俺はマリーを護りたい 中編

 ――いったいどうすれば、マリーを護ることが出来るのだろうか。


 マリーの帰省を促す手紙……脅迫状に等しいそれを片手に、俺はそれだけを考えていた。


 グラナド家の力を使えば簡単だ。ここは城塞、騎馬中隊くらいならただ籠城するだけではね除けられる。この城から生涯、一歩も出ずにして、何不自由なく暮らすことは可能だった。

 しかし、それでマリーは幸福だろうか。

 贅沢品を山積みにすると、かえって心地悪くなるらしいというのは猛省した。その後は少しずつ城の住人とも交流して、笑顔が見えるようになったと思う。

 それでも、しょせんは他人の家。

 俺から見て糞でも、マリーにとっては実家、かけがえのない家族なのだ。まだこの城に馴染んでいないのに、その拠り所を奪うわけにはいかない。

 しかし簡単に帰してはならない。あの夫婦をどうにかしないと……そのためには何故、娘を虐げるのか解明しなくては。いや、なによりまずこの城が、マリーの中で実家以上にくつろげる楽園にならないと……。


 ――くそっ。この手紙を、見なかったことに出来ればどんなに楽か……!


 マリーの部屋は、二階の西端。俺が訪ねるのは、一月半ぶりだった。

 なぜか扉が開いている。顔を覗かせる――と、俺の母親が嫁をいびっていた。



「マリーさん、違う。むやみに頭を下げれば良いってわけじゃないの。腰をまっすぐ下ろして、背筋は伸ばしたまま!」


 容赦ない指導の声。言われるがままマリーは従う。


「はいっ、こ、これでどうでしょう?」

「もう少し下げて――それでオーケー、だけど笑顔を忘れてる」

「あっ、は、はい」

お辞儀カーテシーは気持ちが第一よ。相手を敬い、歓迎し、好意を伝えるご挨拶。その気持ちが抜けたらどんなに綺麗に倣っても意味がないの」

「はい!」


 扉が開いていたのは、換気のためだろう。部屋はかなり涼しい。それなのにマリーの額には汗が浮かんでいた。軽く息を乱し、頬を上気させている。

 俺は血の気が引いた。


「りっ……リュー・リュー! 何をしているっ!」

「あっキュロス様! おかえりなさいっ」


 ……と、マリー当人に朗らかな笑顔で迎えられ、つんのめった。

 ……うん?


「あー旦那さまだぁ。おかえりなさい!」

「お疲れ様でございます」


 ツェツィーリエとウォルフガングもそこにいた。二人共が笑顔である。ツェリはマリーの真似をしていたらしく、汗だくで尻餅をついていた。

 リュー・リューが、自分も汗を拭って息を吐く。


「キュロス、良いところに来たわね。練習の相手役になってよ」

「練習……なんの相手だ?」

「マリーさんが王侯貴族と対面したときのご挨拶」

「は!?」


 今度こそ、俺は大きな声を上げた。


「――それは、させなくていいと言っただろう! 婚約式では俺たちが回ればいい。マリーは社交界に出たこともないんだ。上位貴族用の挨拶など、今まで一度も」

「だからそれを今、練習してるのよ。誰だって初めての時は初めてでしょ」


 全く返事になってないことをいう母親。隣で、やはりニコニコしているマリーの肩を抱き、


「大丈夫、マリーさんは筋がいいから。ちっともふらつかないんだもん、下半身が強いのねー」

「実家では毎日薪割りしてましたから」

「そうか、それでそのウエスト……素晴らしいわ。あたしなんて子供を生んで初めて勉強したから、へっぴり腰だわ物覚えも悪いわで何度もひっくり返っちゃってさ」

「これ、スカートの裾をつまむものと違って筋肉使いますよね」

「そうそう、ちょっと姿勢が崩れたらすごくかっこ悪いし。最初に考えたヤツ性格悪いよきっと」

「あははっ。でもわたしカーテシーはとても好きです。相手と視線を合わせたままだから、親しみも失わなくて……」


 ……な、なんだ?

 これは……もしかして、仲良くなっているのだろうか。


 リュー・リューは、良くも悪くも気さくすぎる性格だが、やはり公爵夫人としての矜恃があった。

 マリーを紹介し、承認されたその日、俺は釘を刺されたのだ。

 婚約式までにはマリーを「それらしく」仕立て上げておけと。

 それは公爵家からの指令だった。俺は拒絶した。それではまだ時期が早い、マリーが未熟なのは当人のせいではないし、この城に萎縮している。婚約式では俺が前面に出ていけばいい。伯爵家の仕事も俺がやる。マリーはひたすら美しく着飾り、楽しく甘く穏やかに暮らさせてやりたい。

 リュー・リューは眉をしかめながらも、一応は引き下がったはずだが……。


 マントの裾を、ツェリに引かれた。


「旦那さま、マリーのカーテシー、とってもかっこいいのよ」


「キュロス様、見ていてくださいね」


 マリーは身を翻し、顎を引く。そして見事なカーテシーを行った。


「本日は、わたしたちふたりのためにお越しいただきましてありがとうございます」


 そう、口にした挨拶は、完璧な半島国語だった。

 リュー・リューは、どうだと言わんばかりの笑顔である。


「話せるだけじゃないのよ。お礼状、全部マリーさんが書いてくれたんだから。半島語だけじゃなく、イプス語や中央大陸語のも」

「なっ……! なんでマリーにそんな労働(しごと)を!」


 怒鳴りつけようとした俺の口を、リュー・リューは手のひらでベタリと塞いだ。くっきりとアイラインの引かれた強い目が、厳しく俺を睨み付けた。


「息子よ。覚えておきな。愛情と、過保護にすることとは別物なの」

「……過保護……」

「女は小鳥じゃないんだから、籠に詰め込むようなことはしては駄目。ましてあんたが惚れた子は大鳥だ。ちゃんと羽ばたかせてやんなさい。それは、親子でも夫婦でも同じことよ」


 リュー・リューの指導のたまものだろうか。マリーの表情は晴れやかで、自信に満ちたものだった。まるで大貴族の当主のように――いや、無垢な子供のように?

