間違えたっていいよ――派生短編――
「ざ、ざるそば200個発注しちゃいました!」
この世の終わりだ。
このまま僕は、お店の人から損害賠償を請求されて、一生、いわれもない借金に追われるんだ。
そして。
結局、借金は支払いきれずに警察にタイホされて。
牢獄に入れられて。
シマシマの囚人服をきて。
来る日も来る日も……たぶん、いろんな肉体労働をして。
両親はおいおい泣いて。
3つはなれた妹もわんわん泣いて。
僕はもっとげぼげぼ泣いて。
涙もお金も枯れ果てて。
まさに――ジ・エンド。
がらがらと目の前が音をたてて崩れ去ろうとした時、彼女はにこりと笑ってこう言った。
「キミ、なかなかやるじゃない」
へ?
「私は100個でいいかなって思ったけど、その倍とはね。中学1年生のわりには、なかなかの度胸よ」
眩しい笑顔で親指を突き立てるのは、スーパーで働く、近所でも有名なお姉さん。
ちょっとその辺にはいない女優顔負けの容姿。でもでも、にらむような鋭い小さな黒目がおっかない。
そんな彼女の名前は――
彼女から、いわゆる誤発注を褒められたわけだ。
でも――どうして。
だって、ざるそばなんて、普段は20個ぐらいしか売れないって言ってたのに。
何でこんなことになったかと言えば、一学期の最終日に遡る。
「宿題は計画的にやるように。夏休み最後の日にあわてて全部やっちゃだめだぞ。特に――体験学習は」
僕の中学校では、夏休みの宿題に、こどもの自主性をやしなう目的もかねて、お仕事体験を作文にするならわしだ。毎年恒例みたいで、近所のお店や会社なんかはこころよく協力してくれるらしい。
僕が選んだのは――スーパーのお仕事体験。
なんとなく身近な存在だったし、作文にしやすいかなって思った。それに、近所のほくほく弁当屋さん、ファーストフードや喫茶店とか飲食系は、なんだかキツソウなイメージを持っていたからだ。
こうして、うちから歩いて五分ぐらいにあるスーパー、モリモリフーズで一日お仕事体験をすることになった。
お仕事体験、本番の日。お父さんより背が高い店長から徳梅さんを紹介された。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
「……」
第一印象――なんか怖い、かも。
すごい美人なんだけど、ゴゴゴ――とものすごい圧が迫ってくる感じだ。
万一、ミスでもしようものなら、お店の裏でとんでもないお説教が待っているにちがいない。
バックヤードから彼女を先頭に店内に入る。しょっちゅうここで買い物しているのに、いざ働く立場として入店すると、なんだか手に汗が止まらない。緊張のあまり、手と足が同じうごきをしてしまうと、徳梅さんはぷっと笑った。
「そんなに緊張しなくてもいいよ」
「は、はい」
「でも、こうやって自分が働く側に立つと、いろいろ違って見えるでしょ」
彼女の言う通りだった。
なんていうか、目線がちがう。今までスーパーなんて、なんか安いお菓子ないかな程度しか考えてなかった。でも、当たり前だけど、全てにおいて仕事というのは意味をもって考えられている。チラシに合わせて売り出し品が届いたり、納品に合わせてエンドと呼ばれる売り出しコーナーに陳列したり、週単位でスケジュール化されていたり。明日のチラシ商材である重たい液体調味料を運びながら、しみじみと仕事の奥深さを体験した。
徳梅さんからひとつひとつ丁寧に教わっていくと、いつの間にか緊張も解けていた。初めはこの人、怖い。びしびしムチでしごかれると震えあがっていたが、それは単なる思い込みだった。
「どう? 案外やってみると面白いでしょ」
