正解なんてないよ――派生短編――
うわあ――。
その可愛らしい驚嘆の声は、長く尾を引くように店内を伝播していく。
声の主は一人の女の子。小学校低学年ぐらい。小さな存在が、目の前に現れる巨大な造形物を見上げて、圧倒されている。女の子の前に鎮座するのは、一言で表せば『古戦場』。なんだそりゃと思うのだが、そうとしか言いようがない。
だって、コレを作った張本人がそう言ってるんだから。
「
「これ? 関ヶ原の戦いよ」
『?』としかいいようがない、その一言。
俺こと、
彼女とは食品スーパー、モリモリフーズのバイトで出会った。大学三年生の俺より三つ上の綺麗なお姉さんで、秘かに好意を寄せている。
徳梅さんは加食担当として、POS実績の管理、販売計画、発注、棚割作成などを取り仕切っている。特にエンドと呼ばれる売り出しコーナーには並々ならぬ思い入れがあり、毎回、エンドを作成する際には、アッと驚くような造形物を作り、お客さんの目を楽しませている。
今回、彼女が東洋水産の赤いきつね、緑のたぬきで表現したのが『関ケ原の戦い』
だ。彼女曰く、東洋水産は地域によって味を変えており、東西の境界線が関ケ原という、歴史好きでも嫌いでも誰でも知っている古戦場とのことだ。
「赤いきつねと緑のたぬきって、地域によって人気も均衡しているのよ。永遠のライバルってやつね」
徳梅さんは得意気にこう解説していく。まず、小早川秀秋が陣取った松尾山から天満山を経て、石田三成が陣を張る笹尾山まで、赤いきつねの大量陳列によって鶴翼の陣を構成し、山のうねりを再現。対する徳川家康率いる東軍が、喉元目掛けて突撃している様子を緑のたぬきで埋め尽くす。どっちが旨いのか。東西両陣営を赤と緑で色分けした、まさに天下分け目の戦いに相応しい。
これが、畳六畳ほどの巨大なエンドにこれでもかとジオラマ風にボリューム陳列されており、見る者の口をあんぐりさせる。まさに商品陳列によって生み出す壮大なアートなのだ。
「私ね、迫力満点なのが好きなの」
その迫力の虜になってしまったのが、冒頭の女の子だった。
先ほどから、女の子はそわそわしながらエンドの周りをウロウロしている。その様子に俺と徳梅さんは顔を見合わせる。近くに両親らしき人影は見えない。
「どうしたの?」
徳梅さんはにこりと、その子に声をかけた。
女の子はもじもじしながら、恥ずかしそうに下を向く。
「お買い物?」
「うん……」
「お母さんと一緒にきたの?」
女の子は小さく首を振る。
「うちはお父さんしかいない。今日はひとりできたの」
その子の告白に一瞬だけ時が止まる。
徳梅さんは、偉いわねとはつぶやくと、中腰になり、女の子と同じ目線に合わせた。
「うどんとそば、どっちが好き?」
「そば」
「そっか。私もね、緑のたぬきが好きよ。お湯に浸すと天ぷらがぐにぐにして美味しいよね」
「……わたし、てんぷらサクサク派だから、おつゆにはいれない」
うっとたじろぐ徳梅さん。
真っ赤な顔で、「そっちも美味しいよね、ははは」と会話を濁す。もしも、俺がサクサク派ですなんて言おうものなら、「ふーん。それで?」と冷たくあしらわれるだろう。元々、S気の強い人なのだが、どうやら子供には弱いらしい。
女の子は上目遣いにこう尋ねてくる。
「どっちが売れてるの?」
「どっちだと思う?」
「……わかんない」
「正解はね、どっちも同じぐらい売れてる、でした」
徳梅さんはにんまりと微笑む。
だが、その答えに女の子は眉を顰めて、困った顔をした。そのまま黙って下を向いてしまう。
「……どっち買えばいいかわかんない」
ぽつりと漏れたその一言に、徳梅さんは敏感に察知する。
「もしかして、どっちでもいいから買ってきてって言われてるの?」
「ううん」
「じゃあ……、おねえちゃんが好きな緑のたぬきでいいんじゃない」
「それじゃだめ」
再び、俺と徳梅さんは顔を見合わせる。いつの間にか、こちらも中腰になり、その子と同じ目線になって二人のやりとりを見守る。
「プレゼントなの」
なるほどね。これで合点がいった。この子なりにどっちをプレゼントしたらいいか迷っていたわけね。正直、赤も緑も甲乙つけがたいし、どっちも旨いもんな。よし。とりあえず、相手がうどん派、そば派、どちらなのかを確認するか。それによって喜ばれる確率も飛躍的に上がるはずだ。
「あのさ、君がプレゼントする――」
「おねえちゃんは、その人のことが好き?」
ぐいっと遮り、徳梅さんが女の子に優しく問いかけた。よくよく見ると、その子はその子で俺に完全に背を向けている。女子の秘め事に男は無用というわけね。大変失礼しました。
「……」
女の子は徳梅さんの投げかけには無言だ。口をつぐみ、頬を赤らめている。その愛らしい表情に、徳梅さんは意味深に笑う。
「じゃあ、どっちでもいいんじゃないかな」
「……どうして?」
「だって、好きな人に好きな気持ちを伝えるのに、うどんもそばもないからね」
徳梅さんはすくっと立ち上がると、エンドに並べられた赤いきつね、緑のたぬき、それぞれ一つずつを手に取り、女の子の目の前に持ってくる。
「はい。どっちにする?」
女の子は迷った挙句、緑のたぬきを手に取った。その子は何を思ったか、徳梅さんの傍に近づくと、つま先立ちをして彼女の耳元に向かって何かを囁いた。彼女はうんうん頷き、そっかと呟く。そして、今度は徳梅さんも女の子の小さな耳に唇を近づけて、同様に何かを囁いた。
二人はくすくす笑い合う。何だかよくわからないが、微笑ましい光景だ。
女の子はばいばいと手を振り、その場を去っていった。
すっかり蚊帳の外に置かれた俺は徳梅さんに問いかける。
「さっき、あの子とどんな話をしたんですか?」
口にだした途端、しまったと後悔した。
やぼね。そんな冷たい目を向けられたからだ。ついでに、最近の子は恋愛も早いんですかねと余計な事まで口にすると、これまた呆れた顔をされた。
「あの子の相手はあそこにいるじゃない」
そう言って混雑する店内の一角を指差す。そこには、大量の食材を詰め込んだ買い物カゴをカートで押しながら、焦った様子で周囲をきょろきょろ見回している中年男性の姿が見えた。
中年男性が探しているものはすぐに判明した。
先ほどの女の子が男性の元へ走り寄って、買い物カゴに緑のたぬきを放り込む。
その様子を見届けると、徳梅さんはパンと両手を叩く。
「はいはい、もう仕事に戻るよ」
「そうですね」
「じゃあ、棚森くんは商品補充よろしくね。ばんばん売りさばいちゃおうよ」
「はいっ」
徳梅さんは白い歯を見せると、颯爽とその場を後にした。
その容姿、凛とした姿に、すれ違うお客さんは誰しも振り返る。
もう、見慣れたいつもの光景だ。
でも。
彼女と接する度にこの胸は高鳴り、決して慣れることはない。
好きな人に好きな気持ちを伝えるのに、正解なんてものはない――。
ぐっと拳を握り込み、赤と緑で埋め尽くされたエンドを見上げた。
俺も、決めた――。
了
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