 俺の顔をまっすぐ見つめ、マリーは胸を張っていた。


「どう? わたし、上手に出来てます?」

「……ああ……。素晴らしかった。頑張ったな」

「はい。頑張りました」


 嬉しそうに、自分のことを話すマリー。

 ――イプサンドロスの物語が大好きなの――そう、好きなものを語ったときと、同じ顔。

 ……。俺は手を伸ばし、マリーの頭に触れる直前で引いた。

 危ない、撫で撫でするところだった。


「キュロス様?」


 俺の顔をのぞき込み、不思議そうに小首を傾げる。

 俺は両手を広げて――はっ、危ない。抱きしめてしまうところだった。


 横でパンッ、と手を叩く音。


「ちょうどいいわ、休憩にしましょ。食堂行って、みんなでお茶しよっか」

「あっ、ではわたしヨハンを呼んできます。ハーブティの味見がしたいって言ってましたので」

「それは僕にお任せ下さいませ」

「あたしはミルクティのほうが好き!」

「……では、ツェリには私が淹れましょう」

「あれっミオ、帰ってたの!? いつの間にっ」

「はい、ただいま戻りました」

「んじゃ行こー。トッポに何か茶菓子を作って貰わなきゃねー」

「ふふっ、作るまでもなくすでにあるんじゃないかしら」

「わぁーいお菓子!」


 一同は一斉に喋ったあと、ぞろぞろ部屋を出て行った。マリーが一番最後に続き、廊下に出る。それを、俺は捕まえた。


「待て。君に、報せなくてはいけないことがある」

「わたしに、報せ?」


 きょとんとしているマリー。その手の平に、先ほど懐にしまったばかりの封書を渡した。

 彼女に宛てた、彼女の父親からの手紙だ。


「あら。お父様から?」


 特にどうということもない、普通の表情で、彼女は封を開いた。瞬間、真顔になる。俺は言った。


「どうする?」

「……どうって。……これは……」

「見過ごすわけには行くまい。しかし、悪いが一人では帰らせてやらない。俺はまだ仕事があるが……」

「帰る必要はありませんよ」


 あまりにもあっさりと、マリー。目を点にした俺に、便箋紙をひらりと見せつけてきた。


「だって、嘘ですもの」

「……それは、その可能性が高いと思うが……しかし万一にも」

「これ、お父様の字です。危篤のはずのひとが書いてます」

「! あっ……」


 俺が声を上げても、マリーはやはり、普通の表情だった。手紙を読み返しながら小首を傾げ、


「でも不思議ですね。こんな嘘をつかなくても、普通に帰ってこいと言えばいいのに。――あっ、もしかしてキュロス様、これの前にもいっぱい、催促の手紙が来てたりします?」


 ぎくっと身を震わせたのを見て取って、マリーは何もかも悟ったらしい。苦笑いで嘆息した。


「ありがとうございます。きっと気分が悪くなることが書かれていて、わたしを庇って下さったんでしょう。すみません、一家でご迷惑をかけてしまって」

「いや……こちらこそ、勝手に親子の連絡を阻むようなことをして、すまなかった……」

「いいえ、助かりました。今だから笑えるけど……少し前だったら、きっと慌てて帰ったでしょうから。たとえ、嘘だと分かっていても」


 マリーはふと、遠い目をした。


「帰って来いというのは、わたしに何か、作業をさせたいのでしょうね。経理関係か、それとも家事か……他人を雇うとお金がかかるから」

「……マリー」

「ただ顔を見たいとかではないでしょう。……両親は、わたしのことが嫌いなのですね。わたしが、可愛くないことは関係なく」


 俺は、驚愕した。


 ――気がついたのか。

 ここに来たばかりの、『ずたぼろ』だったマリーとは、世界観が変わっていた。

 かつてのマリーなら、父親の言葉をそのまま信じただろう。やっと嘘だと気付いても、命令通りに従っただろう。その理由は考えもしていなかった。

 両親に虐げられても、仕方が無いと思っていた。自分が可愛くないせいであり、その扱いが真っ当だと信じ込んでいた。

 今は、変わっている。自分に理由などはなく、ただあいつらが一方的に嫌っているだけなのだ、と。

 言葉としては、小さな変化かもしれない。

 しかし――


「強くなったな、マリー」


 俺が言うと、彼女は、ふにゃりと眉を垂らした。鳶色の目を細くする。

 ドレスの裾を摘まんで広げ、頭を下げる。そうしてマリーは俺に向かい、少女のカーテシーを行って、


「このお城のみなさんと、キュロス様のおかげです。……大切にしていただいて、ありがとう……」


 明るく笑ってそう言った。


 俺の手が、マリーの腕を掴む。強く引かれた彼女はバランスを崩し、俺のほうへ倒れ込んだ。掬うように、両手の中に閉じ込める。

 ――気がつくと、俺はマリーを抱きしめていた。

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