Day2 『椎の木通り』(お題・屋上)
「これ、確か『椎の木通り』の公会堂の鍵だよ」
私が降嫁することが決まってから暮らしているオークウッド本草店の店先。火急の客の為に、寺院の深夜の鐘が鳴るまで開けている裏戸の前で、店番をしながらガスがふにゃりと呑気な猫を思わせる黒い目を細めた。
「『椎の木通り』の公会堂って、あの背の高い茶色い煉瓦作りの……」
「そう」
火桶に掛けた鉄瓶から沸いたお湯をポットに注いだ後、眺めていた鍵と手紙を私に返す。
「間違いなく、ミリーへの事件の依頼だね」
「……でも、この前、今月は相談事が無くなるって……」
訝しげに問う私に、猫っ毛の黒い頭を掻いて、ガスはカップを並べた。
「お山や海とかに住む魔物からの依頼は無くなるんだ。でも、反対に街ではこの時期、人と小さい魔物のトラブルが増えるんだよ」
秋も深まり、人が家にいる時間が増えると、夏の間は気付かなかった異常に気付きやすくなる。魔物の方も寒さから人の家に入り込んだり、長い夜に動きが活発になったりして、この月はそういうちょっとした不思議なトラブルが頻発するのだ。
「『椎の木通り』の辺りはシルベールでも下町で人が多いから余計にね。公会堂の事務局に、この時期はそういうトラブルの解決を請け負う窓口を開くんだ」
「へ~」
ガスがカップにお茶を淹れて、渡してくれる。
「オレも窓口の人が手に余るものは、頼まれて手伝うことがあるよ」
彼の淹れたお茶のカップを彼の『姉や』であるスライムのフランや、この春から私を『
私はお茶を一口啜った。微かに柑橘の香りが口の中に漂う。オレンジの皮を削って干したものを混ぜてあるのだろう。ガスが毎年、寒くなると淹れるお茶を味わって、私は手紙をもう一度見た。
「じゃあ、折角依頼も来たんだし、今年は私がお手伝いする」
「それなら、フランとカゲマルを連れて行くと良いよ」
フランは毎秋ガスの手伝いで『椎の木通り』に行っているので慣れているし、影丸は魔物の気配に敏感で、影を使って、いろんなところに入り込める。
「二人ともミリーを頼むね」
「解ったわ。坊ちゃま」
「承知したでござる」
二人が私達を見上げて、頼もしく頷いてくれた。
※ ※ ※ ※ ※
「聖騎士様に来て頂けるなんて助かります」
翌日、『椎の木通り』の公会堂を訪ねると事務局のこの時期の臨時職員、リサさんが嬉しそうに私の手伝いを喜んでくれた。
「実はいつも一緒に臨時職員をしてくれるスージーが、お母さんが身体を悪くして故郷に看病に帰ったきり、まだ戻ってきてないんです」
それで、一人でどうしょうかと困っていたらしい。
「この鍵は……屋上の扉のものですね」
狭い階段を上がり、リサさんと古い樫の木の扉の前に立つ。錠に鍵を差し込むとカチリと開いた。
屋上は胸の高さまでの塀に囲まれ、中央には綺麗な女性の像が立っている。
「この像は?」
「初代『勇者』様の奥方様、シルベール伯爵夫人の像です」
アルスバトル公立施療院等、『勇者』の建国を助け、魔王の傷に苦しむ人の為、数々の公益施設を設立した夫人。この公会堂も皆が音楽会や講演会で楽しめるようにと彼女が建てたものらしい。
この街のシルベールという名前は、伯爵夫人の功績を称え、つけられているのだ。
塀に近づくと、秋晴れの空の下、個人商店や小さな家々が並ぶ下町らしいごちゃごちゃした光景が広がる。
「あの街中に見える茶色の木は椎の木でござるか?」
「そうよ。『椎の木通り』は文字どおり、シルベールを広げるときに椎の木の森を切り開いて造ったところから来ているの」
まだ大陸にきて半年と少し。もの珍しそうに眺める影丸にフランが答える。
「よし! 頑張るぞ!」
朝の活気あふれる街を眺めて、私は気合いを入れた。
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