マリーの一日 後編
早朝。わたしはクローゼットの床に這いつくばっていた。
「よいしょ……っと」
重い木箱を積み重ね、ふう、とひと息。
「よしっ。これでなんとか、もう少し物が置けるようになったわ……」
そのとき、コツコツと扉がノックされた。わたしはクローゼットから出て、汗を拭い、扉を開く。そこにいたのはキュロス様だった。軽く手を上げ、微笑む。
「やあマリー、おはよう」
「おはようございます」
カーテシーで迎えるわたしに、キュロス様は一抱えほどある袋を差し出して、
「これ、マリーへの贈り物。前に言っていた出向先の土産だ」
えっ……。思わずギクリと身をこわばらせる。しかし袋のリボンをほどき中を見て、思わず歓声を上げてしまった。赤い毛糸で作られた、リアルな猫のぬいぐるみ……まるで『赤猫ずたぼろ』みたい!
「わあ! 可愛い……!」
「あの『ずたぼろ』そっくりだろう?」
「ええ、本当に……。すごい、出かけられたのは彫刻の町とおっしゃってたけど、こんなのもあったのですね」
そう言うと、彼はなんだか複雑な顔をした。苦笑いのような、失言をはぐらかすような。わたしは小首をかしげながらも、ぬいぐるみを愛でる。
ぬいぐるみを抱くの初めてだった。こういうのって意外と高価なのよね。物心ついたころにはシャデラン家の経営は斜陽だったし、それ以前は幼すぎて与えられなかったもの。
「……嬉しい。ぬいぐるみってこんなに可愛くて、あたたかいのね。ありがとうございます。本当に嬉しい……」
ぎゅっと抱きしめる。キュロス様は黙って笑っていた。
わたしは彼を部屋に招こうと、踵を返した。だがすぐに肩を掴まれ、止められる。
「マリー、すまないが今すぐ来てほしい所がある。そのぬいぐるみを置いて、一緒に行こう」
なんとなく真剣な雰囲気。わたしは戸惑いながらも、言われたとおりぬいぐるみを片付けることにした。
先ほど取り除いた包装袋に入れ直し、いただいたときと同じようにリボンで結ぶ。つぶさないよう小脇に抱えて、部屋の奥、クローゼットの扉を開いて――
「そこに仕舞い込むのか?」
「うわっ!」
耳のすぐそばから声がし、跳ね上がる。いつのまにか真後ろにキュロス様がいた。ドキドキしているわたしの肩越しに、クローゼットをのぞき込むキュロス様。な、なに……?
緑の瞳が、並ぶドレスと、床からうずたかく積まれた箱をじっと見つめる。そしてため息をついた。
「……もしかしてとは思ったが……やっぱり」
「な、なんでしょう? ちょっと雑多に見えるかもしれませんが、箱にラベルを付けていますし、位置も全部覚えています。必要があればすぐに取り出せますが……」
「それだ」
「どれです?」
キュロス様はまた大きなため息。軽く頭を抱えながら、低く唸るような声で……だけど優しい声で、わたしにささやいた。
「マリー。なぜ部屋に飾らない? キャビネットの上とかベッドの傍とか、どこにだって置き場所はあっただろう。ぬいぐるみだけじゃない、今までの土産や、俺以外からの贈り物も」
「……え……だって……」
わたしは首をかしげた。
「わたしの私物が、この貴賓室の調度品と混じって、わからなくなってはいけないし。うっかり取り忘れてしまったら、次にお泊まりになる方のご迷惑になるかと」
話している途中で、キュロス様はみるみる脱力し、その場にしゃがみ込んでしまった。な、なに? 彼の反応の意味が分からない。わたしは彼の表情をのぞき込もうと床に跪いた。そのわたしの肩をがしっとつかんで、キュロス様は、淡々と言った。
「マリー。このクローゼットは、君のものだ。中のドレスや宝飾品はすべて、マリーのために作らせた。それは理解しているな?」
「ええ、ここへ来たばかりの頃に、ミオからそう聞かされました」
「この部屋全部も、君のものだぞ」
「……………………」
……しばらく、意味が分からなくて、首をかしげる。するとキュロス様はわたしの頭を手で挟み、くい、と元の位置へと戻した。わたしは逆側へかしげた。
「ここは、客室では?」
「まあ、そうだ。元々は。しかし君を妻に迎えるため改装した。ほとんどの調度品も、この春に揃えた」
「……次のまた、大切なお客様が来られたときには?」
「来ない。君しかいない」
キュロス様はもう一度、傾いだわたしの頭を戻す。緑の双眸を苦笑で細め、
「客室なら他にもたくさんある。ここはいちばん大事なひとの部屋。君の部屋だよ。マリー」
………………。
わたしは、彼の言葉を聞いて、ゆっくりと……この四ヶ月間の暮らしを思い出す。
――マリー様の部屋。奥様のお部屋――みんながそう言っていて、つられてわたしも、自分の部屋と呼んではいたが……。
「――えっ!? ここって、わたしの部屋だったんですかっ!?」
大きな声で聞くわたし。キュロス様は、おでこが床につくまで脱力した。
「や、やっぱり、そこを知らなかったのか……!」
……知らなかった。だってずたぼろの姿で来たときから、この部屋は何もかも揃っていたもの。マリー様のものですよと紹介されたクローゼットは、かつてのわたしの部屋……シャデラン家の物置小屋よりも大きく清潔で快適で、それだけで十分以上にありがたい。何の不満も疑問もなかったわ。
「うん、俺たちが説明不足だった。あの時はドタバタしていたし、君がシャデラン家でどんな暮らしをしていたかもよく知らなかったから……ここまでとは思いもよらず」
「あっ、謝らないでっ。そうですよね、ここを明け渡したらわたしは寝るところがなくなりますし、キュロス様たちがそんなふうになさるわけがないって、分かっていたのに。すみません考えが至らなくて」
わたしは深々と頭を下げたが、キュロス様はわたしよりもダメージが抜けきらないようだった。キャビネットにもたれかかり、深く嘆息する。
すぐそこにある、翡翠で出来たオブジェを手に取って、
「……いや……やはり、俺が悪かった。……俺はここに、『俺の部屋』を作り、君を放り込んだだけだった。
ここに暮らすのは君なのに、君に何も作らせなかった。俺は――説明をするべきじゃない、君に尋ねるべきだったんだよ」
…………?
何をおっしゃっているのか分からない。
彼は翡翠のオブジェから手を離し、わたしの抱えるぬいぐるみを撫でた。赤毛の猫をあやすように、指先でくすぐる。続けてわたしをひと撫ですると、背を向けてしまった。
「キュロス様?」
「ついてきてくれ。君に来てほしいところがあるんだ」
――その場所は、『わたしの部屋』から、廊下をまっすぐ進んだ突き当たりにあった。ちょうどフロアの端と端。大きな館とは言え、さほど遠いわけではない。他よりもひと周り豪奢な扉を開いて、キュロス様は、わたしを中へ導いた。
普通の部屋、だった。広々として、家具や調度品は最高級品と見て取れる。実用的なデスクやワードローブ、大きくてシンプルなベッド。男性の部屋だろう。あまり飾り気はない。
「ここは?」
「俺の部屋」
「えっ。わ!」
慌てて飛び出そうとするのを、肩をつかんで止められた。なんで慌てたのかは自分でも分からない。とりあえずキュロス様に連れ戻されて、わたしは彼の部屋へと入った。
「緊張するほどの部屋でもない。城の仮眠室とさほど変わらないだろう?」
彼が言うとおり、確かに。美術品や貴金属製はほとんど見当たらない。仕事と寝泊まりをすることに特化した、実用的な部屋だった。わたしがいる貴賓室のほうがずっとお金が掛かっていそうだ。
「俺はあまりインテリアに興味が無くてな。美術品も、喜んでくれそうなひとに贈るほうが好きなんだ。それで自分の部屋はこんなだし、君の部屋も、業者に丸投げした。貴族の娘が好みそうな部屋にしてくれとだけ」
彼は早足で、自室を縦断した。広い部屋の突き当たり、右手側にまた扉があった。続部屋(つづきべや)だ。キュロス様はその鍵を開け、わたしを手招きする。
わたしはぬいぐるみを抱いたまま、彼の導きに従い、扉の向こうをのぞき込んだ。
……ここは……なんだろう?
それ以上の感想がない。――何もなかった。キュロス様の部屋と同じくらい大きな部屋――からっぽの空間。絨毯すらないまっさらの床、窓にはカーテンもなく閉め切られている。
本当に何にもない。ここが、キュロス様がわたしを連れてきたかった部屋?
「ここは誰の、何の部屋ですか?」
解答を求めてキュロス様を振り向く。彼は何か複雑な……照れ笑いのような不愉快を噛みつぶすような、本当に複雑な表情で。
「なんというか。……『夫婦の部屋』」
「わたしたち、それぞれの部屋があるのでは?」
「この館が建てられたとき、俺はまだ五、六歳。当然ながら造形に口を出せなかったし、業者に任せたリュー・リューの意思でもない」
何の話だろう。分からないまま、黙って聞く。
「この館は、設備こそ近代的だが、造形は中世の伝統的邸宅がモデルになっている。いにしえから続く慣習を元にした造りだ。
……かつての結婚観は、家同士を結びつけるという計算の政略結婚よりもさらに古い。家は血縁によってのみ継がれ、領主は政治などせず、ただ子を成すだけが義務だった。ある程度の年齢になれば早々に妻を迎え、表に出ず、ただ二人とも館に籠もって――。……栄養学や医療や衛生の概念も未発達で、寿命も短く子の死亡率も高かったしな。妻は一生涯、延々と妊娠しているような人生だったという」
そこまで聞いても、わたしはきょとんとしていた。それは史実として学べることだし、特に驚くことはなかった。ああなるほど、と理解しただけである。
あの貴賓室は、やはりまだ婚約時点にある女性が、寝泊まりをするだけの部屋だったのだ。それだってさほどの距離ではないけど、夫婦の部屋が近いほど便利には違いない。
妻の部屋は本来ここ、主のすぐ隣続きにあって当たり前だった。
「では、わたしたちが正式に結婚し、夫婦になれば、わたしはこの部屋へ引っ越すのですね」
「……そのために作られた部屋だな」
なるほどなるほどと深く納得。……は、したけども、なにか強い違和感があった。なんだろう――わたしの疑問は、あたりをぐるりと見回してすぐに解けた。
この部屋、廊下に出る扉が無い。入ってきた扉を振り向くと、内鍵が無い。キュロス様の部屋側には付いていたのにだ。
換気用の窓と水道、廊下に繋がる小窓はある。そこから物を受け取る事は出来るだろう。だけど出られない。キュロス様の部屋を経由しないと――彼の許可がないと、どこにも行けない。
キュロス様は、頭痛を抑えるような表情をしていた。
「俺はグラナド家の跡取りとして、妻子を作る義務は了承している。しかしこんなのは嫌だ。まるで家畜か、愛玩動物(ペット)のようじゃないか。君の人生は、俺の子を産むためだけにあるんじゃない。こんな部屋に閉じ込めなどしない、絶対に」
口調こそ静かだったけど、彼の声には深い怒りがあった。わたしは、頷いた。
四ヶ月前、この城に来たばかりのころならば、何も違和感すらなく受け入れたかもしれない。牢のような部屋に何の疑問も抱かぬまま、夫が夜に訪ねてくるのを、閨(ベッド)で待ち続けていただろう。今は想像するだけでゾッとする。もう一度、わたしは彼に主張した。
「嫌だわ。わたしだってこの城を歩き回って、キュロス様以外とも会話がしたい。その日の気分で本を選んだり、花や野菜を育てたり、勉強がしたい。誰かの役に立つ仕事がしたい。
あなたが来てくれるのをただ待つだけなんて嫌っ。自分の足で、わたしの意思で、あなたに会いに行きたいもの!」
「……うん。今の君なら、そう言ってくれると思ったよ」
わたしを見つめて、頷く彼は、とても嬉しそうだった。
この部屋を封印していたのは、わたしがあっさり受け入れる可能性があったからだろう。明確な拒絶の言葉をわたしから聞いて、彼は目を輝かせていた。
声も所作も明るく、からっぽの部屋を縦断する。
「とはいえ、この部屋は実際、とても良い部屋なんだ。俺が自室で仕事をしながらも、君と会える時間が増えるのも事実。部屋の設備もいい。広いし安全だし、窓からの眺めはどの部屋からよりも美しい。妻が暮らすには最適で、どこよりも快適ではある。