にこっと額の汗を拭う徳梅さん。
……楽しいかも。いろんな意味で……。
でも――今度は僕が汗を拭う番だ。しかも、熱い冷や汗を。
一通りスーパーの仕事内容を教わると、最後に総菜の発注を教えてもらった。
「試しにやってみる?」
ここをピッて押すだけよ。そう言われて、徳梅さんからタブレッドを手渡された。なんだか、画面いっぱいに商品毎の売上数量がちかちかして目が痛い。数字の羅列に混乱しながら、彼女の指示通りに数量を打ち込んでいく。
そのまま全ての発注が終わりかけた時、「おーい」と徳梅さんは店長から声をかけられた。なにやらクレームが発生して事務所に呼ばれたみたいだ。
「すぐ戻るから、それ持ってて」と彼女はバックヤードに走っていく。
美味しそうな総菜売り場を前に、ほっと一息。店内はクーラーが効いているけど、働くとなんだか体が火照る。そういえば、明日から近所でマンションの修繕工事やるみたい。外で働くおじさんは大変だな。明日は最高気温を更新するって予報だし、僕なんかよりもっと暑くて大変だ。ふと総菜ケースのざるそばに目が止まる。こんな暑い日だったら何杯でもいけそう。よだれとともに腹の虫が鳴ると、
「いたいた、おにーちゃん」
目の前に、にやにやした妹がいた。なんでも、駅の反対側にあるショッピングモールが改装のため臨時休業しており、暇つぶしに兄の仕事ぷりを見学にきたらしい。あそこが休業すると、ここは近くに大学があるだけの退屈な街となる。以前、この店でちょっとしたイベントをしたとき、暇な大学生が殺到したらしい。
「あれ? 今日じゃないんだ」
妹は意味不明なことを口走り、じろじろとこちらを観察。しかも、意地悪そうに。どうせ、ちゃんとやってる?って言いたいんだろ。
暇って――人を呼ぶんだなとしみじみ思う。
「じゃまじゃま」
「なにそれ、せっかくきたのに」
「見ての通り忙しいんだよ。お・し・ご・と・ちゅうなの」
「ふーん、あっそ」
妹から冷めた目を向けられて、必要以上に大人に見せようとした自分を反省。お詫びに発注パネルを見せると、興味津々の妹は、わたしにやらせてとうるさい。変なことしないように少しだけ触らせてあげたのだが――これがまずかった。
案の定、よくわからないマークを触ってしまい、元に戻す方法がわからず、気が付けば――。
「ざ、ざるそば200個発注しちゃいました!」
冒頭に辿り着くのである。
そして、怒られるどころか、
「なかなかやるじゃない」
こんなことを言われたのだ。
……なんでお咎めなしなの?
「と、取り消さなくていいんですか?」
「あら? これって誤発注なの?」
どうしよう。
ちらりと彼女の顔を覗く。じいっとこちらを凝視している。なまじ美人なだけに、その威圧といったら、そりゃあもう……。まさに蛇に睨まれた蛙状態。妹に発注パネルを触らせてしまい、わちゃわちゃした結果、こんなミスを引き起こしたなんて……とても言えない。
と。
1秒だけ思ったが、
「す、すみませんっ! 妹とふざけ合ってっ。間違えてボタンを押してしまいっ。元に戻せなくてっ。試行錯誤したんですがっ。あれよあれよという間に……っ!」
素直に白状しました。
「まあ、そんなことだろうと思ったわ」
当たり前だが、徳梅さんはお見通しだった。
「でも、いくらキミはお仕事体験とはいっても、大切な機械で遊んじゃだめよ。わかった?」
「は、はい」
「わかればよろしい。じゃあ、ばつとして私と一緒に写真撮るわよ」
「え? ど、どうしてですか?」
「お店の偉い人に、誤発注の犯人はこいつですって送るから」
えええええええ!!
