑いあい、興に入った。

 それからえびはまぐり木魅こだま山魑やまびこ、よろずの魚、おのおの特技を生かした芸を尽くしたものだから、酒宴もたけなわ、酔いもまわってきた。


 賓客三神は客座をたち、拝謝して帰るので、龍王はきざはしのもとまで見送った。

 真上も袖をかきおさめて、

「たのしみはもうこれで十分です。願わくば、龍宮城の様子をあまねくお見せいただけないでしょうか」

「それはたやすいことです」

 龍王は快諾すると、真上をつれて階をくだり、庭にでて歩いていくのだが、雲がけぶって何も見えない。そこで吹雲の官人をよんだ。

 あらわれたのは、七曲ななわたの兜を装着した、鼻が高く、口の大きい、おおはまぐりの精であった。

 口をすぼめ、天にむかって息を吐いて雲を吹き飛ばせば、広く平らかで、山もなくいわおもない世界が眼前にひろがった。


 数十里先まで霧雲は晴れて庭がみえた。

 玉の植木がつらなり、金のいさごがしきつめられている。梢には五色の花がひらき、池には四色の蓮が咲き、濃密な匂いである。

 官人につき添われてあゆみめぐれば、黄金こがねわたりどのがあり、庭には瑠璃のかわらがしきつめられている。


 ひとつの楼閣に至れば、そこは玻璃・水晶でつくりたてられ、珠をちりばめてかざられていた。

 楼閣にのぼれば、虚空を急上昇するような心地がして、一重目にも到達することができない。

「ここは下輩げはい凡人ぼんじんがのぼることのできない場所ですので、神通力をもつ者のみのぼることができます」

 官人がいう。


 もうひとつの楼台にのぼると、かたわらに円い鏡のようなものが置いてある。

 きらきらと光り輝いて目がくらみ、直視できない。

 官人が説明して、

「これは電母でんぼの鏡といいます。少しでも動かせば大きな稲光いなびかりが発生して、人間界の人々の目を奪います」


 鏡のとなりには太鼓がある。大小あわせてかなりの数である。

 真上はそのうちのひとつを試しに打ってみようとしたところ、官人にあわてて止められた。

「これは雷公らいこうの鼓です。もし強く打ち鳴らせば、人間界の山川、谷、平地は震動し、ひとびとはみな肝を失って、絶命するでしょう。運よく絶命しない人も聴力を失います」


 なるほどと、真上はそばにあったふいごのようなものを動かそうとした。

 官人、これもあわてて止める。

「これは哨風しょうふうの革袋というもので、強く動かせば、人間界の山は崩れ、岩石が飛び、空中へと舞い上がり、人々の家屋は吹き壊されて、四方へ飛散します」


 なんとおそろしいと思いながら、真上は近くにあった水甕みずがめをみとめ、上においてあったははきのようなものをかめの水にさしいれて、振ってみようとした。

「もう! なんで勝手にさわるんですか」

 官人にまた止められる。

「これは洪雨こううみずがめです。この箒をひたして、強くうち振れば、人間界は大雨洪水に押し流されます。そして、山も浸水して陸地は海と化します」


「ははあ。して、これらの天候地動をつかさどる官人はいずこにいらっしゃるのですか」

 真上が官人に尋ねる。

「雷公、電母、風伯ふうはく雨師うしは極めて粗暴なやからですので、通常は獄舎に押し込められており、心のまま好きにふるまうことはできません。役目をつとめるさいは、出獄してここに集められ、雨風、いかずち、いなびかり、それぞれ定められた分量でふるまわせ、これを過ぎればとがありとして罰します」


 すべての宮殿楼閣をみつくすことはとてもできないので、龍王のもとへ戻れば、またさまざまにもてなされた。

 瑠璃の盆に真珠二顆にか、氷の絹二疋を龍王は帰りのはなむけとした。

 そして礼儀厚く、階まで送りにでて、官人に仰せつけて真上を人間界へと送り返したのだった。


 真上が目をとじると、空を翔けるここちがして、次に目をあけてみれば勢田の橋の東の、龍王の社の前であった。

 珠と絹は持って帰って家宝とした。


 真上阿祇奈君はその後、隠遁して道士となり、その最期は誰も知らない。

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