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  • こんにちは。
    脚本(戯曲というのでしょうか?)形式の文学作品は谷崎潤一郎のそれしか読んだ経験がないため、どのように読めばいいのかすら分かりませんが、どこか心に残るものでした。

    実際、緞帳や箱馬という言葉は初見でした。
    ただ「言葉も知らなければ楽しみ方も分からない。けれど不思議と面白い」という感覚は、初めて小説を読んだ時と同じもので、懐かしい気分になりました。
    手探りながらも「自分の感性のどこに刺さったのか、どのような琴線に触れたのか」をじっくり内省していきたいと思います。

    また「貶める」は「おとしめる」ではないでしょうか?

    女という性別しか明示されていない存在に名前を付けるという行為は、この舞台において非常に意味を持つことだと個人的に思いました。
    それがどのような意味かは、自分でも説明できないのですが。

    男だけが女を理解するということは、
    理解者がいて、理解すべき相手もいて、裏を返せば貶めるべき価値のある相手に男がなり得て、男女の間に干渉や恐れがあり、恐怖を知って生きていく「呪い」、つまり女はただ血を巡らせ、心臓を動かすことのためだけに生きていくことは「できない」という呪いを受けたのだと僕は感じました。

    作者からの返信

    圭一さんお久しぶりです。丁寧なコメントをありがとうございます!こちらは戯曲で舞台演劇で使用されるものを前提とした作品です。そのためどうしても演劇専門用語は出てきてしまいますが複雑にならないよう注意しております。

    貶めるについてはルビミスです!教えていただき助かりました。こちらの作品は散文詩集の「白紙のアトリエ」から要素をもってきており絶対的神としての存在「創作者」と絶対的支配を受ける「創作されたもの」の関係性を描くお話になっております。無知であることが誉であるとのセリフのように神は作ったモノに全ての理解を求めておりません。圧倒的な人権の差があります。そしてコメントいただいているように「本当の無」でもない限りそれだけで済むはずはないのです。抽象舞台なので余白のある演出にしております。

  •  男の畳みかけるようなセリフと、女が自分自身の存在を語る場面。戯曲形式だからこそ、その言葉のやりとりを味わうことができました。
     私はずっと脚本を書いてみたいと思っていたので、とても参考になりました。立った二人きりの空間で繰り広げられたため、とくに迫力を感じました。面白かったです。

    作者からの返信

    お読みいただきありがとうございます!とても嬉しいです🙇‍♀️私自身かなり久しぶりの台書きで、横書きもはじめてなので読みやすさ重視しました!専門用語も少しありますが舞台が想像できていれば私としても冥利につきます。「神チャ」は短い散文作品「白紙のアトリエ」を基礎にしています。もしよければ世界観のひとつ添えるような感じでお時間あれば読んでください☺️