「そ、それだけは許してくださいっ!」
「だめだめ、許してあげない」
やっぱりこの人、怖すぎる。とっさに逃げようとするが一歩遅かった。徳梅さんに首根っこを掴まれて、マンガでいえば、サンマをくわえたどらネコ捕獲の構図となる。
ぐえっと呻いてそのままパシャリ。自撮りのような形で、徳梅さんと半泣きの僕がフレームに収められた。その画像をみて、徳梅さんは「ぷぷぷ」と笑う。
この人――ドS過ぎる。
さぞかし、このお姉さんの彼氏はひどい目に合わされてるんだろう。彼女の頭から二つの角が見えた。
「ごめんごめん、キミが嫌っていったら画像は削除するから」
「偉い人に送るのだけは許してください! 両親から警察のごやっかいにだけはなるなと教えられてるので!」
この嘆きに、徳梅さんはきょとんとする。
「そんなことしないわよ。さっきのは冗談。でもね、これは最後の手段。多分、こんなことしなくても大丈夫よ」
「ど、どうしてですか?」
「そうね……」
徳梅さんは腕を組んで暫し考える。
そして――
「面白いことやるから」
と、妖しく目を光らせた。
*
ざるそば200個の行方が気になり、食事がのどを通らなかった。兄ののどを狭くさせた張本人は、とくに悪びれることなく、夜飯のざるそばを何杯もおかわりするという呑気ぷり。少しだけ、いや、かなりイラっとした。
お仕事体験は一日だけだったが、翌日、開店に合わせてモリモリフーズへ走った。なんとなくばつが悪く、電柱の陰に隠れていたのだが、
「おーい、キミも手伝いなさいよ」
やっぱりともいうべきか、すぐに徳梅さんに見つかって搬入口に手招きされる。てゆうか、50メートルも離れてたのに、よく気付いたな。あの人、嗅覚も視覚も並じゃない。鷹の生まれ変わりかよ。
「ほらほら、コレコレ」と徳梅さんから、大量のざるそばが積み上げられた荷台ごと渡された。これをどこに運ぶかといえば――お店の中央に位置する6畳分の巨大なエンドである。
うわっとあまりの迫力に息を呑む。
そこには、まるで巨大なピラミッドのごとく、めんつゆが積み上げられているではないか。この圧倒的な陳列をした
「で、でも、めんつゆは安いから売れるのはわかるんですが、保存できないざるそばも一緒に買ってくれるんでしょうか? しかも200個」
「当然」徳梅さんはぴしゃりと断言。エンドの前に設置された長机を叩き、「でも、売れるんじゃなくて、食べるんだけどね」
じゃじゃんと、一枚の手作りチラシを見せてもらった。
【暑さに負けるな! ざるそば早食いイベント開催!】
前もって、近所の大学の掲示板に貼らせてもらった結果、すでに50名の参加申し込みがあったようだ。
でも、まだ人数が足りない。
だって、200個のざるそばを売るには、早食いイベント参加者以外に、少なくても150人以上に買ってもらわないと。
だけど、そんな僕の心配はすぐに杞憂に変わる。
徳梅さんは「キミ、子供のくせして心配性ね」と、冷たい一撃を放ったあとに、ポケットからマジックを取り出して、チラシの文言をこう訂正した。
【暑さに負けるな! ざるそば早食い+大食いイベント開催!】
つまり――めんつゆ特売セールに合わせて、このエンドの前で早食い+大食いイベントを急遽開催するのだ。
「明日から工事の人たちが働くでしょ。ざるそばってね気温が30度を超えると一気に売れるのよ。この辺ってほくほく弁当屋とファーストフードに喫茶店しかないじゃない。ショッピングモールも臨時休業してるし。必然的に、うちの冷たい系総菜の需要が増えるわけ」
普段は20個ぐらいだけど、まあ多く見積もって30個は売れるかな。
「それに、イベントってさ、事前告知以外にも飛び入りで参加もあるわけ。去年やったときは、合計60人の参加だったから、今年もそれぐらいいくかな。60人もいれば、5人ぐらいは大食いやってくれるんじゃない? こっちは完食で商品券あげるし。ちなみに大食いはひとり20人前ね」