ただ二つの問題点があって、それゆえに使えない。問題点を取り除けば、ここを君の部屋にしてもいいんじゃないかと――俺は思う」
「問題点……廊下に出る扉と、内鍵ですか」
「そう。そしてそれは簡単な改装工事で新設できる」
どうだ? と視線で問われる。わたしは大きく頷いた。そういうことなら、キュロス様と隣同士の部屋がいい。行き来できるのも嬉しい。
すると彼は自室へ戻り、数冊の本を持って戻ってきた。どれも大きくて重そうで、なんとなく見覚えがあると思ったら、しばらく前にわたしが索引を付けた書籍である。
『建築・立て付け家具の施工実例』『インテリア紹介』『世界の家』『布細工案内――カーテン、絨毯、寝具』……それぞれ、わたしの前でページをめくって見せてくれる。
「扉の工事と同時に、内装を入れる。見ての通りからっぽだから、何から何までこれからだ。これから――何もかも、すべて。イチからこの部屋を作っていける」
「なるほど、それは大変で、時間がかかりそうですね」
「うん、ゆっくりじっくり作っていこう。俺と君とで相談しながら、君が思うように、好きなように」
……思うように? わたしの好きなように?
きょとん、とするわたしに、キュロス様はページをトントン指でつついた。ページごとに絵がついていて、色んな国の、色んなひとの、家の中が描かれている。少女らしいフリル満載のベッドもあれば、シックな分厚いカーテンもあり個性的。絵の下には値段らしい数字が並んでいた。
……え。もしかして。
慌てて顔を上げるわたし。キュロス様はイタズラっぽい笑みを浮かべていた。
「まずは、絨毯かな。それともカーテンか。マリー、どんな色柄がいい?」
それから、わたしは半日間、廃人のようになっていた。
だってあまりにも話が大きくて……いただく物が多くて。選べるものが多すぎて。目の前に開いた未来の可能性が広すぎて、パニックになってしまったの。だってお部屋をまるごと、何もかも自分で決められるなんて。
わたしにとって家や部屋とは、生まれた時からそこにあって、いずれかの部屋をあてがわれるものだった。豪華な貴賓室にせよ、薄暗い物置小屋にせよ同じこと。
それを、これから作る? わたしが選ぶ? 絨毯も、カーテンも、ベッドも、デスクもキャビネットも?
ああ…………ああ。怖いくらいの自由。自分が暮らす部屋を自分で作るなんて……。神の所業だと思っていたわ。
キュロス様は床にあぐらを掻いて、わたしは膝を閉じて座り込み、本を覗きながら二人で話す。
「絨毯は、落ち着いた緋色。カーテンは白と金で、夜でもわずかに明るく見えるように、と。これでいいな?」
「は、はい。……あ。あの、部分的にイプスの金糸刺繍を入れられないでしょうか。こう、煩いほど目立たないけど、チラチラと光るかんじになったら素敵かと……」
「ああいいなそれ、そうしよう。ラグマットは家具を入れてから、視界が寂しいところに置くようにしようか。家具は……マリー、今の部屋で気に入っているものがあるか?」
「気に入らない物は何もありませんが……そうですね。あの、ティーテーブルのセットは好きです。あと、ソファと……鏡台の上のシャンデリア」
「じゃあそれらはそのまま持っていこう。鏡台は?」
「お化粧をするには十分ですが、デスクとしては少し狭くて――あと、目の前に鏡があると、なんとなく読書に集中できなくて……」
「あの鏡台と高さを合わせて、横続きにデスクを置くのはどうだ? 椅子をずらすだけで移れるようにして」
「あっいいですね! それすごくいいですっ」
「本棚はどうする。デスクの横か、ティーテーブルの傍か……それともベッドの枕元に欲しいか?」
「!? え、選べませんそんな。ああどうしよう。少し時間を下さい。半年くらい」
はははっ、と声を上げて笑うキュロス様。
「うん、ゆっくりいこう。こだわりもなくめんどくさいだけの所は業者に任せてしまえば良いが、大切なところは、ゆっくり決めよう。とりあえず卓と寝床だけあれば暮らせるんだし、生活しながら、欲しいものを少しずつ増やしていけば良い」
