伯爵城で幸せを願う
――今まで、愛想無しですまんかったな、とヨハンは言った。
群島諸国からの流民の彼は、王国語が拙(つたな)い。まして貴族様に快いような、ちゃんとした言葉使いは学ぶ機会が無かったという。色んな家で雇ってもらったけど、どれだけ良い仕事をしても笑われ、小馬鹿にされ、時には酷くなじられた。いつか泥棒をするか娘を襲うんじゃないかと、全くそれらしい言動をした覚えもないのに疑われ、唐突に追い出されたこともあったのだと。
「――自分がそう思われるんは、わかっとる。だから別に、あのお嬢さんらに腹を立ててはおらんよ。ただ奥様に迷惑かけちゃぁいかんと思ってなぁ」
敬語の壁をなくした彼は、とても優しい話し方だった。
低音でしゃがれて、粗野だけども穏やかで、あったかい声。花を触るその手つきと同じだ。
隣で、サヤ豆を収穫しながら、わたしは眉をしかめた。
「迷惑って何のこと?」
「あんた、伯爵夫人になるおひとだろ。わしらみたいなもんと話をするのは、嫌だろうに。それに関しちゃあのお嬢さんらのほうが、普通ってもんだ」
「どうして? ヨハンのおかげでこの園庭があるし、美味しいご飯だって食べられるのに」
「……わしらは使用人ですから」
「なくてはならない人だわ。それに同じ館に住んでいるんだもの、わたしたち、家族でしょう?」
そう言うと、ヨハンは眉間の皺が伸びるほど目を見開いた。それを見てわたしは、自分がずいぶんおこがましいことを言ったと自覚した。
そ、そうよね。わたしはまだここに来て数日、婚約だってまだ正式に取り結んではいないんだもの。わたしも家族だなって、厚かましいことを言ってしまった……。
ほほっ、と、ヨハンは笑った。
「――旦那様と、おんなじことを言うんだなぁ」
そのとき、遠くからわたしの名を呼ぶ声がした。はいココです、と生け垣から顔を出すと、ミオとトマス、そして後ろにキュロス様が続いていた。
歩み寄ってくる三人を、駆け寄って迎える。
「ごめんなさい、つい夢中になって。キュロス様、もうお出かけの時間ですか?」
「ん。ああ……そうらしい」
キュロス様は、なんだかぼんやり、頷いた。ミオが補足する。
「我がグラナド伯爵城の旦那様は、徹夜明けで、まだお寝ぼけでいらっしゃいます」
「徹夜? まあ、本当にお忙しいのね」
「……うんそう」
うわあ、ほんとうに辛そう。バッチリ正装までしているけども、緑の瞳が半分くらい閉じたままだ。お仕事大変なんだなあ……わたしも何か、手伝えたらいいのに。
ミオが何故か半眼になっていた。
「それじゃあ僕、馬車に荷物を積んで参りまーす」
晴れやかな笑顔と爽やかな声で、トマスが宣言した。右手で敬礼、左手には、ハンナとイルザの後ろ襟を引っ掴んでいる。
キュロス様は、やっぱりぼんやりとそれを眺め、首を傾げた。
「……荷物?」
「旦那様、ちょうど夜会でルイフォン様にお会いするでしょ。返してきて下さいませ」
「ああ……うんわかった」
「荷物ってなんですのー!?」
「勝手に決めるんじゃないわよ!」
騒ぎ出した二人を、トマスはヒョイっと簡単に、まとめて肩に担ぎ上げた。おおー、さすが伯爵城の門番。普段は温厚だけど、やっぱり力強いのね。かっこいい。
思わずパチパチ拍手してしまうわたし。
「放せ下郎! 汚い手で触るな!」
「何喜んでるのよ、醜女(ブス)っ!」
叫ぶ二人。わたしはそんな暴言、気にしなかった。だって言われ慣れてるし、本当のことだもの。トマスも同じような心境みたいで、変わらぬ表情で二人を運び出そうとする。
その肩を、キュロス様が掴んで止めた。
後ろ向きになっていた二人の娘を、緑の瞳で見下ろして。
「――どこがだ?」
「……えっ……?」
「もう一度言ってみろ。俺の家族の、なにが汚い。マリーのどこが醜い」
「あ……あっ。いえ……その……」
「――おまえ達二人、何かひとつでもトマスより優れたところがあるのか。マリーより美しく、可愛らしいところがひとつでもあるのか。
あるならば言ってみろ。俺には、何一つ見つけられない」
二人は、ヒッと小さく息を呑んだきり、もう何も言わず抵抗もやめた。トマスが苦笑いだけして連れて行く。
クックッという笑い声は、ヨハンが漏らした。ミオはいつも通りの無表情。さも、当たり前でしょうと言わんばかりに、平常通りの顔だった。
キュロス様はまたフニャリと相好を崩して、あー眠い、などと呟きながらしゃがみ込む。
そこでふと、目についたのだろう。蔓を一本、手元で折った。立ち上がり、わたしの前に。
光り輝く瞳が、真正面からわたしを見つめた。
「……キュロス様?」
「マリー……」
囁く、声の甘さにドキリとした。
「は。はい。なんでしょう」
キュロス様の手が伸びる。両頬を包むようにして、耳のすぐ側を指が通過する。えっ。何? 何!?
わけがわからないけれども何か大きなことを想定して、わたしはギュッと目を閉じた。
髪の隙間にキュロス様の指。わたしの顔がやけに熱いのは彼の手が熱いからか、夏が近いからなのか、それとも、何? 何、今わたしどうなってる? 一体何をされてしまうの!?