通常売りの30個+早食い50個+大食い100個。ざっと見積もって180個。
「の、残りの20個はどうしましょう?」
「ああ、それはね、もう予約がいるのよ」
徳梅さんは、おーいとドリンク売り場で品出しをしているバイトのおにいさんを手招きする。呼ばれた本人は、何事かとぱたぱた走ってきて、5秒後にのけぞった。
「お、おれも大食いやるんですか!?」
「そう。ざるそば好きでしょ?」
「い、いや、好きですけど、そんなに食べられないというか……」
「ふーん」
「おれ、体育会系じゃないし、大食いでもないし……」
「そっか。だめなんだ……」
なんか妙に甘えた声を出した徳梅さん。
「……どうしようかな」
え? そんなんで揺らいじゃうの、このおにいさん。
「……残念だな」
またまた、切ない顔をする徳梅さん。深く目を閉じるおにいさん。だ、だめだ、流されちゃ――。
「やります」
やるんかーい。
自分で蒔いたタネでもあるけど、言うなれば徳梅さんは捕らぬ狸の皮算用をしている。確定した売れ数は、早食いの50人だけだ。
妙に距離間が近い二人を前に、こう切り出した。
「で、でも、大食いに誰も参加してくれなかったらどうするんですか? 工事のおじさんが買ってくれなかったら」
またまたつまらなそうな顔をする徳梅さん。「まあ」と一呼吸を置いて、
「その時は、キミと一緒にとった写真を使って――」
「や、やっぱり、僕を偉い人に突き出そうとするんじゃ!」
「――誤発注したから、みんな買いにきてくださいって、SNSに投稿するわよ」
最近、そんなの流行ってるでしょ、とにんまりされた。
そ、それで写真を。
あんぐりする僕にトドメとばかり、
「モノが売れるなんて確実なものは何一つないけど、売るっていう熱い気持ちはもってなきゃね」
子供のくせに、ミスを怖がらないの。
そして――開店。
お昼が近くなるにつれて、ガタイのいいおにいさんがぞろぞろとやってきた。間違いない。早食いイベントに参加する近所の大学生だ。その中の一人に、誤発注の共犯者である妹もいた。どうやら、昨日は兄の仕事ぶりを冷やかしにきたのではなく、早食いイベント開催日を間違えたらしい。妹はスタートと同時に一気にそばをすすり、好タイムを叩き出した。
誰も大食いにチャレンジしてくれなかったらどうしようと心配したが、早食い参加者の半分以上が大食いに変更を申し出たらしく、無事ざるそばは完売となった。
これなら、徳梅さんにノセられた、バイトのおにいさんも参加しなくてよさそうだが、本人はやる気まんまんだった。
なんでも彼女に「かっこいいとこ見せてよ」と、またまた火を付けられて腕まくりしたのだ。
そして――バイトのおにいさんの出番となった。顔を真っ赤にしながら、ざるそばを胃袋に流し込む。目に涙を浮かべて、めちゃめちゃしんどそう。
おにいさん……ごめんなさい。
ちらりとレフリー役の徳梅さんの顔を覗くと、なんだか楽しそう。再び頭から二本の角を生やしてる。
やっぱりこの人――ドS過ぎる。
「みんな、がんばって~」
でも、言葉ではみんなと言いつつ、その目はおにいさんだけを見て。
妙に頬を赤く染めて、自然と笑みがこぼれて。
もしかしないまでも、この二人って――。
けっ。
大人って、こどもよりデレデレしてるよな。
ちなみに、後日、先生に聞くと、毎回なにかやらかす生徒がいるので、その度に先生がお詫びもかねて、商品を買うというならわしになっているそうだ。たとえ今日のイベントが失敗しても、あとで元は取れる計算になっていた。
了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます