それゆけセドリック 後編

 ぼくは言いました。


「はい。ぼくはシャデラン領が好きなんです。草原も川も、遊ぶ場所がいっぱいあるし、野菜は美味しいし、牛も羊も可愛い。屋敷も古いけど大きくて、なかなかあんなおうちに住めるひとはいないって、ぼく知ってます。

 ぼく、シャデランの領主になりたいです。村を豊かにして、ひとも牛も増やして、お祭りも賑やかにして、美味しいものを食べて、たくさんの友達とお嫁さんとみんな楽しく暮らしたいです」

「待ってセドリック、そのたくさんっていうのはお嫁さんには掛かってないわよね?」


 アナスタジアお姉様がぼくの両肩を掴んで言いました。その横で王子様と、キュロス様も笑っていました。


「いいねえ、将来有望! ひとの上に立つならそのくらいの野心がなきゃ!」

「……実行は、ほどほどにな」


 マリーお姉ちゃんは頭を抱えていました。


「セドリック、その道を進むのは大変よ。大丈夫? あなたそんなに勉強好きじゃないでしょう?」

「うーん。でも、領主になるのにホントに必要なら、やりたい」

「……でも……」

「まあまあマリーさん、心配なのは分かるけどとりあえずやらせてやりなよ。今まで力が入りきらなかったのは、勉強する理由、目標がぼんやりしてたからだろうし。それがハッキリしたんだから、これから伸びるって」


 リュー・リュー様がマリーお姉ちゃんの肩を叩きました。マリーお姉ちゃんはハッとして、ぼくにゴメンナサイと言いました。


「そうね……あなたがやりたいと言うのだもの。わたしが否定してはいけなかったわね」


 マリーお姉ちゃんよりも、その後ろ、キュロス様の方が心配していました。やるだけやらせる、というのは決定してからも、いざとなったら休学、退学して構わないぞとか、寮に入らずここから通った方がいいんじゃないかとか。

 王都の学園って、そんなに厳しいところなの……? ちょっと怖くなってしまったぼくは、王子様を見上げました。王子様も、眉をしかめていました。


「厳しいというか――とにかく実力主義っていうか。評価されると級が上がるから、上を目指すほどキツくなる。適当に及第点を取っていくぶんには、のんびり学園生活を楽しめると思うけど」

「入学審査の担任によるだろう。万が一『鬼のウェスラー』にでも当たったら、地力のひとつ上の級に入れられて地獄を見るぞ」

「そのおかげでぼくもキュロス君も、一年目から六級生、十八までに全科目を修了できたんじゃないか。ウェスラー先生は恩人だよ」

「卒業式に、その恩人の靴箱を膠(にかわ)で封鎖したのはどこの王子だ」

「キュロス君もあの日ばかりは嬉々として手伝ったくせに」

「俺はちゃんと、中の靴は退避させた上で――」

「すみません、キュロス様も少し静かにしていていただけます?」


 マリーお姉ちゃんに叱られて、二人とも大人しくなりました。

 

「王子様と伯爵様が逃げ出した学園って、どんなだろ? おもしろそう! ぼくぜったい入学するよ。楽しみ!」


 ぴょんぴょん飛び跳ねて叫ぶと、大人達はみんな、眉を垂らしてクスクス笑い始めました。

 お姉ちゃん達はぼくを抱きしめて、おでこにキスをしてくれました。


「もう止めないわ。だけどキュロス様の言うとおり、どうしてもつらければ逃げていらっしゃいね……ほかに生きる道はあるのだから」


 ぼくは笑って、お姉ちゃんにキスを返しました。


「平気さ。お友達をいっぱい作って、先生とも仲良くなって、みんなに助けてもらうから。大丈夫、ぼくって顔が可愛いもの」

「……まあっ」


 目を丸くするお姉ちゃん。ぼくはお姉ちゃんの腕から飛び出して、隣のキュロス様に抱きつきました。ほっぺたにチュッてすると、キュロス様はすごくビックリしていました。アナスタジアお姉様、ルイフォン様、リュー・リュー様にもギュッとしてチュッとすると、みんな赤面して苦笑い。


