わたしが本当に欲しいもの!(後編)

 いつもなら堅く閉ざされているはずの城門は、なぜか人間一人分だけ開いていた。わたしは馬車を飛び出して、城内へと駆け込んだ。踏んでしまわないようドレスの裾をつまみ上げ、足を前に、前に。


 まるで硝子でできているように、美しく繊細なわたしの靴……だけどこれは、本物の硝子なんかじゃない。激しいダンスだって踊れるように、わたしの足に合わせて仕立てたの。正しい道を正しく進めば、決して躓くことはない。今度こそ、すっぽ抜けるなんてありえない。

 石床のロビーを抜け、無人のメインフロアを縦断し、巨大な階段を駆け上った。重い扉を押し開いて、長い廊下へ。角を二つ曲がれば、そこにあるのはあのひとの部屋――!


「キュロス様っ!」


 わたしは扉を叩いた。瞬間、また全身が紅潮し、キュウッと喉がしまってしまう。わたしはぶんぶん首を振った。

 キュロス様は、勇気が無いと言った。自分のことを臆病で弱い男だって、涙まで流していた。

 ごめんなさい、わたしのせいだ。わたしが弱いから彼に負担ばかりをかけてしまった。申し訳なくてたまらない、その罪悪感からわたしは逃げた。それで彼を傷つけてしまったのよ。

 ごめんなさい!

 ただわたしが、強くなれば良かっただけなのに。


 縮こまった胸を拳で叩く。

 ――勇気を!


「キュロス様! わたし……わたしっ――やっぱり……諦められないっ!!」


 言葉と一緒に、心臓が口から飛び出しそうだった。


「あなたが欲しいの。あなたのすべて――この城にあるもの、出会ってきた、ひとたちも。あなたの身も心も!

 諦めるなんて嫌。奪われたくない。誰にも渡したくなんかないっ……!」


 それは、とんでもない大望だった。そんな風に思わないように、逃げ続けてきたことだった。

 手に入れてしまったら惜しくなるから。失ってしまうことが怖くて、怖くて、手に入れることから逃げた。

 愛されることが怖かった。

 だけどもう取り返しがつかないわ、わたしはとっくにキュロス様の想いを知っているし、自分の気持ちだって自覚してる。わたしはもうずっと前から、彼からの愛に溺れ、彼への愛に溺れていた。もう手放すことなんてとっくの昔に無理だったのよ。だから……!


「わたし、お姉様と戦います。もっと頑張って綺麗になって……あなたの心が姉に奪われないように……わたし、強くなります。だから――!

 あなたのすべてを、わたしにください!」


 すべて吐き出した途端、力が抜けた。わたしは膝から崩れ落ち、キュロス様の部屋の前にへたりこむ。


「……どうしても……なにをしてでも。あなたが……欲しいの」


 全力疾走に加え、大きな声を出したせいだろう、酸欠で目がくらんでいた。それでもわたしの胸にはなんとも言えない達成感があった。


「――はあっ、はあ、はあ、はあ……」


 言ったぞ、言ってやったぞ。キュロス様のお返事はどうであれ、とにかく言った。酷くおこがましくて、一字一句ごとに悶絶死しそうな恥ずかしい言葉を、ついに口にしてしまったんだ。もうその事実だけで心臓がどうにかなりそうで、わたしは胸を押さえながら、大きく息をつく。


「ふう。はあ……ふー……」


 ――さぁあとは、キュロス様のお返事次第。怒鳴られても、抱きしめられても、わたしは逃げない。

 床に座り込んだまま、扉越しの返答を待つ。静かな夜だった。はーはーと荒い自分の呼吸だけがうるさく聞こえる。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 ……おかしいな、なかなか息が治まらないわ? グラナド城は広いけども、だからってそんな長距離を走ったわけじゃないのに……?

 ……それになんだか、自分じゃなくて、横から聞こえてくるような……。


 わたしは顔を上げた。そしてすぐそこにいたキュロス・グラナド伯爵に仰天し、盛大な悲鳴を上げる。キュロス様は身体がくの字になるほどうなだれて、両膝に手をつき何とか立っている状態。ぜーはーと呼吸の荒れっぷりはわたしの非ではない。

 わたしはハンカチーフを取り出した。自分も汗だくだったので、彼と交互に拭きながら問う。


「キュロス様、なぜ後ろから? 部屋にいらしたのではなかったのっ?」

「い……や……はあはあ。あの、あと、君が出発してすぐ、追いかけた」

「エッ、馬車を? 走って!?」


 確かにミオはスピードを控えていたけど、それでも馬の足だし、ぐるぐると結構な距離を回っていた。それを追いかけていたって!?

 目を点にしたわたしに、彼は言い訳じみた口調で手を振った。


「いや、ずっと、走ってたわけじゃない……わりと早めに、馬車に飛び移った。幌の上にしがみついて」

「ええっ!?」

「それなのに、ミオのやつ一瞬もスピードを落とさないで……結構本気で死ぬかと思った、はあはあ……」

「ええええ……」


 呆然としてしまう。


 だってキュロス様、「勇気が出たら迎えに行く。いつか必ず」とか言ってたわ。普通に考えて、何年か何ヶ月後か……限界まで短く見繕っても二、三日はかかるって思うじゃない?

 それなのに、あの馬車に乗っていた? それじゃほとんどタイムラグもなく、わたしが出発してすぐに走り出したってことになる。

 そしてわたしが馬車を降りてから、幌を降り、走るわたしのあとを追って……えっ待って、もしかしてキュロス様、さっきのわたしの告白を何にも聞いてないのでは!?

 やっと息が整いだしたキュロス様。ふーと大きな息を吐き、背筋を伸ばした。

 凜々しい美貌の伯爵は、汗を拭い、わたしに問う。


「……マリー、俺の部屋に何か、忘れ物か?」


 嘘でしょ!?

 わたしなりの一世一代の大告白は……どうやらもう一回、当人に言わなきゃいけないらしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る