スキャンダルドライバー

海野わたる

スキャンダルドライバー

スキャンダルドライバー

            Umino Wataru

夜の十時を回った辺りから、老け顔の若い運転手の北野 翔は汐留駅で勝負に出る。タクシー運転手にとって夜中の駅前は激戦区だ。アクセルを踏み込みながら気合を入れた。今日は駅に向かう途中、テレビ局の傍らにある居酒屋から一人の中年の男がフラフラと千鳥足で出てきて手を挙げた。ツキが悪い。金も特に持っていなさそうだし、なんにせよ酩酊している客は乗せたくないものだ。車内で寝たり吐いたりとりあえずいいことがない。しかし無視するわけにもいかないのでタクシーを停車した。中年の酔っ払いはドアを手すり代わりにして何とか車内に体を押し込んだ。

「いやあ、おっちゃんがここらへんでタクシー回してて良かったよ。外も寒いし、待つのは嫌いだからねえ。」

北野は無愛想になりそうな声をできるだけ高くしながら、

「それは良かった。」

こちらとしては金にならなそうな人間に乗られていい迷惑なのだが。

「ここまで頼むわ。」

乗客の男はスマートフォンを操作して地図で目的地を示した。北野のよく知る場所だ。ナビは必要ない。

「なあおっちゃん、なんか話してくれない?俺って沈黙がどうも苦手なんだよ。」

なら人に頼らずに自分で話題出した方がこっちも話しやすいんだけど、と北野が思った時、どんどん暗くなる自分の感情を振り切って、運転に集中しながらも話を始めた。

「まあベタな話になりますけれど、美味しいラーメン屋なんかどうです?丁度あそこに見えるお店があるでしょう、あそこは個人店で豚骨ラーメンが有名なんですよ。カウンター席なんで豚骨の匂いが臭いったらないんですが、味は保証しますよ。チャーシューも肉厚で最高ですよ。俳優の鈴森さんって知ってます?あの人の行きつけのお店なんですよ。」

「へえ、詳しいなあ。あんな育ちの良さそうなお坊ちゃん俳優がおっさん臭いラーメン屋通ってるなんて意外だわー。なあなあおい、やっぱタクシーの運ちゃんってそういう芸能人乗せること多いんだろ?そういうのあったら俺に教えてよ。好きなんだよ俺。例えば最近だと誰乗せたの?」

