現代語訳・伽婢子
@tei_kou
文章力が優れていたので龍宮城に招待されて一筆ふるった話(巻之一「龍宮の上棟 りゅうぐうのむねあげ」)
近江国の東西にかかる勢田の橋は東国第一の大橋である。
橋の西岸は、北は
橋の東岸は、北は世に聞こえた蓮の名所・
それから北には
このような絶景地であるから、世の好事家たちは僧も俗も遊びにきて、歌をよみ、詩をつくったので、そのあまたの作品の多くが口伝され、書にもつたえられている。
橋の東南方面には、湖水のみぎわに沿って小社がある。
むかし
もとは禁中に仕え、
ある日の夕暮れのこと、
庭の前で跪いて、
「海底の龍宮城より迎え奉ることがございまして、われらは参りました」
というのだから、真上は顔色を変えて驚いた。
「龍宮と人間界とは、道が隔たり、境が異なるはず。どうやって龍宮城まで行くことができるでしょうか。いにしえは、それでも道があったとは伝え聞いておりますが、今は絶えてしまって、その後はわからないといわれています」
「良い馬に鞍を着けて、門の前につないであります。これに乗っておもむけば、海水漫々として波高くとも、すこしも苦しいことはございません」
使者たちがいうので、真上はうたがわしく思いながらも、座をたち門を出れば、体長
それに真上を乗せると、前をはしる二人の使者につづいて馬は虚空へと上がり、飛ぶかのように駆け出した。
足下をみれば、ただただ雲の波、煙の波がしなやかに流れていき、その他には何も見えない。
しばらくして宮門に到着すると、真上は馬から下り、門の前に立った。
門衛は海老の頭に蟹の甲羅、
二人の使者がうちへと入っていき、しばらくすると、緑衣の官人と思しき者が二名出てきて真上を引きいれた。
門の上には、
門をくぐって、半町ほどすすむと水晶の宮殿がみえた。
その
真上は緑衣の官人らによって白玉の床の座にすすめられた。
大いに敬い、礼拝して真上は、
「わたくしは大日本国の小臣でございます。草木と共に朽ち果てるような身でございます。どうして神王の威をおかして、上客の礼を受け奉る資格がありましょうや」
とおそれながらに申し上げた。
「久しく御名はうかがっており、ここにようやく御尊顔を拝すことができました。御辞退には及びませぬ」
龍王はそう云って、強いて白玉の床に真上をすわらしめて、おのれは七宝の床にのぼり、南面して座した。
真上の座がおちついたところで、
「賓客がいらっしゃいました」
そう告げられた竜王は座をたって、階に出ると三人の客を歓迎した。
いずれも気高きよそおいで、この世の人とは思われない。
玉の冠をいただき、錦の
真上は床をしりぞくと、金の壁の下に隠れ、うずくまった。
座もさだまったので龍王は、
「人間界の文章生をお迎え奉りました。御三方に御紹介させていただきます」
真上も呼んで賓客の前に来るよう勧めるので、進み出て礼拝すれば、三人の賓客も礼を返した。
「面前の玉座におのぼりください」
賓客らがそう勧めるのを真上は辞して曰く、
「わたくしは一国の小臣にしか過ぎません。そのような低い身分の者が、貴族と対等な床に上るというのは大変おそれおおいことでございます」
「まことに人間界と龍宮城との境界は隔たり、通路も絶えてしまったが、神王が手本となる人間をえらびだしたことは明らかである。君は凡人ではないからこそ、ここに御招請奉りました。何も辞するには及びません。さ、さ、はよう床におすわりになってくださいませ」
三人の賓客に説かれて、真上はようやく座した。
龍王が語ることには、
「朕はこのほど、あらたに宮殿をひとつかまえようとしておる。
すると、髪を
ひとりは、碧玉の
これには真上も辞する言葉がなく、筆を墨にひたして次のように書きたてまつった。
すでに世を潤すの
いかでか
この故に香をたき
またもちいて
水晶・珊瑚のはしらをたて
琥珀・
たまのすだれをまきぬれば
山の雲あおくうつり
玉の戸をひらけば
空にあがり泉にくだりては
かたちをあらわし
身をかくしては
その