「わ――わぁっ?」
変な声を上げて、目を開けると、やはりすぐそばにキュロス様の顔があった。相変わらず、とてもよろしいお顔立ち。わたしを覗き込むようにして、目を細めていた。彼は言った。
「……うん、似合う」
「え……」
「赤い髪に、緑色。相反する色だが良いアクセントになって、よく映えるんだ」
言われて気付く。わたしの髪に、蔓草が編み込まれていた。
「シュガーピンクやパステルイエローでフワフワしたドレスも可愛らしいが、マリーにはもっとビビッドなカラーでラインがスマートなのが似合うな。長い手足とスタイルの良さが際立つ。髪は、固めてティアラなどで飾るのではなく、そのままゆったりと編んでいるくらいがいい。この赤だけで美しい」
「――えっと。……キュロス様、あの……」
「全体を秋葉色でまとめるのも捨てがたいな。金糸でレースを縁取って……」
この方、女のことは門外漢ではなかったかしら……とミオを振り向くと、彼女は「言ってませんでしたっけ」みたいな顔をした。
「東部共和国との貿易は、加工食品や工業用素材、貴金属と工芸品など。その中には女性用の美容、装飾品が多く含まれます。こう見えて旦那様は、女を美しくする術には目が利きますよ」
「そ、そうだったんですか……」
「――俺を使え、マリー」
わたしの髪を撫でながら、キュロス様は微笑んだ。
「君は、俺の妻になってくれるという。ならば俺は、俺が持っているすべてのもの……グラナド商会総元の財力、伯爵の地位、能力を使って、君を幸福にしてやろう」
「――わ、わたしを……幸福に?」
「ああ。これから俺は出かけるたび、君を飾れるものを持ち帰ろう。綺麗になれ、マリー。もっと、もっと綺麗に」
頬を、キュロス様の温かな手が包む。
「……キュロス様、ありがとう……」
でも――わたし、もう十分、幸福です……。
「マリー」
キュロス様が、わたしの名を口にする。それだけでとろりと甘い、眠気のような感覚が、わたしの瞼を重くする。キュロス様の手の中で、わたしは目を閉じた。
そして……。
――コホン。
という、ミオの咳払いで慌てて後ろに飛びすさった。
「えー、申し訳ございませんが旦那様、タイムリミットが本気でリミットです。現時点でもすでに寝坊していましたので」
「……あ。あー」
「もうあと数秒くらいと言われたら待てますけども、きっとそれで済まないでしょうし。なにより、この状況ですから。それは、機会を改めた方がよろしいかなと」
「……あ……」
わたしはまず自分の格好……部屋着をたくしあげ、泥のついた手袋にボロ布を巻いた足、日焼けを防ぐ程度の薄化粧が、汗で崩れているという有様を思い出す。
辺りを見回すとトマトやキュウリの野菜畑、トマスはとっくにいなくなっている。ヨハンは気を利かせたのか、背中を向けて小さく座り込んでいた。しかしその真横に一人、湯番のチュニカが増えている。ちょこんとしゃがみこんでいた彼女は目が合うと、やっ、と片手を挙げた。
「トリートメントに使う、カモミールを貰いに来たのですけどぉ。なんだかいいシーンだったので、せっかくだから見物させていただこぉかなと……」
ごめんなさい、帰ってほしいです。
「それとぉ、旦那様が毟ったその蔓、ヨハンが大事に育ててた、おマメの大事なとこだと思うぅ」
「――えっ。あ! そ、そうなのか。すまないヨハン。つい、良い色だと思って、俺は植物のことは何もわからないから」
慌てて謝るキュロス様に、ヨハンは背中を向けたまま、ぼそりと言った。
「いえ……手を伸ばされた時に、アッとは思ったのですが。いいシーンだったのでな……」
……帰りたい…………。
そうしてキュロス様はミオに引っ張られ、あくびをかみ殺しながら出かけていった。
本当にお忙しいらしく、今度の帰りは十日ほどあとになるそう。寂しいな、という気持ちが少し。だけど不安まではなかった。
「行ってらっしゃい」
門のところで、使用人達と一緒にお見送りする。手を振るわたしにキュロス様も、馬車の窓から手を振り返していた。
キュロス様がお出かけしてから、またヨハンと一緒に畑作業を再開する。
日が沈むころ、ミオに呼ばれ、チュニカのお風呂とマッサージで疲れをほぐす。すると猛烈にお腹が空いてきた。トッポの作った夕食を頂いて、部屋に戻って、お茶をもらう。
――シャデランの家を出てもうじき十日。
いつのまにか、日が出ている時間も長くなったのね。
これから夏がやってくる。肌が焼け付くほど暑いのは、この王国ではごくわずかな月日だけ。
あと三ヶ月――
トマトが真っ赤に実るころ。この城で、婚約式が行われることになっている。
そしてわたしは、姉の婚約者だった人と結婚する。
相手はこの人、キュロス・グラナド伯爵。わたしよりも六つ年上の、二十四歳。
知っているのはその肩書きと、あともう少しだけ、彼自身のこと。
とても背が高くて精悍で、甘党で食いしん坊。顔はちょっと怖いけど、本当はとても優しくて、お城のみんなから慕われている。
わたしは、姉の代わりに嫁に来た。
だけどどうやら、彼はわたしに……少しは興味があるみたい。
わたしも彼のことを、少しだけ。
……姉の代わり、政略結婚ではあるけども。これからもっと仲良くなって……幸せになってくれたらいいなと思っているの。わたしも彼も、二人で、一緒に。
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