乗客の男は前のめりになって顔をのぞかせた。

「お客さんアイドルわかります?ブリキ谷38とかいうアイドルなんですけど。」

「売れっ子アイドルじゃん!そういえば一回見たことあるかもしれんな。数人だけならわかるよ。」

「それの黒草 麻友って知ってます?」

「知ってる知ってる。この前の総選挙かなんかで二位だった子だろ?白い肌と唇の下のほくろがチャームポイントの子だったっけ。」

「その子、プロデューサーとホテル行ってましたよ。」

淡泊に発せられるタクシードライバーの情報に、乗客は興奮を抑えられなかった。

「えええ!マジで?マジで?うわあ、やっぱ枕営業とかって本当にあんの?闇深いわー。ええ怖いなーおい。確かに人気出始めた時に違和感あったもんなー。」

乗客の男のテンションが一気に上がった。顔を見るまでもなく笑顔だということが声色でわかる。

「全員が全員そうじゃないんでしょうけど、やっぱり厳しい世界なんでしょうね。」

「まあねえ、ていうかさあ、そういうことって言っちゃっていいの?一応個人情報だろ?」

男は軽く北野を責めた。

「お客さんだけに特別に、ですよ。私もクビになりたくないんで、どうか内緒でお願いしますよ。」

そう言って北野は人懐っこい態度をとった。

「ええ、こんなに面白い話黙ってられるか分からんよ。」

「まあそこをどうか頼みますよお。」

「わかったわかった黙っとくから、なあ他にないの?」

「困りますよー、お客さん。」

北野は大袈裟に眉を潜めて見せた。

「一個言ったら二個も変わらんないって。いいから教えろよお。」

男は食いついた獲物を離そうとしない。

「んーそれじゃあ、朝のテレビでコメンテーターやってる作家の花吉さん知ってます?」

「知ってる知ってる、俺直接会ったことあるよ。」

「あの人キャバクラで酔っ払い過ぎて、全裸でゴミ箱に頭から突っ込んだらしいですよ。」

後部座席からガハハハハ、という下品な笑い声が車内に響いた。

「それほんとか?あのクールな雰囲気と斜に構えた感じで人気出てる人が?」

「写真見してもらいましたよ。頭から行ってました。」

「イメージ崩れるわあ。全裸で?」

「全裸で。」

「ケツ丸出しで?」

「ケツ丸出しで。」

また後ろからガハハハハ、と笑い声が聞こえた。

「いやあ、笑えるなあ。その話を小説にして出して欲しいな。自分のことだから自伝になるのかわからんけども。」

「そういえばこんなのもありますよ。日曜九時からのバラエティー番組で司会やってる、人丸っていう声がうるさいタレントが、不倫してるって話なんですけど。」

北野は後ろからの返事を待ったが返事は聞こえてこないので先を続けた。

「その人丸さん、ぐうーぜんお客さんの目的地の近くのホテルでグラビアアイドルと不倫してるんですよ。ホテル花吹雪ってとこなんですけど。」

やはり後ろから返事がない。

「あれ、お客さん?お客さん、人丸さーん。」

「俺が人丸だって気づいてたのかよ。性格悪いなあ、あんたおい。頼むよーおっちゃん、お願いだから黙っといてくださいよお。」

人丸は手に取って分かるように態度を変えた。

「歌手の奥さんにばれたら大変じゃん。かかあ天下なんでしょ?ボコボコにされるんじゃないの?」

確かに命を落とすかもしれん。急にため口になったタクシードライバーの態度に腹を立てながらも、状況を整理して考えることに人丸は努めた。

「あとおっちゃんおっちゃんって言ってるけど俺は28だから!アラフィフにおっちゃんって言われちゃったよ。」

老け顔すぎるだろ、と人丸は思った。今年いっぱいで49歳になる自分にも引けを取らない顔だ。

「すみませんでした。」

「じゃあどうすんの?黙ってて欲しいんでしょ?じゃあ誠意見せなきゃあ。」

タクシードライバーの意図することはある程度理解できた。

「ちょっと待って、金なら払うから。でもそれよりまずいつから気づいてた?乗せるときにもうロックオンしてたの?」

「俺はこういうスキャンダルを集めるためにテレビ局の周りを縄張りにしてるんですよ。今日は外れだと思ったんですけど、乗せる時に人丸さんだと気づいてラッキーだなって思って。」

「まんまと引っかかったってことかよ。それで?いくらだ?」

「金なら受け取りませんよ。恐喝になっちゃうんで。月に一回俺のタクシーを使ってもらうのと、その度に何かスキャンダルを一つ教えてもらうのが条件です。」

人丸には拍子抜けの内容だった。

「そんなんでいいのか?」

「金よりもまずは情報が重要ですから。予算があっても商品が無ければ商売はできないでしょ。」

「まあわかったよ。」

人丸は安堵して了承した。

「毎月月末までにお願いしますよ。ちなみに一日でも忘れてたり、遅れたら一発で週刊誌に売りつけますからね。」

「血も涙もないな。っておい待てよ、さっきまでの話に出てきたやつらもお前のいわゆる顧客ってことか?」

「ええ、そうですよ。さっき言ったアイドルとプロデューサーなんかは二人とも常連さんですよ。」

「ロスチャイルド家みたいなことしてるじゃん。あ、お兄さんそこ右で。そうそう、そこ入って二つ目の交差点左で。うん、そこで止めて。」

タクシーは煌びやかなホテルの前で停車して、後部座席のドアが開いた。

「今後ともよろしくお願いいたします。」

北野は丁寧に上体だけでお辞儀をした。

「わかったわかった。約束は守るから、お前も絶対に破るんじゃねえぞ。」

「当たり前ですよ。信頼に関わりますから。」

「じゃあまたな。」

人丸は夜の歓楽街に音が鳴り響くほど、当てつけに強くドアを閉めた。すると発進する前に運転席の窓が開いて北野が顔を出した。

「あんま不倫すんなよ、人丸。」

「うるせえよ。」

トロトロと進み始めたタクシーに向かって人丸は中指を立てた。

来月の中旬頃、楽屋で人丸が意気揚々と挨拶にきた共演者と話していた時、一人の男が楽屋のドアをノックして、人丸はそれを了承した。

「なんだ?もうすぐ番組だぞ。」

入ってきたのは彼の専属のマネージャーだった。

「人丸さん、何処から漏れたんですか!」

マネージャーは見開きの週刊誌をテーブルにたたきつけた。そこには有名司会者がグラビアアイドルと不倫!との大見出しだった。人丸は数十秒、頭の中が真っ白になったが、北野の言葉を思い出すうちに妥当な原因に気が付いた。人丸は叫んだ。

「畜生、あの女!」

=完=

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