熱なんて冷めないよ――派生短編――

『こちらは大丈夫なので、無理せず身体を休めてください』


 店長からのメッセージを確認したあと、スマホを枕の脇に置いて、タオルケットで顔を覆う。


 風邪を引いてしまった。健康にだけは自信があったんだけど、珍しいな。さっき体温を計ったら38度近くあった。昨日から、なんだか体の調子が悪くて、仕事から帰るなり、そのままお風呂にも入らず布団に倒れ込んだ。朝になっても体調は戻らず、休みの連絡を店長に入れて、そのまま夕方まで寝てしまった。


 1LDKのマンションには私以外誰も住んでいない。きままな一人暮らし、というより親も兄妹もいないから必然的に一人。このこぢんまりとした部屋で六年間生活している。特に不自由は感じていない。必要なものは揃っているし、観葉植物で癒しも演出しているし。だけど、病気になると一人という寂しさが襲ってくる。


 あーあ。困っちゃったな。

 結構、弱気になってるな、私。


 なんでだろう。なんとなく、ぽっかりとこころに空洞があるような。たかだか風邪を引いただけなのに。一人で暮らしてから初めての経験でもないのに。


 どうしてだろう……。


 頭の靄を振り払うようにがしがしと髪を掻く。昨日からお風呂に入ってないから、ちょっとべたついて気持ち悪い。シャワーだけでも浴びようかな。うーん、どうしよう。まあ、いいか。誰かがくるわけでもないし。そのまま寝よう。……でも、気持ち悪いな。迷う。

 そんなどうでもいい考えが頭の中を行ったり来たりしていると、スマホがぶぶぶと揺れた。


『セイル、明日大丈夫だよね? よっちんのお腹大きいみたいよ』


 しまった、忘れてた。明日は女子会に誘われてたんだっけ。

 高校の友達は大学を出て、都内の会社で働いている。私は高校を卒業して、今も務めているスーパーで働きだした。小売りならではの平日休みということもあり、うまいこと友達と休日が重ならず、ちょっと疎遠になってしまった。皆と合うのは久しぶりだ。たまたま、結婚して県外に引っ越したよっちんが里帰り出産するタイミングに合わせて、皆で会おうってなった。


 そういえば、よっちんっていつも私に恋愛相談してきたな。また、振られたとか、そんなのも多かったけど、まさか人妻一番のりとはね。


 今の調子だと行けるのか微妙かも。昼間に計った時より熱はどんどん上がってるし、なによりも身体がだるい。このまま24時間以上、寝ていたい気分。期待させると悪いし、予め今の状況だけでもメッセージ送っとくかな。


『実は、今、風邪引いてる 泣』


 泣マークを自分で打ちこんで、なんだかおかしくなってしまった。心配されたいなという弱さの表われだから。


 うえーん、てね。おいおい私は子供かよ、てね。

 すると、私の願いが天に届いたのか、電波にのって二つのメッセージがやってくる。


『うそ~ 泣。セイルと久しぶりに会えると思ったのに~ 泣』


 友達からの返信と、もう一つこんな熱いメッセージが。


『セイルさん、風邪引いてるんですか!!!!!!!!!!!!!!』


 ……いやいや、ドッキリマーク凄すぎでしょ。


『なんで、俺に言ってくれないんですか 泣!!』


 ……泣きながら驚いてるし。


『今日、出勤したら店長から聞きましたよ。俺に教えてくれないなんて、ひどいじゃないですか 泣!!』


 ……なんか、すご~い罪悪感。


『ごめんね。そういえば棚森たなもりくんには言ってなかったね』

『ほんとですよ! 大丈夫なんですか? 熱はどれくらいですか? 食べれてますか? いや……熱だしたら食べれないか……。もしかして下痢とかしてます?』


 秒で返信がくる。というか、打ち込むの早すぎだし、普通、女子に対して下痢ってワードは打ち込まないよね。仮に下痢してても、今下痢してるなんて返せないし。


『そんなに心配しないでよ、すぐ治るから。ただの風邪よ。流行ってるしね』

『そうですか……。でも、セイルさん一人暮らしだし、買い物も行けないですよね。元気になっても食べるものがないといけないし、何か適当に見繕ってお届けしますよ』


 お届け……って。


『もしかして、うちに来ようとしてるの?』

『はい。今日バイト早番なんで果物やゼリーとか買いました』

『うそ』ちょっと待ってよと打ち込む前に彼から、

『最寄駅にいますので、ここから10分ぐらいです。いや、走るんで5分ぐらいですかね』


 ……

 …………って。

 ちょっと、待ってよ。



 今から、うちに来る?

 うそでしょ。

 いやいや、ちょっと待ってよ。そりゃ、いつかはうちに来てもいいけど。今じゃないでしょ。タイミングの問題よ、タイミング。


 あ!