「こいつめ、自分の能力をよく分かってるな?」


 ルイフォン様に小突かれて、ぼくはペロッと舌を出しました。



 ◇◆◇◆◇


「――ということで。ぼくはこの学園に入学したいです。どうかよろしくお願いします」


 原稿用紙を机において、ぼくは深く頭を下げた。目の前にいる老婦人、ミセス・ウェスラー先生が、少しだけ引きつった笑みを浮かべている。


「ウェスラー先生?」

「……ああ。はい。ええ、君のプレゼンテーションは、ちゃんと聞きましたよセドリック。お疲れ様でした」


 ウェスラー先生は溜め息をついて、眼鏡を上げ下げしながら、書類をジロジロ眺めた。


「まず、フラリア語の試験としては合格。それだけの文章を書けて朗読できたなら文句なし。所々スペルや発音にミスはありますが、君の年齢なら母語でも普通にある範囲です。実家では良い家庭教師に付いていたようですね」

「はい! マリーお姉ちゃんです!」

「算術、歴史も及第点。教養にはやや不安がありますが、伸びしろを考えれば許容範囲です」

「はい! 歌も絵も楽しいです! これから上手くなります!」

「……実家であり、自身が後継者と決定した男爵家は取り潰し寸前……しかしその後見人には、あのグラナド家」

「はい! グラナド伯爵は、マリーお姉ちゃんの夫さんです。公爵と公爵夫人は、そのお父さんとお母さんです」

「それともう一つ、第三王位継承者が身元引受人になっていますね」

「はい! 欄が余ってしまったので、ルイフォン様にお願いしたら、書いてくれました!」

「……。……この条件で、君の入学を拒否する理由がありません。セドリック・シャデラン、合格おめでとう。明日からあなたは正式に、このレザモンド記念学園の生徒です」


 今度こそ、ウェスラー先生はニッコリ笑った。ニワトリみたいに痩せたしわくちゃのお顔が、とってもチャーミングになる。ぼくは飛び上がって、先生に抱きついた。


「わあいっありがとうございます! やったぁ! これからもウェスラー先生に教えてもらえるんですね! 嬉しい! ぼく一所懸命頑張りますっ!」


 ギュギューってしてから、チューしようとしたら、おでこを掴まれて引き剥がされた。ぼくは唇を尖らせたまま、老女を見上げて首を傾げる。


「もしかして学校って、友達に抱きついたり、キスをしてはだめ?」

「…………だめというわけでは――いえだめです。だめですね。この学園の誰にも、二度としないように、セドリック」

「はい!」


 ぼくはすぐに返事をしました。もう大体のクラスメイトにはしてしまったけど、これから気をつければいいよね。

 ぼくがニコニコしていると、ウェスラー先生は一度すごく怖い顔をして……それから何か諦めたみたいに、肩をすくめて苦笑いした。




 ――こうして、ぼくは学生になった。

 これから寮で暮らしながら、毎日色んな事を勉強する。及第点を取ればどんどん進級して、うまく行けばとても若い年齢で卒業し、シャデラン男爵領の領主になる。


「容易なことではありませんよ。あなたの父上は、もう何度も脱走を繰り返しています」


 ウェスラー先生が脅すように言う。ぼくは笑った。


「お父様は、お勉強が嫌いだもの。ぼくと違って、無理矢理入学させられて辞められないし」

「あなたは、勉強が好きなのですか?」


 聞かれて、ぼくは正直に「いいえ」と言った。


「でも、やりたいことのために必要だもの。そう思ったら、そんなにしんどくないです」

「……あなたは……自分の立場や能力を、よく理解しているのですね」


 ぼくはうふふと笑って、頷いた。


 うん――分かっているよ、なにもかも。だって鏡に映るぼくは、明らかに可愛いもの。

 お姉ちゃん達が美人で賢いことも、他の人と比べてみればすぐわかる。本を読めば、『普通』のひとと、自分の能力や立場の違いも知れる。優しいひとと意地悪なひと、自分のことを大事に思ってくれてるひととそうでないひと、言うことを聞くべきことと適当に聞き流しておくべきこと――チカラのある人間が誰かも大体分かる。


 ぼくはとても恵まれているんだ。自分自身も、周りの人間も。

 せっかくだもん、使えるものはなんでも使わなきゃ、もったいないよね!

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