その
ここに歌一曲をつくりて
おさまれるみちぞしるけき
世はひさかたのつきじとをしる
伏してねがわくば、
龍王が大よろこびで三人の賓客にこれをみせると、みな感じいって褒めたたえた。
そうして上棟の宴を開いた。
「
龍王たちと真上はたがいに盃をめぐらせ、酒をすすめた。
二十歳ぐらいの年ごろの女房が十余人でてきて、雪の袖をかえしかえし、歌い舞った。
そのかんばせは人間界ではいまだ目にしたことのない美しさで、上品でもあった。
玉のかんざしに花をかざり、白の
女房たちがしばらく舞ってしりぞけば、次はみずらを結った童子たちが十余人あらわれた。
雛人形のように美しく、唐縫いのひたたれに錦の袴をきて、花をかざして立ちめぐり、袂をひるがえす。
その声は澄みわたり、
歌舞が終われば、あるじの龍王は歓びのあまり、
そして、
「そこに座しているものたちよ、罷りでてきて、お客様のために戯れの芸を尽くせ」
と命じれば、まずかしこまって出てきた者がある。
「我は
蟹の精が名乗って、次のように詠った。
我は谷かげ岩間に隠れ
桂のみのる秋になれば
月清く風涼しきにもよおされ
河にまろび海に泳ぐ
腹には黄を含み
外はまどかにいと堅く
二つのまなこ天に臨み
八の足またがり
そのかたちは乙女のわらいをもとめ
その
つな手の
詠いながら、前に進んだり後ろに退いたり、右へ左へ駆けまわれば、甲殻類のものどもが拍子をとる。座中はえつぼに入って笑いにぎわった。
つづいて、
袖をかえして拍子をとって、尾をのばして頸をうごかし、詠いだした。
我はこれ
網をこうむりて夢をしめす
殻は人の
胸に
世の宝となり道のおしえをなす
六の
気を
尾を
それから
賓客三神は客座をたち、拝謝して帰るので、龍王は
真上も袖をかきおさめて、
「たのしみはもうこれで十分です。願わくば、龍宮城の様子をあまねくお見せいただけないでしょうか」
「それはたやすいことです」
龍王は快諾すると、真上をつれて階をくだり、庭にでて歩いていくのだが、雲がけぶって何も見えない。そこで吹雲の官人をよんだ。
あらわれたのは、
口をすぼめ、天にむかって息を吐いて雲を吹き飛ばせば、広く平らかで、山もなく
数十里先まで霧雲は晴れて庭がみえた。
玉の植木がつらなり、金のいさごがしきつめられている。梢には五色の花がひらき、池には四色の蓮が咲き、濃密な匂いである。
官人につき添われてあゆみめぐれば、
ひとつの楼閣に至れば、そこは玻璃・水晶でつくりたてられ、珠をちりばめてかざられていた。
楼閣にのぼれば、虚空を急上昇するような心地がして、一重目にも到達することができない。
「ここは
官人がいう。
もうひとつの楼台にのぼると、かたわらに円い鏡のようなものが置いてある。
きらきらと光り輝いて目がくらみ、直視できない。
官人が説明して、
「これは
鏡のとなりには太鼓がある。大小あわせてかなりの数である。
真上はそのうちのひとつを試しに打ってみようとしたところ、官人にあわてて止められた。
「これは
なるほどと、真上はそばにあった
官人、これもあわてて止める。
「これは
なんとおそろしいと思いながら、真上は近くにあった
「もう! なんで勝手にさわるんですか」
官人にまた止められる。
「これは
「ははあ。して、これらの天候地動をつかさどる官人はいずこにいらっしゃるのですか」
真上が官人に尋ねる。
「雷公、電母、
すべての宮殿楼閣をみつくすことはとてもできないので、龍王のもとへ戻れば、またさまざまにもてなされた。
瑠璃の盆に真珠
そして礼儀厚く、階まで送りにでて、官人に仰せつけて真上を人間界へと送り返したのだった。
真上が目をとじると、空を翔けるここちがして、次に目をあけてみれば勢田の橋の東の、龍王の社の前であった。
珠と絹は持って帰って家宝とした。
真上阿祇奈君はその後、隠遁して道士となり、その最期は誰も知らない。
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