 もしかして、これをチャンスとばかりに……。


 いやいや、違うな。そんなタイプじゃないし。なんていうか、目つきは自然と胸元に下がってイヤらしいけど、真面目な感じだし……。

 って、そんなこと考えてる暇はない。

 メイクもしてないし、髪だってべたべた。やばい。そうだ、今出来ることは――


『私がOKって言うまで、そこから一歩でも動いたら殺すから!』


 これでよし。

 棚森たなもりくんはきっと金縛りにあっているはず。


 いつの間にやら、さっきまでの身体のだるさは消えて、さっと布団から起き上がる。いや、実際のところ熱は絶賛上昇中かもしれない。でも、そんな熱なんて気にする余裕もない。つまり、風邪なんて引いてる場合じゃない。


 パジャマをさっと、下着もするっと脱いで、急いでシャワーを浴びる。ジャーと熱いお湯に頭がのぼせそうになり、心なしかくらくらする。いやいや、心なしでもなんでもなく事実、頭が痛い。ゆっくり髪なんて洗ってる時間もないし。ああ、こんなことならリンスインシャンプー買っとけばよかった。がしがしと乱暴に髪を洗って、適当に汗を流す。ドライヤーで髪を乾かしていると、不思議と気分もよくなった。なんだかんだで、さっぱりしたし怪我の功名かも。


 でも、ずいぶん突っ走るな。

 意外な発見? 

 そうでもないか。


 初めて会った時なんて、恥ずかしがって目も合わせないぐらいだったのに。


 三つ年下の棚森くんとは私が働いているスーパーで出会った。大学三年の彼がバイトとして、私が取り仕切っている加食部門に配属されたのが切っ掛けだ。初めは頼りなかったけど、誠実に仕事に取り組む姿勢や、こちらに向けられた好意に、いつしかこころが揺れ動いてしまった。


――俺もあなたとエンドで熱くなりたいんです。


 だって。


 私が作るお店の売り出しコーナー、通称エンドの大量陳列や、売り場を彩る造形物の迫力に圧倒されたんだって。私と一緒に一つのことに取り組みたい、か。まあ、当然よね。実際、私の陳列技術は凄いし。感動すら与えてしまうわけよ。

 でも、まさか彼とこうして……。


『まだですか?』


 催促するような返信がきた。ごめんごめん、季節は十二月だし、いつまでも待たせたらそっちが風邪引いちゃうよね。マスクで隠すからメイクは眉毛だけでいいか。


『OK』


 私の返信からきっちり5分後、ピンポーンとオートロックが鳴らされた。なるほど、ダッシュで来たわけね。有言実行って嫌いじゃないわよ。

 外の様子は視えなくても、彼が近づいてくるのがわかる。一歩、また一歩。かつかつと階段を上がって、二階にある我が家にやってくる。

 なんだかどきどきしてきた。適当に部屋片づけたけど……。

 まあ、勝手に部屋を物色したらビンタすればいいか。


 鈍器もあるし(観葉植物の植木鉢)。


 うわ~、ついにうちに来るのね。どうなってんのよ、今の私の顔。

 と――

 思ったら。


「はい、これ。それじゃ俺は帰りますんで」

「え?」


 玄関を開けるなり、そんな一言。スーパーで購入したりんごやスポーツ飲料、ゼリーなどが入ったレジ袋を突き出されて、


「早く元気になってくださいね」


 なにそれ。


「いや、ちょっと、もう帰るの?」

「い、いや、だってセイルさん、風邪引いてるんですよね。流石に俺なんかが上がったら迷惑ですし」

「いやいや、ここまで来といて荷物だけ渡して帰るって、カッコつけすぎでしょ。お茶ぐらい飲めばいいじゃない」

「ま、まあ、そうなんですが……。単純に会いたかったのもありますし、それに……」

「それに?」じーっと見つめた。

「お、俺は、セイルさんが元気な状態で家デートしたいんで!」


 この告白に、一瞬目が点になる。だけど、すぐになんとなく察した。

 ふーん、なるほどね。


「な、なんでニヤニヤしてるんですか?」

「いいじゃない、別に」


 どうやら、にやけが隠せなかったみたいだ。


「じゃあ、ありがたく差し入れを頂こうかな」


 突き出されたレジ袋を手渡されて、手と手が触れ合うとそのままぎゅっと手を握られた。うっと突然の攻撃にたじろいでしまう。


 その温もりが、ゆっくり胸まで伝播して。


「ほら、やっぱり熱高いですよ。今日はいきなりすみませんでした。寝て元気になってくださいね」

「そ、そうね」

「あと、俺にも教えてくださいよ。心配したじゃないですか」

「わ、わかった」

「じゃあ、帰ります」

「じゃ、じゃあね」


 ばたんとそのまま扉は閉められ、ひとりその場で立ち尽くす。


 本当に、帰っちゃった。


 うそでしょ。


 なにそのピュアな攻撃。


 手を握られただけなのに。


 相変わらず下手だよね。


 急いでシャワーなんか浴びちゃって。


 困っちゃったな。


 家デートだって。


 まあ、そうだよね。


 家デートしたいよね。


 そうしたら、


 手だけじゃなくて、


 そんなんじゃおさまらない。


 その手はどこまでも伸びて、


 いろんなとこに触れて。


 もう、


 きっと、


 近いうちに……。


 いやいや、

 風邪引いて、何妄想してんのよ。


 明日、よっちんに会いにいこう。

 今度は私が聞いてもらおうかな。

 明日には熱は下がってると思うし。

 それに、

 この熱はちょっと違うよね。

 さっき感じた、こころの空洞。


 その、本当の意味がわかった。



 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る