そう言っていただけると救われる。一日ですべて決めろと言われたら、わたしは熱を出しただろう。
「わたし本当に、インテリアなんて考えたことが無くて。何をどこに置きたいとか。そもそも、自分の物というのが……」
と――ふと思い立ち、わたしは立ち上がった。
白い壁に手を当てる。ずっと抱いたままだった、赤猫のぬいぐるみを持ち上げて、
「あの、ここ。この壁に……なんというのでしょう。棚……壁から板が生えて、物を置けるような形……」
「ウォールシェルフか」
「それ――それが欲しいです。そこに、物を置きたいです。こう、これをここに、こんなふうに」
ぬいぐるみを壁に付け、キュロス様にイメージを伝える。さらに横に歩いて、ぬいぐるみを並べるジェスチャーをして、
「ずーっと、壁に沿って梁のように長く……こういう小物を、よく見えるように並べたいです。ちょっと、インテリアとしては散らかって見えるかしら? ああでもできれば隠さずに……」
「うん」
「キュロス様や、来賓の方からのお土産は、貴重で小さくて軽いものが多いので……並べて飾れるようにしたいって、思っていたんです。
……ここにぬいぐるみを置いて……ツェリからもらったドールはその隣に並べてもいいかしら? ああこの間、ヨハンとポプリを作ったの、ラベンダーとオレンジで。あれはベッドに近いところへ――キュロス様からいただいたペンダントを、掛けて飾れる台が欲しいわ……」
「うん」
「……チュニカと一緒に、石鹸を作ったの。薔薇の形を模して、それが良く出来過ぎちゃって、あれも飾って良いかしら。しばらくは使うのがもったいなくて――」
「うん」
部屋を歩き回り、ときどき本を覗き込んで弁舌を振るう。半分くらい独り言だったけど、キュロス様は全て頷きながら聞いていた。
紙の束にメモを取り、ふんわりしたわたしのイメージを絵にしてくれる。途中で何度も訂正して、考え直す。
願いすらしていなかったものが、少しずつ形になっていく。
「また市場へ行きたい。置き場所が無いからって、買うのを諦めたものがあったの」
「ああ、行こう」
「シャデラン家にも少しだけ……読みかけの本と、お気に入りの栞が……」
「一緒に取りに行く。せっかくだからセドリックと、アナスタジアにも聞いてみるか」
「ええ、そうしましょう。お姉様達も、新しい場所で新しい生活を始めているんだもの」
この城の住人になったわたしと同じように、姉や弟も、今までとは違う場所へと移り住んでいる。それはかつての暮らしより間違いなく快適で、素敵な物ばかりが揃っている。至れり尽くせりで、何の不足も不満も無いだろう。
それでも、わたしは、わたしだ。『大好き』に、万人の正解なんてものはない。
キュロス様はそれを理解して、わたしに部屋を与えるのではなく、作らせてくれてるの。
……趣味も、学びも、仕事も。ここで暮らしていくために、わたしに必要なものすべて。
彼は――この城は、わたしに最高のプレゼントをくれたのね。『好きという気持ち』と、『選択肢』の二つを。
「ありがとうございます。わたし、みんなからもらったものを、大切にします。決して忘れません」
いつからだろう、わたしの頬が濡れている。夢中になっている間に、涙が零れていたらしい。
キュロス様はそれを嗤いもしなかった。
ただ頷きながら、わたしを見つめて微笑んでいた。
日が暮れて、疲れ果てて、今日はおしまい。
もうすこし設計が固まったら、改装工事に取りかかる。絨毯とカーテンが入るのはその更に後。家具が置かれるのはまたもう少し先。そしてキュロス様と共に暮らしながら、少しずつ、必要な物を揃えていく。
この部屋が『完成』するのは、いつになるだろう。何年、何十年先かもしれないけれど、焦りなんて感じなかった。
何年、何十年先、わたしはどんな暮らしをしているのだろう。楽しみでしかなかった。
「楽しみだな、マリー」
わたしの心を読んだみたいに、彼は言う。
わたしは笑って頷いた。
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